妖精の夭逝

小狸

短編


 淡々たんたん社で発行されている文芸雑誌「小説ぞう」の企画ページにて、「妖精」を題とする小説の執筆を依頼されたのは、令和れいわ7年の3月10日のことである。


 僕は、社会に顔向けできないような陰鬱な私小説を執筆している、うだつの上がらない小説家である。五年前に淡々社新人賞で文壇に立ち、数冊小説を出版していただいたものの、それは好事家くらいしか手に取らないだろうことは想像に難くないし、自分の作品のAmazonレビューなど怖くて見られたものではない。結果、何となく訳が分からないままに作家を続けることができてしまっている。それが僕の、いびつながらも正確な作家人生である。


 陰鬱な私小説、と言ったが、そのほとんどは僕の体験である。


 勿論、性別や具体的な名称は変更しているけれど、根っこのところは僕の実体験である――と、そんなことを臆面もなく言うと、警察や医師などの然るべき機関が動き出してしまう可能性があるので、これもまた虚構フィクションの内の一言ということで、留めておくことにしよう。


 僕の小説を一作品でも読了したことのある方ならば瞭然かと思うが、そもそも「妖精」という題に、僕自身の作風がそぐわないのである。


 妖精?


 鹿、と。


 かつての僕らの周りの人々は言うだろう。


 それくらい、空想的ファンタジー幻想的メルヘンなものとは無縁な人生を送って来た。


 人生を肯定的に捉えることができないのである。


 現実、現実、現実。


 現実ばかり、世の中の醜いところを凝縮したものばかりを見させられてきた。


 なので、そういう空想に対する創作力が、微塵もないのである。


 ならばそもそも仕事を受けなければ良かったのではないか、という声があがるのも分かる。実際その通りで、書けもしない小説の依頼を受けて評価を下げるのは、僕自身である。断れば良かったのだが、ちょうど仕事の隙間を埋めるようなスケジュールだったので、ついつい引き受けてしまったのである。


 しかし。


 ――一体何を書けば良いんだ。


 妖精として僕が一番に思い浮かぶのは、やはり『ピーターパン』の、ティンカーベルである。


 知見が足りないと思い、電子辞書で調べた。


 妖精。


 主として西洋の伝説・物語に出てくる精霊。善良なるもの、悪がしこい小人など、その姿・性格は多様である。フェアリー。


 手持ちのスーパー大辞林には、そのように記されていた。


 善なるものと悪なるものという、相反する性格を有しているというのが、なかなかどうして興味深いものがある。その歴史を紐解いても良いのだが、史実的なノンフィクションは僕には書けない。真面目に書こうとすると真面目になってしまう。不器用なのである。だから、私小説という体裁が一番しっくりくるのだ。


 善の妖精と悪の妖精が、鹵獲ろかくした人間の魂の数を競い合うという話はどうか――と思ったけれど、空想的、幻想的な戦闘バトル描写というのが、自分に書ける自信がなかった。


 妖精、空想、幻想、いやいや、違うのだ。その路線は、僕には書けない。あくまで陰鬱な私小説として、妖精の幻想的な側面を残しつつ、書くためには――。


 と。


 ここでふと。


 僕は、同音異義語に「夭逝ようせい」という言葉があることを思い出した。


 若くして死ぬこと、を示している。


 妖精は、人外の生物として描写されることが多い。不老か不死か、もしくはその両方の側面を持っていることだってあろう。


 その妖精の夭逝を書くのはどうか――と、思ったのである。


 誰でも思いつくような言葉遊びというか、もう駄洒落だじゃれの域だけれど、僕らしいと言えば僕らしい。僕の書く陰鬱な私小説では、夭折する男女が大勢登場する。その大半は自殺である。


 自殺――そうか、


 まず、妖精に何らかの人間に対する役割を課す。


 死者の魂の運搬でも、新たに産まれる魂の配付でも、何でもいい。とにかく、人間の内面に関係するものであればいい。


 最初は人間界を良くすることを期待していた妖精だったが、次第に人間のその醜悪さに嫌気が差し始める。。自分の役割には意味があるのか、自分がいくら働き蟻のように働いたところで人間はどうせ変わらない、結局争いを続けるばかり、もう何をしても無意味なのではないか、そして現実と理想の――あるいは空想との軋轢に耐えられなくなり、その妖精は自ら命を絶つ。妖精の自殺の方法については、改めて考えねばなるまいが――。


 何度も言うが、空想小説、幻想小説のような、色彩あふれる小説を、僕は書くことはできない。


 それを書くには、僕は大人になり過ぎてしまった。


 しかし――。


 夭逝する小説ならば、書くことができるのではないか。


 そう思って、パソコンの画面を開いたところで。


 丁度ちょうど、日をまたいだ。


 令和7年の、3月11日のことである。




(「妖精の夭逝」――了)

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妖精の夭逝 小狸 @segen_gen

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