ヒトの娘、妖狐、旅の興

めじろぶらゐと

第1話: 列車と砂糖クジラ

 汐風が充満した列車の車窓から海を眺めて抱いたのは「思ってたより大きいな」と云う酷く漠然とした感想だった。

 スノーシェッドや踏切が忙しなく通り過ぎて行くのに、奥に見やる海はまるで背景の様に不動として、静かに、確かな質量を持ってそこに在った。

 初夏に差し掛かる13月、五等星まで見える程快晴の空は海と同化して水平線が曖昧になる。

 天井に取り付けられた扇風機が送る温い風が心地よく肌を撫でて、昼下がりの微睡とふわふわとした思考を加速させた。

 私はこうも感慨に浸る質ではなかった筈だが、時代に取り残された様な海岸線を走る鈍行列車に揺られていると、思うところがあるのだろうか。

「なぁモミジよ。ボンヤリしてないで、ちと口を開けよ」

 ボックス席の対面の声に、特に何も考えず従うと、口内にスッと割り箸が割り込んで来て直ぐに退散した。舌上に塩っぱいものを残して。

「漬け物くらい自分で食べてよ」

「我は朝漬けより夕漬けの方が好きじゃ」

「好き嫌いすんな。てゆか漬け物食べたら米も欲しいんだけど。そこのお稲荷さんも半分くらい恵んでほしいなぁ」

「付上るでない。我のじゃ。駄目じゃ」

 まだお稲荷さんが二つ入った弁当を、私から守る様に抱えて頬を膨らませる彼女。実に態とらしい。

 おそらく次の停車駅を告げたであろう車掌さんの声が、酷くガサついて、私達二人で貸し切りの車内に響いた。

 知らない言語なので何を言っているかは分からなかったけど、目的の駅はまだまだ先だった気がする。

 カメラの写真を遡って一つ前の駅名標と先生に貰った路線図を見比べて現在地を確認する。

 初めて来る場所特有のこうした不便さも存外に楽しいかも、とか思ったり。

 青々としたノーチラス海。

 岸壁に波が打ちつけて、ざぱんざぱんがたんごとんと、規則的で不規則的な音達がこれまた眠気を誘うのだった。

「クツネ。八つ先。着いたら起こして」

「無理じゃ。我も寝る。膝借りるぞ」

 気ままな彼女は横に来るとその矮躯を折りたたみ、大きな尻尾を抱える様にして丸くなって、私の太腿を枕にした。

 夕焼けの様な橙色の髪がサワサワとこそばゆい。

 三角形の狐耳突いてみると、その度にピクピクって反応する。面白い。

 ふと、外から「うおおおおん」という風な大気を震わせる低い鳴き声を聞いた。

 列車のガラス窓がカタカタ振動するくらいの咆哮だった。

 車窓から海を見れば水平線の直ぐ上を何かが飛んでいる。

 モノクルの倍率を絞って見ると、それはゆったりと空を泳ぐ一匹の大きな黒いクジラだった。

 そういえば、ここら辺の海域じゃ運がよけりゃ砂糖クジラが見れるよーなんて、さっきの駅まで隣に乗っていたムジナの婆さんが言ってた気がする。

 本の中では見た事あったけど、本物を見るのは初めてだ。

 もう少し長く乗ってたら見れたのに、残念だったな、お喋りな婆さん。

「ほらクツネ。砂糖クジラがいるよ。あのクジラはノーチラス海に降る流れ星が主食なんだけど、胃袋で星屑の結石が生成することがあるんだ。それがここらの地方で有名な高級食材の龍星飴になるんだって。めちゃくちゃに甘いらしいんだ。一度は味わってみたいなぁ…って、お前寝てるんかい」

 クツネは私の膝で熟睡中だった。

 せっかくの解説が独り言になってしまった。

「まぁ、独り占めって事で、後で自慢してやるか」

 誰に聞かせるでもない独り言を車窓から垂れ流しながら、私は愛用の一眼レフのシャッターを切った。

 列車の旅はまだ長そうだけど、もう少し海を眺めてても良さそうだ。

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