セイロンの昼

 かちゃん、という音で我に返る。


 彼がからになったカップをお皿に重ねていた。わたしはコーヒーに口をつけながら、その様子を目で追う。

「あとで車出してほしいな。買い物に行きたいの」

「えー、しょうがないなあ」

 不満げな口調と、あべこべなニヤケ面が可愛らしい。そうして食器を片付けにいく彼のちょっと広い背中から目が離せない。

「ねえ、コーヒー冷めちゃうよ」

 ふいに振り返るものだから視線がばっちりと合った。わたしの頬がすこしだけ熱を持っているのは、春になって陽射しが暖かくなったせいだと思う。


 彼が車を取りに行く間に、洗い物を片付ける。お皿を水切りラックに立てかけたときに、置き忘れていたカシアシナモンの瓶が目に留まった。手の中でしばらくもてあそんでから、蓋をひねって取り外す。

「もったいないけど、ごめんなさい」

 瓶の中身を流しにひっくり返す。そのあと綺麗に洗ってよく拭いて、ゴミ袋の中に押し込んだ。


 鏡の中の自分とにらめっこしていると、背後から優しくハグされた。

「まだ出る準備できないのー?」

 私の肩に顎をのせた彼と、鏡越しに目線が合う。

「あと少しだよ」

「さっきも聞いたよ、それ」

 口を尖らせて抗議された。エサをねだる雛鳥ひなどりのようで愛おしい。

「じゃあ、これでいい子にできるかな」

 すっと振り向いて口をふさいだ、わたしが親鳥だろうか。されるがままに大人しくなった彼の後頭部に手をまわして、気がすむまで撫でまわす。


 大好きな彼とのキスは、ほのかに優しいシナモンシュガーの風味がした。

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口づけは肉桂の香り 岩崎 文弥 @IWAYAMA2331

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