第20話
「これで、53匹目」
人とは違う青緑の体液を大きく払うことで剣から振り落とし、周りに他の魔物の気配がないことを確認してから鞘に納める。目の前の醜悪な顔面を苦痛に歪めた魔物が、煙が立ち消えていくようなか細い音を立てて魔石に変わっていく。いつものことながら奇妙なことだ、とセシリアは一部始終を眺めながら思う。
周囲への警戒は解かないまま前進し、元はゴブリンであった、今は輝きも何もない濁った赤色の小さな魔石を拾い、剣とは反対の右の腰にぶら下げた布袋にしまい込む。
——そろそろ引き上げるか。
セシリアの動きに合わせ、じゃらじゃらと魔石同士が擦れ合う。その小さな音が静かな森に溶けていくのを感じながら、セシリアは帰還の意思を固めた。
小さく、密度も低いのか、単体ではほとんど重さを感じないような魔石であっても、数が揃えばそれなりの存在感を放ってくる。重さだけでなく、身動きのしづらさ、ぶつかり合う音、今はそこまで危険度の高い魔物が近くにいないためさほど問題ではないが、いずれ向き合わなければならない問題だった。
一つの解決策として、セシリアはマジックバックを考えている。入れた物体を異空間にしまい込む魔道具のことだ。上等なモノであれば、街一つを容易く飲み込むほどの容量を持ち、入れた物の重量を無くし、更には内部の時間は経過しないなど、まさに時空間魔法の真髄と言った代物だ。
しかし、如何せん値段が高い。魔道具は一部の例外を除けば高価であるが、マジックバックはその中でも一際。時空間魔法を用いる魔道具であるマジックバックは、最低級のモノであってもセシリアには全く手が届かない。マジックバックを手に入れるのは、今のセシリアの一つの目標だった。
「ま、それはおいおい考えるとしようか」
そこまで逼迫した状況でもないし、そもそもお金を貯めなければ考えたところでどうにもならない。であれば、喫緊の課題を考えた方がいくらか有益だろう。まだ日は高いが、西の方の空模様が怪しい。すぐに降ることはないが、帰り道の途中で降っても面倒だ。目標としていた数も既に達成しているのだから、今日は帰るとしよう。
鞘に納めた直剣を鋭い金属音と共に抜き去り、警戒しつつも軽い足取りで帰途につく。森の奥まで来ていたためか、周りにはセシリア以外の冒険者の姿も、魔物の姿も見当たらなかった。
足早に帰路を辿り、遠くの方に薄っすらとドネクタの城壁が見えてきた頃、妙な気配をセシリアは感じ取った。突き刺すような、見定めるような、獲物を見る粘っこい視線。それは四方から発せられていた。
——囲まれたか。
森の茂みに姿は隠していても殺気が隠せていない、そのお粗末な隠形はやはり低級、
辛うじて不意打ちは防げたとは言え、状況はあまり良くない。
群れを成すことも珍しくはないが、ここまで大型となれば群れを纏め上げるリーダー格がいる。統制された獣の恐ろしさは、セシリアも良く知っていた。
セシリアは街へ向かう足を止め、中段に剣を構える。こちらが気付いていることを相手に知らせてしまうが、無防備な状態を叩かれるましと考えた。
数に劣るセシリアは、相手の仕掛けを待ちカウンターに徹する。膠着状態、有利なのは先手を取れる森狼。いつ仕掛けられるか、常に気を抜けず、着実に精神がすり減っていく。
先に痺れを切らしたのは森狼の方であった。背後に位置する下っ端二匹がそれを隙と見て、飛びかかってきたのだ。当然死角から攻撃されることを予想していたセシリアは、飛び出した一体を一刀の下に切り捨て、返す刃でもう一匹も同じように首を刎ねる。
司令塔を失った二つの体が重力に従い、地に臥せる。森狼はゴブリンとは違い、死して体を残す。だが、セシリアにはそれを見届けることはできなかった。
独断専行した二匹の失態を取り戻すように、リーダーと思しき個体が短く吠え、直後、森狼たちが一斉に茂みから飛び出してきた。これまでの活動で体力は削られているが文句は言えない、魔力を体に行き渡らせセシリアは衝撃に備える。
「はぁっ、ふっ。っつ。そりゃっ!」
重さのある両手剣、威力は申し分なく当てれば一撃の元に沈められるが、当然取り回しは悪い。四方を囲まれれば、全てを避け切ることも捌き切ることもできず、セシリアの柔肌に生傷が重なっていく。
ただセシリアもやられっぱなしというわけではない。森狼の攻撃はスティフベアの攻撃と比べれば余りに軽く、奴らの自慢の爪も禍々しい牙も魔力で強化したセシリアの表皮を傷つけるに留まり、大事に至る前にセシリアの剣がその命を刈り取った。
気付けば群れの数は当初の半数を切り、分が悪いと見たのか一度森狼たちがリーダーの指示でセシリアから距離を取った。無残にも切り捨てられた同胞をその眼に移しながら、森狼に撤退の二文字はない。
もはや狩りとも呼べぬ命の無駄遣い、それでも森狼は執念深く、低く唸り声を上げてセシリアを睨みつける。森狼が獣ではなく、魔物たる所以はそこにあった。
——やはり、退いてはくれないか。
森狼がもし獣であれば、生存本能が勝り、戦うことを放棄していただろう。それほどまでに歴然とした力の差を前にしても、彼らは人を憎まずにはいられない。セシリアもそれはよく分かっていた。根本的に魔物は人と相容れないのだと。
再開された攻撃、考える脳を持たぬ低級の魔物は、性懲りもせず変わらぬ攻勢を仕掛ける。仲間のみならず自らの死をも厭わぬ攻撃は、単純ゆえに強大だった。
最後の一匹になっても諦めず命を狙ってくる森狼の首を刎ねた時、残ったセシリアの姿はボロボロになっていた。
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