僕の篝火

名無

第1話

空が張りぼてのように見えるようになったのはいつからだったか。


バイトへの道のりの途中、空を見上げながらふと思う。


張りぼての空。


随分と悲しい感想だなと他人事のように思う。


昔はこうじゃなかったと思う。


昔はもっと、空を見ていろんな感想が出てきたはずだ。


いつからこうなったんだったか。



高校を卒業し就職した。


辛い仕事ではあったが、頑張っていた。


それが大人になることだと思ったから。


それから3年後、精神的に壊れてしまった僕は仕事をやめ、フリーターになった。


徐々に回復していく中で僕はあることに気づいた。


気づいてしまった。


"つまらない大人になった"


空が張りぼてのように見えた。


昔読んだ小説がつまらないと感じた。


昔泣いた曲に何も感じなくなった。


いつの間にか、僕は空っぽになっていた。



随分とつまらない人間になったものだと、他人事のように思う。


でも、仕方がない。これが大人になるということなのだろう。


バイト先であるショッピングセンターに辿り着き、警備員さんに挨拶をして、店へと向かう。


今日は改装工事があるようで、昼過ぎでお店は閉まる。


帰ったら何をしようか。


ゲームでもいいし、小説の続きを書いてもいい。


そんなことを考えながらお店の準備を進める。


僕は昔と比べて感性が乏しくなった。


笑うことも減ったし、楽しいと思うことも少なくなった。


その代わりに、周りに合わせて笑うことがうまくなってしまった。


社会においてこのスキルは大事なものだが、どこか虚しかった。


どうにかしようと思うこともあるが、苦しくなるだけなのでやめた。


捻くれた、つまらない大人。それが僕だった。




数時間。昼過ぎにお店を閉めて、帰路に着く。


「少し早いな...」


今から帰っても特にやることはない。それに明日は休みだ。


「...」


僕は少し考えた後、自宅とは反対の方向に歩き始める。


僕は携帯を開き、連絡アプリを起動する。


"散歩してから帰る"


自宅にいる恋人にそう連絡すると、少しして返信がくる。


"分かったー"


僕はその一文を確認して、携帯で音楽を再生し、歩き始める。


イヤホンからは何回も聞いてる音楽が流れてくる。


僕はどこに行くでもなく、気の向くままに歩く。


仕事を辞めてから散歩に行くことが増えた。


ほとんどは夜間だったが、昼間の散歩も意外と悪くないなと思う。


それから数十分。見慣れた土地へと着いた。


昔の実家の前を通り過ぎ、歩みを進める。


「そういえば、」


僕は立ち止まり周囲を見渡す。


視界の端に小さな森への入り口が見えた。


僕はそこに向かい歩く。


ここは昔からある、戦場の防壁跡だと学校で学んだ。


今では、散歩コースになっているが、ここを歩いてる人を一度も見たことはない。


僕は昔と変わらない道を進む。


学生の頃から僕はよくここに散歩に来ていた。


歴史的場所と言うこともあってか、道は荒れていないようだ。


僕は黙々と進む。


「昔は、綺麗だと思えたんだけどな。」


周りの景色を見ながらふと思う。


昔は綺麗に思えた。空の青さ、鳥の声、木々が風に吹かれ揺れる音。


今となっては特に何も感じない。ただの森。


それが悲しく、でも仕方ないと諦めていた。


それが大人になると言うことなのだろう。


少しすると、開けた広場に着いた。


広場といっても、あるのは一つのベンチだけ。


僕はそこに腰をかける。


冬も去りつつある、この季節。


地球温暖化の影響が、年々暖かくなるのが早くなっている。

 

暖かい日差しに、かすかに感じる風。


僕はぼんやりとしていく意識に抗うことはしなかった。



「...う。」


誰かの声がする。聞いたことのない、でも懐かしく感じる声。


「優。」


僕は名前を呼ばれたことに気づき、目を開ける。


「おはよう。」


「...うん。」


僕は横にいる女性を少し見やり、目を擦る。


「気持ちよさそうに寝てたね。」


「うるさいよ。」


ベンチの背中を預け、空を見上げる。


張りぼて。


「ここに来るのは久しぶりだね。今日はどうしたの?」


「...別に、なんでもないよ。」


視線を感じ、横を見る。


とても優しい、でもどこか悲しそうな目をしている女性がいた。


僕はその目に抗うことが出来ず、諦めるように話し始めた。


「空がね。」


「うん。」


「張りぼてのように見えるんだ。」


空を見ながらそう言う。女性は特に何も言わない。


「好きな本を読んだ時、つまらないって思った。」


「うん。」


「昔泣いた曲を聞いた時、何も感じなかった。」


「うん。」


「それがすごく悲しくて。」


「うん。」


僕は絞り出すように言葉を紡いだ。


「辛かったんだ。」


「そっかぁ。」


女性は僕と同じように空を見上げる。彼女は何を考えているのだろう。


「どうにかしたい?」


「...」


どうにかしたいとは思う。でも、どうなりたいのかは分からない。


「...人はね、みんなそれぞれ炎を持ってるんだ。」


僕は女性の顔を見やる。その顔は無表情のようで、とても優しい顔にも見えた。


「みんな生まれ持った炎を大事に育てるの。消えないように、大きく燃え上がるように。」


女性の目が少し曇る。


「でも、大人になると少し変わるんだ。」


彼女の目が僕の目を捉える。


「君のように、自分の炎を消してしまう人もいる。」


「...炎。」


僕は自分の胸に手を当てる。


僕にもそんな炎が宿っていたのだろうか。


胸に当ててる自分の手に重なるように、彼女は手を当たる。


「思い出して、あなたの炎を。」


僕は目を瞑り、過去の追憶へひたる。


僕が炎を持っていた、あの時を思い出すために。




中学。剣道をしていた時。


勝ち負けはどうでもよかった。ただ、自分の全てを。


足捌き、構え、速さ、力強さ。その全てを出し切る。


それができれば、勝ち負けなんてただの結果に過ぎなかった。



高校生。救いたい人が二人いた。


一人は全て諦めようとした人。


一人は誰かのために、自分を犠牲にする人。


僕は救いたかった。彼女たちが、優しい人が救われない世界なんて嫌だったから。



社会人。そのうちの一人は壊れてしまった。


友人からその子が自殺したと聞いた。


その時、何かが。僕の中の何かが揺らいだ。


そんな気がした。



僕は静かに目を開く。


「思い出した?」


「...うん。」


思い出した。僕が持っていた炎を。その炎が揺らいでしまった事を。


「君の中の篝火は確かに燃えていた。」


女性は少し寂しそうな顔をした。


「でも、その篝火はあの時をきっかけに、徐々に消えていってしまった。」


「...それは仕方ないことだよ。」


僕は彼女を救えなかった。間違ってしまた。


これはきっと、僕が自身に課した罰だ。


「...それは間違いであり、正解だよ。確かに、君は間違えたのかもしれない。自身の罪悪感に潰され、そして篝火を消そうとしてしまった。」


彼女の手が少し強く胸を押す。


「それでも君は、彼女のことを忘れることはしなかった。」 


僕はその言葉に驚き、女性を見やる。


女性の目はまっすぐ僕を捉えている。


「君はその罪を背負って生きる選択をした。そして、自分には人は救えないと。そう決めつけ、篝火を消そうとした。」


「...そうだよ。僕に人は救えな、」


「でも、君が救えた人はいる。」


思い出す。僕が救った人を。今、家で僕を待っている人を。


「それを忘れてはいけないよ。君は確かに、彼女を救えなかった。でも、救えた人もいた。」


僕は俯く。それでも僕は、


「自分を許すんじゃない。それを受け入れ、前を見るんだ。」


女性の手が、僕の手から離れる。


その手には今にも消えそうな、か細い火がともっていた。


あれはきっと。僕の篝火だ。


炎というにはあまりに弱く、今にも消えそうなほどか細い、僕の火。


「...僕にはそれを取れない。取る資格がない。」


「そうかもしれない。」


ふと、僕の前に気配を感じ視線を上げる。


思考が止まった。


見たことのある。でも、見ることを怖がっていた。


そこには、自殺したはずの咲が立っていた。


「...さ、き。」


彼女は何も話さず、淡く微笑んでいた。


咲は僕を恨んでいるはずだ。


あの時、僕が間違えたから、彼女は命を自ら絶った。


咲が動く気配を感じる。僕はぎゅっと目を瞑る。


「...優。」


横の女性に声をかけられ、目を開ける。


僕はその光景を理解できなかった。


女性の持っている僕の火を、咲は守るように両手で包んでいる。


「なん...で、」


「彼女はね。心配していたんだ。自分に縛られている君を見て。少しづつ壊れていく君を見て。そして伝えたかったんだよ。」


僕の目が咲と視線と重なる。咲はあまりに優しい表情をしていた。


「ありがとう、優。貴方がいたから私はもう少し生きようと思えた。貴方がいたから、私は楽しかった。私が死んだのは、貴方のせいなんかじゃないよ。」


咲の手が、僕の手に触れる。


「貴方は、間違えてなんかいないんだよ。」


僕は間違えていなかった。少なからず、僕は咲を救えていた。


その事実が。その言葉が。その意味が。


僕の火を優しく包んでくれた。


「もういいんだよ。優。」


僕は彼女に導かれるまま、火に手を触れる。


暖かい。今まで忘れていた。それでも僕の中で消えずに残っていてくれた。僕の炎。


「咲...ありがとう。」


そう言うと咲は微笑んでくれた。


僕はその炎を女性から受け止めると、自分の胸に、ゆっくりと運ぶ。


炎が心に溶けて溶けて、僕を優しく包む。


僕は女性を見やる。優しく、そして嬉しそうな顔をしていた。


「ありがとう、」


僕は意識が薄れていくのを感じながら、もうこの夢は終わるのだと思った。


僕は呟くように言葉を紡いだ。


「神様。」



心地よい風に吹かれ、目が覚める。


寝ぼけた思考を振り払いながら周りを見渡す。


誰もいない。


僕はゆっくりと自分の胸に手を当て、空を見る。


張りぼての空。


あの空を綺麗だと思ったのは何年振りだろうか。


僕はベンチから立ち上がり、目的の場所へと歩き始める。


道から外れ、獣道を歩く。


右に曲がり、左に曲がり。時折、石に躓いても僕は歩き続けた。


少しすると、小さな祠が見えた。


僕は視線を合わせるように祠の前でしゃがみ込む。


「久しぶりに空が綺麗に見えました。」


僕は喋ることのない祠に話しかける。


僕は自分の胸に手を当てる。


僕はまだ、この炎をより強くする方法を知らない。


それでも今、炎は僕の胸で緩やかに燃えている。


「ありがとうございました。」


今はただ、まっすぐ前を見て歩きたい。


罪も、罰も背負って。


僕は祠を後にする。


今はどうすればいいのか分からない。


でも、前よりは歩けるはずだ。


この炎が、燃え続ける限り。







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僕の篝火 名無 @iyo1022

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