あこがれ

一河 吉人

第1話 あこがれの先輩


「じゃ、二限の後にね」


 そう言い残して、先輩は渡り廊下へ消えた。私はその背中を、打ち震えながら見送った。

 

(まさか――)

 

 まさか、あのあこがれの先輩から呼び出されちゃうなんて……!

 

 背中に羽でも生えたかのたようで、席へと戻る足取りも軽い。多数のファンの中から私が選ばれるとは思ってもみなかったけど、これも運命、みんなには恨みっこなしだ。ウキウキで椅子に腰を下ろすと、ニヤニヤ顔と能面が近づいてきた。

 

「ヘイヘイ、見たぜコノヤロー」

「……ノーコメントで」


 友人のアッコちゃんとアヤちゃんだ。

 

「そうか、ついにこの時がきたか!」

「えへへ、来ちゃった」

「北高の番長と裏番、世紀の頂上決戦が!!」

「何の話!?」


 アッコちゃんが拳を握って力説するけど、今は昭和どころか平成を通り越して令和、番長なんてもはやコンテンツの中ですら肩身が狭い存在だ。


「だってお前、体育館裏に呼び出しっつったら抗争しかないだろ?」

「そんな暴力的な発想するのはアッコちゃんだけだけ、昭和の漫画の読みすぎ」

「北高を統一し、ついにあこがれの関東進出……!!」


 勝手に全国統一をひとのあこがれにしないでほしい。


「普通にデートのお誘いだよ」

「うーん、そうか? そういうこともあるか……?」


 アッコちゃんは大げさに腕を組んで唸った。

 

「つまり、二人で工大付属に殴り込み……関東に一歩前進だな!」


 全国制覇に近づく前にまず暴力から離れてほしい。

 

「普通の告白。ヤンキー要素は無し」

「……ですが、告白するのに体育館裏は疑問ではありませんか? うちには例の樹もありますし」


 アヤちゃんがいつもの能面で言う。例の樹とは我が高校に伝わる伝説の樹だ。なんと驚き、その下で思いを伝えれば必ず告白が成功するのだという。問題は年中毛虫が大繁殖しており毎秒三匹の割合で触れると腫れる系の虫が降ってくる、なんならヘビも出る、そんな中で告白しなければならないというところなんだけど。

 

「えー、抗争バトルしようぜー」

「しないし」

「では、決闘デュエルでは?」

「えー、そっちも困るなあ」


 私は机に両肘をつき、口を突き出した。


「ついこの前ようやく『出航』を入手してようやく七海しちかいデッキ揃ったのに新シーズンはキーパーツ『深淵』が禁止カードになっちゃったんだよ? 『保冷剤』が代替にはなるけどセットで必要な界面鏡は高止まりのままだし、旧ルールでやってくれるならいいけどこのタイミングでの決闘申し込みは明らかにデッキの弱体化を見てからじゃん、せめてクラシックの――」

「どうどう」


 落ち着け、と言われても十分に落ちついてる。私が本気なら今頃W社は地獄の業火に焼かれている頃だ。

 

「よく分かりませんが、よく分からないということだけはよく分かりました」

「でもよ、真琴マコとあの野郎の共通点なんてカードゲームくらいしか思いつかなくないか?」

「確かに、先輩がどうやって私を見初たのかは謎なんだけど、プレイはしてないと思うよ?」

「あら、そうなんです?」

「この地方のプレイヤーはだいたいシメたけど、見た覚えないし」

「お、おう」


 こちとら全国制覇を目指して日々研鑽を積んでいる身、こんな地方で躓いているわけにはいかない。

 

「……場所はさておいても、もう一つ気になるのは二限の後という点ですね」

「確かになあ。抗争でも決闘でもない呼び出し、体育館裏は百歩譲るとして昼休みでも放課後でもないいうのは不自然だ。まるで人目を避けているかのようじゃあないか。つまり、ここから導かれる結論は一つ……」


 アッコちゃんは胡散臭いほど爽やかな笑顔を作ると、言った。


「『やあ、来てくれて嬉しいよ。ところでこの荷物、ちょっと駅のロッカーまで届けてほしいんだけど』」

「闇バイト!!!!」


 なんと悪辣で卑劣なことか!


「アッコちゃん、羨ましいのはわかるけど嫉妬は見苦しいよ」


 私は頬を膨らませて抗議した。自分がモテないからって、ありもしない疑惑で先輩をおとしめるのは止めてほしい。


「先輩は闇バイトなんかしないし、うんこもしない」

「昭和の少女漫画みたいなこと言いやがって」

「先輩の家はお金持ちだからね、わざわざ不法行為に手を染める必要はないんだよ」

「あー? 逆だよ逆。金持ちなんてのはな、後ろ暗い行為に手を染めてるから金持ちなんだ。みんなスネに傷持ってんだよ」

「アッコさん、後でお話しましょうか」


 先輩のスネに傷があるかどうかは分からないが、アッコちゃんの心に傷が増えることは確定したようだった。


「この呼び出しは告白。余計な詮索は無用!」

「はあ、真琴さんがそれでよいのなら。しかし、あんな男のどこがいいんです?」

「え? 顔と金?」


 ノータイムの返答、何故か二人は渋面だ。他にる?

 

「お前さあ……流石に顔と金はねーだろ。もっとこう、あるだろ? 頼りがいとか優しさとか」


 昭和の少女漫画みたいなこと言っててウケる。

 

「うーん、そう言われてもね……」


 先輩のことを思い浮かべてみる。先輩は私達の一個上で、顔がよくて、お父さんが一部上場企業の役員で、えーと……中学は別、顔、小学生の弟が一人、金、金、金――

 

「私、先輩のこと、何も知らない……」

「先輩はお前ん家の住所知ってるけどな」

「闇バイト!!!!」


 思わず叫んでしまったが、いや、落ち着け。先輩が襲うような金目のものは家にはない。

  

「真琴さん」

「なに? アヤちゃん」

「あんな男より、私のほうが顔がいいです」

「うん、そうだね」

「そしてお金持ちです」

「そうだね?」

「……」

「……?」


 アヤちゃんはたまーにこんな感じのジメジメした視線を送ってくるけど、一体何なんだろ?


「……闇バイトは置いておくとして、少し核心に近づいてきた気はしますね」


 ため息を一つ付き、アヤちゃんは続けた。


「真琴さんとあの男は赤の他人です。ですが、そんな相手から朝一で呼び出された。しかも人目の多い教室までわざわざ来て、です」

「愛だね」

「あの男は真琴さんに合う必要があった、それは昨日の放課後では駄目で、今日の昼でも駄目。これは昨日の放課後から今朝までの間に、二人をつなぐ何某かのコトやモノが発生したことを強く伺わせます。そして、それはできるだけ早くコンタクトを取るよう促す何かだった」


 んー、そういうことになる、かな?


「無関係の二人を繋ぐ……落とし物か何か、いや、それなら放課後でもいいか」


 時間制限のある落とし物……


「はっ、三秒ルール!?」

「長すぎだろ……」

「え?」

「え?」


 え?


「……今のは聞かなかったことにしましょう。真琴さん、何か昨晩変わったことはありませんでしたか?」

「と言われても、二人と別れてから普通に家に帰って、普通にお風呂入ってご飯を食べて、『出航』を二時間くらい眺めてから寝ただけだよ?」

「お、おう」

「あ、あとベッドの下からいつのものかわからない飴玉が」

「……他には何かありませんでしたか?」


 と言われても、あとはベッドに潜って、寝落ちするまでスマホを弄って――


「あ、あと荷物を運ぶだけの簡単なバイトが募集してたから応募して」

「闇バイトじゃねーか!!!!」


 アッコちゃんがオーバーリアクションなアメリカ人みたいに両手を振って叫んだ。ほら、急に大声出すからみんなびっくりしてこっちを見てるじゃん。私は手を降って疑惑を否定した。


「いやいや、アッコちゃん。それは考えすぎだよ。TVでもCMしてるような大手企業のサイトに載ってた求人だよ?」

「おお、もう……」

「もしもし、ちょっとしたトラブルが発生しまして、はい、数人ほどこちらに」


 アッコちゃんは額に手を当て、アヤちゃんはどこかに電話を掛け始める。


「大丈夫だって。もう三回やってるけど何にもないから。おかげで『出航』も買えたし、ただのコスパのいいバイトだって」

「お前もう黙れ」

「お祖父様、あやです。はい、至急お願いしたことが……」


 アッコちゃんはなぜか怒り始めた。昭和趣味のくせに、キレやすいのは最近の若者だな! アヤちゃんも教室で通話するなんてノーマナーで感心できないぞ。


「真琴さん」

「ん?」

「大丈夫です。真琴さんは私が守護まもります」

「え? あ、うん……?」


 私の両手を包み込み、アヤちゃんは深く頷いた。よく分からないけどアヤちゃんがやりたいならそれでいいんじゃないかな。

 

 担任が到着し、素人探偵団は解散。私はホームルームの通達事項を聞き流しながら、期待に胸を膨らませた。

 

 

 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇

 

 

「それで、その……よければ僕と付き合ってほしいんだ」


 先輩は少し恥ずかしそうに、顔を少しそむけながらそう言った。

 

(ほらぁー!!)

 

 

 急遽自習になった一限目と二限目を終え、体育館裏へとすっ飛んだ私を待っていたのは先輩からの告白だった。気分はもう有頂天、でもガッツポーズを握るなんてはしたない真似はしない。先輩に嫌われちゃうからね。私は心の中で膝スライディングからのコーナーフラッグキック百連発をキメた。

 

(アッコちゃんやアヤちゃんは変なこと言ってたけど、やっぱり告白だったじゃん!)


 どうも私が出場していた大会に弟君が出てたみたいで、付き添いの先輩は対戦相手だった私の華麗な決闘に心を奪われたらしい。見た目だけでなくプレイングも美しいとは、私も罪な女だ。それとも、いよいよ世界が私の魅力に追いついてきたってことかな? 確かな腕を持つ美少女カードゲーマー、これは行けるね、天下を取れる。私は全力でアウェイサポータを煽った。まずは手始めに関東進出いくか? 

 

 ちなみに二限の後に体育館裏なのは、単純に人目を避けたかったからしい。事実とはいつもシンプルなもの、アッコちゃんもアヤちゃんも人を疑い過ぎだよ。先輩はただの恥ずかしがり屋、バイトはただのバイト。

 

「じゃ、土曜日にね」

「はい」


 私達は連絡先を交換、週末の約束をして別れた。先輩はそそくさと奥へ消え、振り返った私の視線の先には、顔を真っ赤にしたアッコちゃん。あと能面。

 

「お、おう……何と言うか、うん、その……」

「…………」

 

 アッコちゃんはしどろもどろで何言ってるか分からないし、あれ、この能面いつもより能面じゃない?

 

「はっはっは、君たち。これからは土日一緒に遊べなくなるけどゴメンね?」

「……こいつはほんまによぉ。チッ、好きにしろ」

「……」


 二人の祝福に笑顔で応える私。

 


 でも、先輩は来なかった。

 

 

 ◇◇◇◇ ◇◇◇◇

 


「はぁ~」


 私は今日何度目かのため息を付くと、タンブラーから伸びるストローをグリグリとこね回した。

 

 昨晩、先輩から入った一本の電話。

 

「ごめん」

 

 どうも近所で闇バイトのグループが摘発されたらしくそれ自体は嬉しいんだけど、その一味と私に関係がある、という根も葉もない噂が流れているらしい。もちろん全力で否定したけれど、先輩の意見は変わらなかった。

 

「全くさー。先輩と付き合ってる私への嫉妬なんだろうけど、酷いと思わない!?」

「そうですね」


 そんな私を慰めてくれるのはアッコちゃんとアヤちゃん。先輩と行くはずだったカフェで、延々と流れ出る愚痴を聞いてもらっている。やっぱり持つべきものは友達だ。

 

「いや~この度は大変ご愁傷さまで」

「そうですね」


 ……こいつら、本当に慰めてくれてるのか?

 

「まあよかったじゃねえか。噂に惑わされて恋人を捨てるような男なんて問題外だろ」

「そうですね」

「……まあ、それはそうかも」


 ニヤニヤ笑いが腹立たしいが、その言葉には一理も二理もある。きちんと話し合えばデマだって分かるはずなのに、先輩は取り付く島もなかったのだ。なんなら怯えているようにさえ感じた。余裕がないと言うか肝が座ってないと言うか、女を見る目はあっても真実を見抜く目は持ち合わせてなかったらしい。

 

(闇バイト相手なら恐れて当然とはいえ、あの態度はちょっと幻滅だよね)

 

 呪詛を吐くだけ吐いたら、段々と思考に冷静さが戻って来る。うーん、確かにあれなら別れて正解だったかもしれない。可能なら結婚後のタイミングで惑わされ財産分与してほしかったけど、贅沢は言えない。

 

「つまり今日は残念会じゃなくて祝勝会ってこと。オウ、飲め飲め!」

「よし、飲む!」

「そうですね」


 気休めにもならない言葉遊び。だけど、今一番必要な台詞だ。


「イエーイ、乾杯ーイ!」

「イエーイ!」

「いえーい」


 私達は笑い飛ばした。可哀想な恋心を、過酷な運命を、理不尽な運営を。


「あんな顔と金だけの男、こっちから願い下げじゃーい!」

「そうだー!」

「そうですね」

「今度は顔と金と根性のある男を捕まえるんじゃーい!」

「いいぞー!」

「そうですね」

「毎度毎度コントロールデッキだけ狙い撃ちするのは止めろー!!」

「その通り!」

「そうですね」


 お小遣いの少なさを、お気に入りメニューの値上げを、来週の期末テストを。


 つい数時間前までどん底だった気分も、いつしかテンションマックス。私達は大いに飲み(キャラメルフラペチーノ)、食べ、はしゃぎまわった。やはり、持つべきものは友達だ。

 

 私は笑った。アッコちゃんも笑った。

 

 

 能面も、笑った。


 

 


 

 能面も、笑った。 

 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あこがれ 一河 吉人 @109mt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ