第3話 幸福家族



 たった一晩で娘の顔が別人になった。そんなことありえない。でも、あきらかに美乃梨本人なのだ。そこは父親だからわかる。ちょっとした仕草や話しかたなど、娘のそれでまちがいない。それに、黒子の位置など、身体的特徴が完全に娘と一致している。背格好だけ似た誰かが美乃梨のふりをしているわけじゃない。顔の造作だけが違うのだ。


 いったい、娘の身に何が起こったというのか?

 まさか、ほんとに整形したわけじゃないだろう。興味がないから詳細には知らないが、整形が一夜でできないくらいの情報は持っている。術後は数日、顔が腫れてしまうのだ。だが、美乃梨は就寝前まで家族といっしょにいたし、あれから八時間しか経過してない。整形は現実的な考えじゃなかった。


「……ほんとに、美乃梨か?」

「え? なんで?」

「なんでって……」

「変なお父さん」

「……」


 美乃梨はさっさと食卓へ行ってしまう。綾華も変身した娘になんの疑念も持たないようだ。二人の明るい話し声がぼうぜんとする拓司の耳にも聞こえてくる。おかげで会社に遅刻しそうになった。その日は一日中、仕事にならなかった。ヘマばかりしてしまい、体調不良だと嘘をついて早退した。


 しかし、家へ帰れば綾華に不審に思われる。いや、何よりも娘の顔を見るのが怖い。人間の顔があんなにも変わるものだろうか? でも、そういえば、前日の綾華は変なことを言ってなかったか? 十三歳になって美乃梨も一人前になるのだとかなんとか。


(まさか、綾華は美乃梨がああなると知ってたのか?)


 そうなのかもしれない。美乃梨が子どものころの綾華とそっくりだったと言っていたのは、まさしく言葉どおりの意味だった? 同じ年ごろの子どもの集団のなかから見つけることは、父親の自分でさえ難しかった。あの平凡で目立たない容貌の美乃梨が、誰よりも麗しい綾華と……。


 そのあとは表面上、今までどおりにすごしながら、綾華と美乃梨をうかがう日々だった。二人の行動に謎が隠されていないか。人間がまるきり別人のように変貌する理由がわからないかと。


 ただ不思議と、ながめるたびに、以前の美乃梨の顔が思いだせなくなった。これと言った特徴のない無個性で地味な顔立ち。美しくはなかったが、とびっきり醜くもなかった。対して、綾華の面影のある今の美貌は一度見れば忘れられない。美人は三日で飽きるなんて、あんなのは嘘だ。やはり、いつもかたわらに見目麗しい人がいれば心が弾む。人間が美しいと思うのは、それが本能的に安心できるものだからだ。もしも美乃梨が赤ちゃんのころから今の顔だったなら、拓司はなんの悩みもなく、心から娘を愛していた。可愛くて可愛くてしかたなかっただろう。綾華似の華やかで完璧なその造作。大粒の黒曜石みたいな瞳。通った鼻筋。ふくよかな唇。綾華が少女に戻ってそこにいてくれるかのような。微笑んでくれれば嬉しい。パパ、パパと甘えてくる娘を愛しく思わないわけがない。そんな瞬間には悩みなんてかき消えて、このままでいいじゃないかと思う。なんだかよくわからないが、綾華の家系はこういうものだ。それでなくとも、女の子は年ごろになると美しくなるという。第二次性徴期。ホルモンの分泌で見ためが変わる。それがちょっと他の子より顕著なだけだ。そう考えた。


「ねえ、パパ。次の日曜、友達と遊園地行ってもいい?」

「子どもだけで? 危なくないか?」

「平気だよ。暗くなる前に戻るから」

「まさか、相手、男の子じゃないね?」

「違うよ。真波と千佳は知ってるでしょ?」

「うん。まあ、それなら、気をつけて行ってくるんだよ?」

「じゃあ、お小遣いちょうだい」

「しかたないな」

「ありがとう。パパ。大好き!」


 そんな他愛ないやりとりに満足している自分がいる。美しくなった美乃梨に、夢見ていた理想の娘を手に入れた気がした。愛する人の生んだ愛娘。いずれは結婚して家を出ていくのだろうが、それはまださきだ。十年はいっしょに暮らせる。それだけで幸福だった。


 その期間の拓司はまわりから見れば、それ以前より生き生きして、健康的で満足げであったという。拓司本人は毎日が夢のような心地だった。どこかぼんやりして、実体のつかめない、もどかしさ。霧のなかを手さぐりで歩いている感じ。


 ふと我に返ったのは、綾華の妊娠が機だった。美乃梨が実子じゃないかもしれないと疑ってから、綾華とは何年も没交渉だった。それも、ぼんやりと空白の期間に、いつのまにか終わりを告げていたらしい。第二子の妊娠を知らされた。


「女の子よ」と、綾華は言った。

「なんでわかるんだ? まだエコーでも確認できないって、医者が」

「わかるのよ。母親ですからね」


 そういうものだろうか?

 このときは空白の幸福期間だったから、何も感じなかった。第二子の誕生じたいは嬉しかった。年をとったとはいえ、まだ三十九だ。子どもが成人しても六十前。育てられないことはない。何しろ、大手の一流企業で順調に昇進し、貯金もかなりある。


 このとき、拓司がいらない一言を言いさえしなければ、幸福は続いていたのだろう。


「また女の子か。もちろん嬉しいけど、男の子も欲しかったなぁ」

「……」


 考えこんだ綾華を見て、なんとなくイヤな予感がした。

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