見た目だけ人間の蚊

あさぎそーご

見た目だけ人間の蚊


 腰まである光の加減で銀色にも見える黒髪。赤みを帯びた大きな瞳。幼さが残る愛嬌のある笑顔。小柄で細身。何種類ものテイストの違うスーツを着こなし、髪型もメイクも毎日違ったが、どんな姿でも彼女であることを疑いようもない。それだけ存在感がある女性を周りが放って置くはずもなく、噂話は度々耳に入った。


来良らいら先輩って可愛くて綺麗で仕事もできてさぁ…ほんと憧れるよねー」

「分かるー。顔小さいし、細くてキラキラしてて」

「何着ても似合うし、しかも優しい」

「ねー!普通さ、妬むヤツとかもいるはずなのに、悪口とか一切聞かないもんね」

「私もあんな風になりたいって、思っちゃうよね」

「憧れの的ってやつ?男からもモテそうー」

「いやいや、彼氏いるらしいよ?」

「嘘ぉ」

「この前言ってた。家でご飯作って待ってるって」

「まじか。どんな男だ羨ましい」

「先輩のご飯なら喜んで作るよねえ」




「………って、君の部署の新人さん達が話してましたけど」

 帰るなり手も洗わずにソファテーブルに伏した「噂の来良先輩」に一通り聞かせるも反応がなく。顔を覗き込んでみたところ、開口一番不穏が溢れた。

「世界……滅亡しねーかな」

「またなにかあったんです?」

 彼女、来良めぐみは見事なまでの内弁慶である。いや、異様に外面がいい、と言ったほうがいいかもしれない。

 会社では絶対にすることのない、この世の終わりみたいな顔をしている憧れの的に、僕はとりあえずコーヒーを与えて話を聞くことにした。

「なんですか?友達が玉の輿にのったとか、自分より良い服着てたとか?」

「そんなくだらねーことで悩まない」

「じゃあ一体なにが?」

「スマホリングぶっ壊れた」

 来良が手を開くと、どうしたらこうなるのかというくらい粉々に砕けた物体が露わになる。確かに、凹みたくなるのも分からなくはないが、僕は素直に感想を述べた。

「それもそれでくだらねーですよ?」

「だって!すごく気に入ってたし!」

「はい」

「駅で後ろからぶつかられて落として…ほんと最低」

「それは災難でしたね」

「はぁ…とりあえず呪うか」

「物騒なのでやめてください。まったく…今の君を例の新人さん達に見せてあげたいですよ」

「やめろ。折角崇拝して目キラキラさしてんのに可哀想だ…夢くらい見させてやれ」

「その夢を崩しかねないのが今の君なわけですけれども」

「うるさい。憧れなんて、ただのマヤカシであれ」

「支離滅裂にも程があります」

 会話がてら、冷蔵庫から取り出したプリンを差し出してみるも来良の膨らんだ頬は縮まなかった。

「こんなんじゃ気が収まらない」

「じゃあ僕が…」

「誰がいらんと言った」

 仕方なく食べようとしたら秒で取り上げられ、あっと言う間に蓋が剥ぎ取られる。来良がプリンを口に入れたことでなんとなく安堵していると、不満気に彼女は宣った。

「明日パンケーキ焼いて」

「材料ないので帰ってからでいいですか?」

「いい。某カバ似の妖精さんママが作るみたいなパンケーキにして」

「えっ…木苺のジャムなんて売ってるかな…」

 昔見た映像を思い出しながら呟く僕を、来良は笑う。食べ物で世界の滅亡を救えるのなら安いものだ。

 が、まだ完全に機嫌が直ったわけではないらしく、寝ながらにして腹部に踵落としを食らった。いつもは寝返りすら打たないのに。



 翌日。



「ただいまー」

「機嫌、直ったみたいですね?」

「うん!」

 昨夜言われた通り、ぺったんこなパンケーキに木苺…ではなく苺とカシスのジャムを乗せたものを用意しながら、満面の笑みで帰宅した彼女に理由をたずねる。

「今度はなにがあったんです?」

「職場に可愛い子入って来た」

「仮にも彼氏である僕にそれを言いますか?」

 ドヤ顔での回答を聞いて、思わず複雑な表情を浮かべてしまった。来良は諸々済ませてビールとツマミを取り出しながら小首を傾げる。

「なんで怒る?」

「いえ、別に」

「だってほら、可愛いから見てみ?」

「いえ、僕は別に」

 スマホの画面を提示されてそっぽを向きかけたところに、響いたのは「にゃーん」という可愛い声。

「これは」

「ほれみろ」

 抗えず動画に釘付けになる僕に、来良は八重歯を見せて笑う。なんでも迷い猫を拾ったとかで、飼い主が見つかるまで交代で連れ帰り世話をすることにしたらしい。昼間は会社の隅に猫コーナーを作って自由にさせるとか。

 いっそ猫飼いましょうよ。癒しになるし。なんて案も出ているくらいにはみんなメロメロらしい。

「そんな環境なら、出社するのも楽しいかもしれないですね」

 パンケーキを盛り付けながら肩を竦めると、来良はビール片手に皿を覗き込む。

「あんた、リモート多いもんね。てか、昨日の話だけどさ。新人の子たちに言わなかったの?」

「なにをですか?」

「僕が彼氏ですけどって」

「言っても信じませんよ……こんな地味男と付き合ってるだなんて」

 来良は誰もが憧れる色素の薄い細身の美人。対して僕は俗に言うオタクで、真面目が服を着て歩いているようだとよく言われる。つい先日もリュックを背負って出社して若い子に笑われる体たらくだ。

 来良は僕を数秒眺めた後、ビールを飲み干して意地悪く笑う。

「地味に生きてるだけでそんな風に言われんのか…世知辛い世の中だな」

 こんな表情、絶対に会社ではしない。半年ほど同棲している僕も、初めて見た。これはもう酔っているかもしれない。来良は酒に弱いらしい。

 出来上がったパンケーキを運び、揃ってクッションに落ち着く。来良はそれに飛びつくでもなく、話を繋げた。

「全く…男の価値は見た目じゃなくて……」

 じりじりと寄ってきて、背中から首に抱きつく。耳元に近づく彼女の吐息。僕は理解して、覚悟を決めた。

「どれだけ血が美味しいかだってのに」

「それは、君だけなのでは……」


 完全に人間社会に溶け込んではいるが、どうやら来良は本物の吸血鬼らしい。とはいえ、日光やニンニク、銀に弱いでもなく、血を吸った相手を眷属にすることもないそうだ。

 あまりの吸血鬼らしくなさに、「見た目だけ人間の蚊みたいですね」と言ったら軽くボコられた上に限界まで血を吸われた事も記憶に新しい。

 その時にのが付き合い始めた切欠になる。しかしこの関係が恋人同士なのか、ただのエサとしての享受なのか。真相は最後まで分からないかもしれない。


 来良は指先を這わせた首筋に無遠慮に噛み付き、血を吸い始める。

 首筋だ。勿論それなりに痛いが、我慢できない程ではない。不思議な感覚の中、譫言のように抗議する。

「首から直には行儀が悪いのではなかったでしたっけ?」

「今日は酒飲んでるから。無礼講」

「謎理論」

 いつもは献血的に腕から抜かれた血を、コップに注いで飲んでいる。それもそれでなんだか恐ろしいのでやめてほしい。しかし血を飲む美人というのがこれまた変に絵になるので文句も言えない。いっそ高級ワイングラスでも買ってきてやろうかと思うくらいだ。

 常日頃から美味しい血のために丁寧な食生活をしろと言われているが、来良は大変不健康な食生活を送っているのも納得がいかない。

 この通り、そこそこ文句はでるが、それでも一緒にいるのは勿論彼女が美しいから、という理由もある。

 しかしそれだけではない。

 血を吸う以外にもう一つだけ、彼女を吸血鬼たらしめている現象がある。

 それは。

「やっぱり、映らないんですね」

「だから、いつもそー言ってるだろ」

 血を吸われた証拠を撮ろうとカメラを向けても、写るのは僕だけで。彼女が背後にいる証拠は、僕の首筋に残る2つの赤い斑点くらいだ。

 こんな体質、現代社会において困ることしかなさそうだが「自分、防犯意識高すぎて映らないんですよねー」とか適当な事を言って誤魔化せている。多分彼女にしか使いこなせない言い訳だ。恐ろしい。

 来良は満足したのか僕から離れると、壊れたままのリングがついたスマホを持って自撮りする。背後のパンケーキと一緒に写るように。

「口元、血垂れてますよ」

「どーせ写らないからいいの」

 ティッシュを差し出すと、代わりにスマホを渡される。僕は画面に写るパンケーキが酷く美味しそうに見えて喉を鳴らした。

 彼女は確かに写っていない。だけど不思議と、そこに何かがいて、画面を華やかに、キラキラさせているような気がしてならない。

 こんななんの変哲もない写真なのに、どうして心惹かれるのだろうか。

「ちょっと。あんたも冷めないうちに食べなよ」

 既に半分以下になったパンケーキの皿。口元についているのがジャムなのか血なのか分からない来良。僕は苦笑して、もう一度だけ写真を眺める。


 本当。彼女の目に、世界はどう映っているのだろう。


 新歓の日。彼女の撮った写真を見てからずっと。

 彼女は僕の憧れなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見た目だけ人間の蚊 あさぎそーご @xasagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説