魔源郷

夏目べるぬ

第1話「魔物少女」

 その子供は、もうじき死ぬはずだった。

 十にも満たない歳の子供である。

 小さな体。痩せ細った手足。

 漆黒の大きな瞳は、怯えた色を湛えていた。

 血のように真っ赤な唇は、小刻みに震えていた。

 子供は、全身傷だらけで、泥だらけだった。

 ぼろ布を身に纏っているが、ほぼ裸同然だった。

 手足を縛られて、木の枝に吊るされている。

 何日も、食べ物を口にしていない。

 子供の目の輝きは、次第に衰えていった。


「今夜は満月だな…。」

 寂れた、薄暗い酒場のカウンターで酒を飲みながら、中年の男が呟いた。

「大丈夫だって。あいつは、もう死んだ。二度と暴れることはないさ。」

 隣に座っていた男が言った。

「それならいいんだがな。満月になると、どうも落ち着かなくてな。」

 その村は貧しかった。

 満月の夜、必ずどこからか大きな黒い狼に似た魔物が現れて、田畑を潰し、家々を壊し、人々を殺して去っていくのだ。

 だがある日、村を襲う魔物の正体が明らかになった。

 村の者が見たのだ。

 一人の小さな少女が、恐ろしい魔物に姿を変える瞬間を。

 村人たちは、その少女を捕らえた。少女はこれまでにも、盗みを働いては村から追い出されていた。少女には身寄りがなく、いつ、どこから村へやって来たのかも分からなかった。また、少女は人を怖がっており、例え面倒を見ようとする者があっても、決して心を許さず、誰にも口を開かず、近付こうともしないのだった。

 少女の正体が村中に知れ渡ると、同情する者は誰一人いなくなった。

 村人の話し合いで、半殺しの目に遭わせてから、餓えさせて死なせるということになり、皆でそれを実行した。

 それから半月ほど経ち、村人たちは皆、既に少女は死んだものと思っていた。

「しかし、何だって今頃になって来たのかねえ…。」

 酒場でくつろいでいる男たちは、ひそひそと小声で話し合っていた。

 彼らの視線の先、男たちから離れた奥の席には、一際目立った姿をした、若い男が一人で座って酒を飲んでいた。

 目立っているのは、その髪の色。白にも近いほど透き通った、銀の髪。肌も、透けるような白さだった。

 男たちは横目で彼を見ていた。まるで嫌なものでも見るかのような目つきで。

「猟師だよな。あいつは…。」

 銀髪の青年は、背中に大きな長剣を装備していた。

 その剣は、白い鞘に納められていたが、どこか不気味で、異様な光を放っているようであった。

 猟師というのは、魔物を狩り殺すことを生業としている者である。

 魔物は、この世界の様々な所に棲んでおり、人間を襲う凶暴な生き物である。魔物に対抗出来るのは、猟師と呼ばれる者たちだけであった。

 猟師たちは、各地に大勢いて、魔物を殺して報酬を得ていた。彼らは必ず、何かしらの武器を装備しているので、一目でそれと分かるのだ。

 銀髪の青年は、決して大柄な体格ではなく、むしろ小柄な方で、顔つきもまだ少年の面影を残すほどに若い。

「おい!」

 酒瓶を片手に持って、顔を真っ赤にした中年の男がふらふらと青年に近付いて来た。明らかに泥酔している。

「今頃何しに来やがった!金づるになるようなものは、何もねえぜ!」

 酒臭い息を吹きかけられても、銀髪の青年は男を無視していた。

「この、すかしてんじゃねえよ!ええ?てめえがもっと早く来てれば助かったかもしれねえのに!誰も助けに来なかった!この村が貧しいからさ!金にならねえってんでな!猟師なんて種族は、どうせそんな奴らなのさ!何が救い主だ!ふざけんじゃねえ!」

 赤ら顔の男は、興奮して叫び、どん、と青年のテーブルを強く叩きつけて、テーブルの上にあった酒瓶を奪い取ると、青年の頭から酒をどぼどぼと浴びせかけた。

「おい!暴れるな!」

 酒場の店主が慌てて駆け寄ってきた。

「うるせえ!」

 赤ら顔の男は、青年の襟元を掴み、床に突き飛ばした。

「さあやれ!その剣で、俺を刺し殺してみろ!」

 青年は何も言わず、ゆっくりと立ち上がり、顔を上げて赤ら顔の男を見た。

 その様子を、店内の客たちは、固唾を飲んで見守っていた。

「あんたの殺したい奴は、他にいるだろう?そいつの所へ案内してくれないか。」

 青年は無表情で碧の目を向け、静かに言った。

「な、何だと!?」

 赤ら顔の男は、うろたえたようだった。

「確かにあんたの言う通り、ここに来るのが遅かったみたいだ。許してくれ。だが別に金なんかいらない。とにかく、早く案内してくれ。」

「何を言ってやがる?殺したい奴だと?」

「魔物だよ。」

「魔物?そいつはもうとっくに死んださ!」

「いや、死んでない。」

「何!?」

 店内の客は皆驚いた顔をした。

「死んでないだって!?まさか…だってもう半月も経ってるんだぜ?魔物の正体は小娘だったんだ。皆で百殴りして、木に吊るして飢え死にさせたんだ。生きてるはずが…。」

 カウンターで酒を飲んでいた中年男が言った。

「死体は確認したのか?」

 無表情で、青年が尋ねた。

「いや…だってあんな不吉なものに誰も近付きたくねえし…。」

「だったら、勝手に探させてもらう。」

 青年はテーブルの上に金を置いて、さっさと店を出て行った。

「あの野郎…。」

 赤ら顔の男は、青年が出て行った後を、忌々しげに睨み付けていた。


「…あれか。」

 青年は呟いた。

 木の枝に吊るされている、ぼろきれのような少女を見つけた。

 しかし、青年は少し離れた所に立っているだけで、何もしようとしない。

 ただ、じっと何かを待っているようでもあった。

 少女は死んだように動かない。

 その様子を、物陰からそっと窺っている者がいた。

 先程、酒場にいた中年男だった。

 気になって、青年の後をつけて来たのだ。

「何やってんだ…?あいつは…。何で動かねえんだ?」

 やきもきしながら見守っていると、やがて青年はその場に座り込んで、居眠りでもするかのように腕組みをして、頭を垂れてしまった。

 これには、中年男は呆れてしまった。

「何やってんだよ!」

 思わず、物陰から飛び出して、青年に近寄って声をかけた。

「来るな!」

 突然、青年が大声で中年男に向かって叫んだ。中年男はぎょっとして固まった。

 そのとき、中年男の背中がぞわりと総毛立った。

 背後には、少女の吊るされている木がある。

 そこから、何か異様な気配を感じた。

「隠れてろ!」

 青年が、中年男を押しのけて前に出た。

「な、何だ!?」

 中年男は腰が抜けて、その場にへたりと座り込んだ。

 目の前には、巨大な魔物がいた。

 木があったはずの所に、全身を黒い毛で覆われた、大きな狼のような魔物が立っていた。

「あ、あいつは!!」

 中年男の全身に、寒気が走った。

 村を幾度となく破壊した、あの怪物だった。

 先程、酒場にいた赤ら顔の男も、この魔物によって家族を皆殺しにされていた。

 魔物は、低く唸り声を上げ、鋭い目で、目の前にいる青年を睨んでいた。

「やってくれ!そいつを…そいつがあの小娘の正体なんだ!!」

 青年は魔物をじっと見つめていた。剣に手をかけようともしない。

「な、何やってんだ!あんた、猟師なんだろ!?さっさと殺してくれよ!」

 あまりの恐ろしさに、中年男はその場から動けなかった。

 しかし青年は静かに、その碧の目でじっと、魔物を見つめているだけだった。中年男には、青年が何をしているのか理解出来なかった。頭がおかしい奴だとしか思えなかった。

 だが、魔物は次第に、唸り声をひそめ、ゆっくりと頭を下げ始めた。

 青年が近付いて、魔物に触れると、魔物はその場に座り込んで、目を閉じ、前足の上に頭を乗せ、穏やかな表情になった。

 何人もの人間の命を奪った、凶暴な魔物とは思えない、安らかな顔だった。

 不思議な光景であった。

 銀髪の青年に手懐けられた、大きな魔物。まるで大きな犬のように優しい顔をしている。

 やがて、変化が起こった。

 魔物の体が、縮み始めたのだ。

 そして、小さな少女の姿に戻った。

「あ…。」

 死にかけていたはずの少女に、生気が戻っていた。

 少女は、目の前の青年を見上げた。

 何が起こったのか、分からないようだった。

 それを見ていた中年男にも、何が何やら分からなかった。

「これは…どういうことだ?」

 やっと体の自由を取り戻して、中年男は立ち上がった。

「もう魔物は出ないから安心しろ。」

 青年はそれだけ言って、立ち去ろうとした。

「待てよ!こりゃ一体、どういうこった?」

 中年男は、少女を指差して言った。少女は、怯えたように身を竦めた。

「こいつを生き返らせたのか!?」

「魔物は追い払った。」

 青年は、無表情で言った。

「…まあ、魔物がまた出たとしたら、そいつは他の魔物だろうが。その娘はもう魔物にはならないよ。」

「どういうことだ?こいつの正体は魔物なんだぞ!魔物が、人間に化けてたんだ!」

「違う。逆だ。」

「逆?こいつが魔物に化けたっていうのか?そんなおかしな話、聞いたこともないぜ。」

「とにかく、やるべきことはやった。」

「ふざけんな!誰も納得出来るか!例えそうだとしても、この娘が人殺しってことには変わりないんだ!それを、生き返らせやがって。許せるはずがねえ!」

 中年男は少女の腕を掴んだ。

「また皆で、百殴りの刑だ。今度こそ、死なせてやる。」

 無理矢理、中年男は少女の腕を引っ張って、引き摺っていった。

 それを、青年は黙って見ていた。

「うう…。」

 少女は青年に助けを求めるように顔を向けたが、青年は無表情で見送っているだけだった。


 少女は再び、人々の前にさらされた。

 杭に縛り付けられ、身動き出来ない状態にされていた。

 少女はぐったりとして、全てを諦めていた。

 しかし、人々のざわめきの間から、あの青年が現れた。

「てめえは!」

 赤ら顔の男が叫んだ。

「こいつを生き返らせたんだってな!なんて野郎だ!」

「やめた方がいい。」

 青年は、静かに言った。

「こんなことして、死んだ人間が生き返るか?」

「うるせえ!そんなことは分かってるさあ!ただ俺らは、憎しみをぶつけたいだけだ!復讐だ!その娘を殺さなきゃ気が済まないんだよお!」

 赤ら顔の男はいきりたって叫んだ。

「だったら、お前も人殺しだな。」

「何だと!?」

 青年は、少女の方に近付いて来たが、村の者に行く手を阻まれた。

「何する気だ?まさかあの娘を助けようってのか?」

「あんたらがやめそうにもないからな。」

 村の者は、青年を突き飛ばそうとしたが、何故か体がその通りに動かなかった。まるで、見えない力に押さえつけられているかのように。

 青年は、少女を縛り付けていた縄を解いた。

 少女は、戸惑ったようにして青年を見上げていた。

「この野郎!」

 赤ら顔の男が、群衆の中から飛び出してきた。そして、青年に殴りかかったが、一瞬、びくりと怯えたような顔つきになって、動きを止めた。

 何か、恐ろしいものが、青年の背後から飛び出してくるような感覚を覚えたのだ。

 青年は、無表情で赤ら顔の男を見ていた。

「くそ!お前も魔物の仲間だな!」

 赤ら顔の男は、石を拾って青年に向かって投げつけた。石は青年の額に当たって、額から細く血が流れ出た。

「ははは!ざまあみろ!!」

 それに続いて、人々は青年に石を投げ始めた。

 青年は石の雨を浴びながら、少女を抱きかかえてその場を走り去った。


 村から離れた川原まで逃げて来た。

 辺りはすっかり暗くなっていた。

 青年は、血だらけになった顔を、川の水で洗っていた。

 少女は困ったような顔で、青年を見ていた。

「お前はもう自由だ。ただ、あの村には近付かない方がいい。」

 青年は振り向きもせずに言った。

「お前は村人を刺激してしまう。」

 少女は黙っていた。ただ、おどおどと、青年の様子を窺っていた。

「…自分でも気付いていなかったんだな。魔物に変身しちまうってことに。」

 青年は振り返って、少女を見た。

「さっき、魔物の姿になったお前の心に話しかけた。魔物のお前の心は、滅茶苦茶だった。それをどうにか鎮めたんだ。だからもう、お前は魔物には変身しないだろう。」

 青年は少し考えてから、言った。

「ここから少し遠いが、お前にはうってつけの村がある。そこに行けば、お前も自由に暮らせるだろう。」

 少女は顔を上げ、大きな目で青年を見つめた。

「ただし、住んでいる者は人間じゃないがな。」

 にやりと青年は笑みを浮かべた。

「まあ、行けば分かるさ。」

 青年は、肩から提げていた袋から毛布を取り出して、少女に投げた。

「とにかくもう寝ろ。」

 ごろりと青年は横になったかと思うと、すぐに寝息を立て始めて、眠ってしまった。

 少女は毛布をじっと眺めていたが、嬉しそうに微笑み、毛布にくるまって眠った。

 温かい。

 今まで感じたことのなかった心地よい感触に、思わず涙がこぼれた。


 朝になった。

 少女が目を覚ましたときには、一人だった。

 青年の姿がない。

 心に冷たいものが走って、少女は毛布から飛び出し、辺りを見回した。

 しかしすぐに、その不安はなくなった。

 林の中から、青年がふらりと現れたのだ。

 手に果物や草を持っていた。

「食べられそうなものがないか探してたんだ。俺は、肉は食わないんでね。足りなかったら、また取ってくるか?近くに、桃の木があったよ。」

 青年はいくつかの果物を少女に渡して、自分は雑草のような草をばりばりと食べ始めた。

 少女は涙を流した。ほっとしたのと、嬉しさで。

「…ひどい姿だな。」

 青年は、少女をじっと見て、ぼそりと呟いた。

 少女の顔は黒く汚れていて、その中で大きな目だけが光っている。髪はぼさぼさで、服とも呼べないようなぼろきれを身にまとっている。

「俺にも、お前が何者なのか分からんが…、普通の人間でないことは確かだな。」


 夕方近くになって、小さな町に着いた。

 少女は、怯えたようにして、青年の腕にしがみついていた。

 小さな町とはいえ、今までいた村よりもはるかに人が多く、様々な建物が立ち並んでいる。

 それらを、まるで恐ろしいものでも見るかのような目で、少女は見ていた。

「こいつを、綺麗にしてやってもらいたいんだが。」

 青年は、宿屋の主人に、金の入った袋と一緒に少女を押し付けた。

「はあ…。」

 訝しげに、宿の主人は、真っ黒い体をしたぼろきれのような少女を見た。少女はびくりとして、青年の後ろに隠れようとしたが、既に青年の姿はなかった。

 風呂に入れられ、全身を洗われて、清潔な白いワンピースを着せられると、少女は見違えるほど綺麗になった。

 ぼさぼさだった黒い髪も、肩よりも少し短めに、きれいに切り揃えられた。

 白い肌に、大きな黒い目と、赤い唇。

 鏡の中に映っている自分の姿を、少女は不思議そうにして見つめていた。

 そして、やっと青年のいる部屋に連れて来られた。

 青年の姿を見て、少女はほっとした。

「人間らしくなったじゃないか。」

 青年は、少女を見て笑った。

「あの姿じゃ、誰にも引き取ってもらえなかっただろうな。」

 人形のように、少女は黙って青年を見つめている。

 何か言おうとしているようにも見えた。

「…俺は魔物の心を読めるんだが、人の心はさっぱり読めないんだ。」

「ア…ア…。」

 少女は何か言葉を発しようとしていた。

 長いこと、言葉を話していないかのようだった。

「アリス…。」

 やっとのことで、少女はそれだけを言った。

「…それがお前の名前なのか?」

 こくりと少女は頷いた。

「俺はフィン。」

「フィ…ン…。」

「変な名前だろ。アリスってのは、なかなかいい名前じゃないか。」

 アリスは、少しだけ微笑みを浮かべた。

「俺の言ってることは分かるんだな。ただ、しゃべってなかっただけで。」

 アリスは、大きな目から、大粒の涙を流した。

「な、何だ?何か悪いことでも言ったかな?」

 フィンは少し、戸惑ったようにまばたきした。

 泣きながら、アリスはフィンに抱きついてきた。

 言いたい言葉があるような気がしたが、出てこなかった。

 ただ、涙がとめどもなく溢れ出てきて、止まらなかった。

 抱きついたフィンの体は、温かかった。

 長いこと、感じていなかったぬくもりが、アリスの体を包んだ。

 そのまま、アリスはいつしか眠りに落ちていった。


 翌朝。

 宿を後にした二人は、目的の村の近くまで、馬車で行くことにした。

「一体、どこへ行こうってんです?ここから先は、何もありやせんぜ。」

 御者の男は、フィンとアリスを訝しげに見て言ったが、フィンから金を受け取ると、それ以上何も聞いてはこなかった。

 馬車の中でも、アリスはフィンにしがみついていた。

 それを特に気にしたふうもなく、フィンは馬車の窓から外を眺めていた。

「昔、この辺にこんな大きな町なんてなかったんだけどな…。」

 フィンは呟くように言ったが、アリスは外も見ず、ただフィンにしがみついて目を閉じていた。

「…アリス。」

 フィンに呼びかけられると、アリスは顔を上げてフィンを見つめた。

「心配するなって。今度の所はお前を受け入れてくれる。誰もお前をいじめたりしないさ。」

 潤んだ漆黒の大きな瞳は、何かを訴えるようにフィンに向けられていた。

 そして、アリスは首を振った。

 一層強く、フィンにしがみついて離れない。

「…参ったな。」

 フィンは困ったような顔をして、アリスの頭に手を置いた。

 過ぎ去っていく景色は、青空からだんだんとオレンジの夕日へと、その色を変えていった。


 夜に変わる手前の、紫の空の時刻。

 馬車は二人を降ろして去って行った。

 二人が降りた場所は、寂しい山道の手前だった。

「ここまで来ればもうすぐだ。さすがに馬車で行くわけにはいかないからな。ここからは歩いていくしかない。アリス、歩けるか?」

「…うん。」

 フィンの手をしっかりと握り締めながら、アリスは頷いた。

「村は山奥の谷にある。隠れ里みたいなもんだ。俺みたいな旅人にしか、知られてない秘境さ。最も、俺くらいだろうけどな、あの村に二度も足を踏み入れるのは…。」

「こわい…。」

 アリスは立ち止まった。

「別に怖くはないよ。ただ、あの村は…。」

「やだ。」

 アリスは、下を向いてしまった。

「あのな…。」

「や…だ!行…きた…く…ない!フィン…と…いっしょ…がいい!」

 突然、アリスは感情を爆発させるように叫んで、フィンに抱きついた。

 暗闇が濃くなってきた。

 フィンは、目の前の子供を、どうしたらいいかと戸惑っていた。

「アリス…俺はお前と一緒にはいられないよ。お前はこれから、新しい村で暮らすんだ。そりゃあ不安かもしれないが、俺なんかよりもずっと、親切な人がいる。」

「フィンがいい!」

 アリスは泣きじゃくった。

「フィン…と…いっしょ…じゃなきゃ…やだ!!」

 アリスはその場に座り込んで、大きな声で泣いた。

 その泣き声だけが、辺りに響き渡り、夕闇に吸い込まれていった。

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