憧れの推し

岡本紗矢子

第1話

 霊が、見えるようになった。

 いつからそうなったのか、よくわからない。私は24歳女、職業・アーティスト……と名乗れるようになるために、頑張って絵を描いている。今までそれらしいものに遭遇したことはなかったし、「20歳まで見なかったら見ないよ」なんて聞いてたから、私はその手のものとは無縁と思ってきたのだけど、修行も兼ねて似顔絵イラストレーターをやるようになってから、そのへんに「実は生きてない方々」がいっぱいいることに気が付いた。

 似顔絵やるときは、人のいるところに出る。イベントで描くにしろ、公園の片隅に個人で出店させてもらうにしろ、まあまあにぎわってるところに場所を取る。とはいえ、私の前にお客さんが列をなすわけでもないから、大半のヒマな時間をやり過ごすために、行き交う人を観察している。たまに目を引く人がいたら、ささっとスケッチさせてもらったりも。

 それをやってるうちに、ふと思うようになった。これ、おかしくない?と。というのは、ある日見返したスケッチブックの中にいた人たち――つまり、私が目を止めた人たちの服装や髪型は、異様なまでに時代がバラバラだったから。いや、まあ、今どきコスプレは珍しくないし、バブルも遠くなった頃にバブリーダンスなんてのを踊ったダンス部の話も聞いたことがあるけれど、イベントでもないのに駅前ロータリーを鎧武者が歩いていたり、もんぺのおばさんが都市公園のベンチに座ってたりするのは、さすがに不思議。そして、「いつ行っても必ずいる人」が、気づけばあちこちに見かけられるのも――。

 告白する。怖くない。どころか、私は霊感に感謝して、霊ウォッチングをするまでになってしまっている。

 だってさ、その時代のナマの人だよ。私、服飾大百科みたいなの好きだった。それに、昔の人の雰囲気もいい。お侍さんのきりりとした空気感、昭和初期くらいの方と思われる男の人のなんともいえないダンディさ、小洒落た大正ロマンなお姉さん。あんな感じって、今の人は出せないんじゃないだろうか?

 いまや数人の推しすらいる。見えるがゆえの眼福、幸福に、私はいつも笑んでいる。残念なのは、これをわかちあえる人がいないことだけ。


 今日も、そこに推しがいる。私の憧れの君。

 私は缶コーヒーをひとくち飲んで、スケッチブック越しにそっと「彼」をうかがった。

 良く晴れた空の下、広大な芝生の広場の端っこで、彼はいつものようにたたずんでいた。

 服装は着物。袂に手を入れ、考え事をするように瞳をうすく曇らせ、でも時々軽くほおをこするようにしながら、じっと立っている。かと思うと、たまにゆっくり歩き出し、どこともなくあたりを見回して、元の位置に戻る。

 彼がどんな人で、どんないきさつでここにいるのか。それがわかるほど、私の霊感は磨かれていない。でも、絶対に最近の人じゃないのは、身につきすぎた着物姿を見ればわかる。髪は短髪だから、たぶん明治以降の人かな?

 いいんだよなあ、このなんていうのか、そう、太宰っぽいたたずまい。そして今基準でも十分に整ったお顔立ちも、とてもいい。あーもう、ほんと一生見ていたい。

 ふい、と風が吹いたような気がした。

 私は基本、こっそり霊をガン見したとしても目は合わせない。彼らと私は違う世界にいる、関わっちゃいけない、そこはわきまえているつもりだから。だから本当なら今は、顔をふせなければならないところだったんだけど――失敗した。

 風のようなものを起こしたのは、彼。ゆらゆらと歩き、あたりに視線をさまよわせていた彼が、それを私に固定したのだ。

「あ――」

 目が、合ってしまった。

 彼はゆらりと向きを変えた。いつも向かっていく方向から、私に相対するように、まっすぐに。

 一歩めが踏み出される。狭い歩幅だが迷いのない足取りで、彼はひたひたと間をつめる。目はぶつかったままだ。彼はそらさないし、私もそらせない。

 やがて彼は、折りたたみ椅子に座る私のつま先に、自分の草履の先がさわるくらいの位置に来た。

「こんにちは」

 彼は身をかがめる。顔が近づく。

「……こん、にちは……」

 答えてしまった。かすれ声になる。彼は透き通った瞳で私の目を見つめる。まばたきしない。

「やっと話せる人がいました。難儀していました、助かった」

「……」

「僕は散歩をしていたのです。新しくできた店にあんぱんを買いに出て、神社に参って桜町まで帰るつもりが、どうも道に迷ってしまったようです」

「……」

「あなたは笑月パンをご存じないですか」

「笑月パン、お店ですか……」

「そうです。笑月パン……しょうげつ……あんぱん……パン……ア……」

 突然、綺麗だった瞳が剥き出しになった。

「あ、アァ……どこですかここは」

 血走った白目の中に浮き島のようにゆらめく黒目。しかし視線はつきささる。私からはそれない。

「どこですか……どこですかあんぱんは笑月堂は、どこですか神社は桜町は、さくら、さくらさくらサクラ、サク」

 彼は額を私に触れさせる。

「僕はどこですか」

 至近距離の彼がそこにいた。こんなに変化するものかと私は思った。静謐で大人らしい文豪の空気は妖怪画のそれに転じ、くしゃりとしたやわらかそうな髪は空にざわめいて。ああ、霊とは可変自在か。こんなものが見えるとは、なんて――なんて。

「どこですか、ドコデスカ、ドコ…ドコ…」

 なんて、幸運なんだ。

「わかりました」

 私は椅子から立ち上がる。驚いたのか、彼は少しうしろにのけぞった。そののけぞりに、私はついていく。私から額を合わせる感じになる。

「わかりました。笑月パンに、神社でしょ? 私、知ってますよ。ここがどこかも知ってます」

 笑月パンは、老舗になっちゃってるけどさ。

「行きたいとこ、行こうよ」

 手を伸ばした。彼の腕のあたり。指が彼を示す「領域」にタッチしたとき、彼は少し震えたように思えたが、私はかまわず、感触のない彼の腕を抱えた。

 笑ったせいだろうか。彼の妖怪感がすうっとおさまる。歯が見えた。ぎこちなく控えめな、でもやわらかな、春のような笑み。


「ありがとう、助かります。今時分は、桜はもうきれいでしょうか」

「そうだねー、神社はたくさん咲いてるよ。桜町の堤も寄ろうか」


 推しに話しかけてもらえちゃった。

 しかも一緒に歩けちゃう。最高。


 こんなふうに考える私、きっと霊より怖いよね。

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憧れの推し 岡本紗矢子 @sayako-o

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