ウグイスとメジロ

此糸桜樺

 小ぶりの枝に梅が三つ。ぽつりぽつりと間隔を空けて、これまた一つと花がほころぶ。

 しなやかに伸びる褐色の枝には紅梅。隣の木には白梅。

 ふわりとただようは甘やかな香り。

 一つの枝に欲張りすぎず、奥ゆかしく咲きながら、その花の間を春風が通り過ぎてゆく。


 梅の枝に座ってしばし羽を休ませていた小鳥は、思うところあって、ちょいと薄浅葱の空へ羽ばたいた。煙をまいたようにうっすらと宙の向こうが見える、透けた雲。高く昇った橙の太陽と、肌をかすめるような穏やかなそよ風。


 そんな、絵に描いたような晴れの空を横切るのは、明るい抹茶色をした小さな鳥――メジロである。


 ほうほけきょ。


 メジロが小さな羽を一生懸命に動かして飛んでいれば、春の訪れを告げる季節の風物詩が耳に入った。その声を聞けば、誰もが耳をすまし、いよいよ冬も終わりが近いかと勝手に想像を膨らませる。

 鳥なら一度は「ああなりたい」とあこがれ、鳴禽なら一度は「こうなりたい」と尊敬する。

 日本三鳴鳥のひとつ――うぐいすである。


「鶯の初鳴きはやっぱり美しくないわね」


 メジロはしみじみと呟いた。メジロがこんなことを言うのは失礼な気もするが、紛れもない事実なのだから仕方ない。

 鶯の初鳴きは、正直下手なのである。

 実際、あちらこちらで「ほう」だの「けきょ」だの、不完全な鳴き声ばかり響いている。一匹がやっと「ほーうけきょ」などと鳴けば、三反先の別の鶯のもとまで届き、辛うじてマシな鳴き声が連鎖していくレベルである。


 またどこかで別の鶯が鳴いた。これはあまり上手いとは言えないが、余韻を残す語尾がなんとも優雅で落ち着いていた。何度も鳴いて慣れてくれば、粋な歌声を披露してくれるのではなかろうか。


 次に鳴いた鶯の声は、なかなかの美声であった。これには素人のメジロなんかだけでなく、鶯の雌なんかも「おっ」と振り向くのではなかろうか。


 ほっ、け、きょ。


 しかし、どうしても下手な鶯が一羽だけいた。

 普通、最初どんなに下手な歌声をしていた鶯でも、練習を重ねればだんだんと上達するはずである。仲間とともに切磋琢磨し、互いに鳴き声の質を上げていくからだ。

 全ては繁殖のために。自分の子孫を残すために。雌に選んでもらうために。雌を、他の雄に取られないようにするために。


 そんな中、何年経っても少しもまともに歌えない鶯がいた。

 メジロは藪の中をひゅんと飛び、歌に苦戦しているであろう鶯を探した。広大な山の中、探すのは骨が折れる作業かと思ったが、彼は思いのほかすぐに見つかった。


 ほっ、けっ、ほけ、きょ。


 去年と同じ、どうにも美声とは程遠い歌声である。途中で声がかすれたり、音程がずれたりしている。


「相変わらず下手ね」


 メジロが言えば、ウグイスは少しムッとしたように、口を尖らせた。


「うるせえ」


 ウグイスは何度も鳴いた。仲間の声を聞いて、慎重に音程を確めた。力いっぱい「ほう」と鳴いてみたり、力を抜いて「ほぅ」と鳴いてみたり。試行錯誤を繰り返しているようだった。


「誠実さが足りないのよ」

「なんだそりゃ」


 しかし、このウグイス、その毛並みだけは実に見事であった。

 暗い緑茶色の羽は、グラデーションのようにはっきりとした濃淡があらわれ、体は健康的につやつやと輝いている。尾は長くしなやかに伸び、ただでさえ華奢な体がより一層スマートに見えた。


 近づいて見れば、他の鶯の羽色とはまるで違うことが一目で分かるほどだった。

 しかし、雌に好かれる条件は、美しい歌声を響かせること。毛並みなんて気にしている雌の鶯など、一匹たりともいない。


 メジロには、それがひどく残念であった。


「そうね、例えばね、儚さとか哀愁とかを思い浮かべてみたら? 色っぽい鳴き方ができるようになるかもよ?」

「はあ?」

「乙女心の分かる雄はモテるわ。明るさと切なさ。この対比が肝よ」

「メジロのくせに生意気な」


 ウグイスは呆れたような表情を浮かべながら、再度鳴き始めた。美しいとは言えないが、柔らかい声音になるよう努力しているのは分かる。

 メジロはじっと黙って聞いていた。


 一つの目標に向かって、地道に努力を積み上げていく……。そのひたむきな姿勢は、メジロにとって好ましいものだった。

――自分も鶯であったなら。

 ふと脳裏をかすめるそんな考えに、メジロはふるふると首を振った。



 梅の時期が終わり、桜の季節へと移行する、春の盛り。

 メジロやウグイスの住む山では、山桜が満開を迎えており、鮮やかな薄紅色が木々を彩っていた。

 枝にかかるは桜色の雲。

 ほんのりと染まった花弁は、春霞のごとくやわらかに咲き乱れている。


 メジロは、ウグイスの縄張りである藪の手前で一旦止まると、すんと耳をすませた。


 ほーうほけきょ。

 澄んだ歌声が山のあちこちから聞こえる。最初の「ほ」は柔らかに、伸ばし棒のところでデクレッシェンドに、「ほけきょ」は潔く。

 鶯の鳴き声は、雌への求愛行動か縄張り意識から歌われるもののだ。そのため、この時期しか聞けない貴重なもの。

 この歌声が、もし私に向けられたものであれば……とひとり落胆したりもした。


 ほっ、けっ、ほけきょ

 その中でひときわ目立つ鳴き声の鶯が一羽いた。

 いたいた、とメジロは呟くと、小さな羽を忙しなく動かし、その鳴き声のほうへ飛びたった。

 もちろん、例の歌が下手なウグイスである。


「ふふふ、一番下手な鳴き声のもとに来てみたら、やっぱりあなた」

「あ? なんか文句あんのか?」


 ウグイスはじろりとメジロを睨んだ。しかし、メジロがずっとにこにこと笑っているせいで、言い返す気力もなくなったようだ。ウグイスはぷいとそっぽを向いてしまった。


 ウグイスの羽は先程のにわか雨に濡れ、かすかに光沢をまとっているように見えた。

 夜の森で幾重にも枯葉を重ね、うっすらとした霧をかけたような――暗い緑茶色の羽。

 地味ながらも、わびさび感のある落ち着いた色合いである。


 メジロは明るい抹茶色をしていて、どちらかというと可愛らしい色合いをしている。それに対して、鶯は皆パッとしない地味な色をしている。

 しかし、メジロはウグイス……いや、の羽が好きだった。


 鳴き声が上手くなくても。話し方が乱暴でも。

 この歌の下手なウグイスの、しっとりと重みを帯びた羽は、唯一無二の美しさを誇っていた。


 そして、その美しさは、メジロしか知らないものだった。


 

 ある日、メジロが山桜の蜜を吸っていると、ヒヨドリがひょいと飛んできた。ヒヨドリは、メジロよりもひとまわりもふたまわりも随分と体が大きい鳥である。そして付け加えるなら、ちょっと意地悪な鳥だ。正直なところ、メジロはあまり好きではなかった。

 せっかくいい気分で食事をしていたのに……と、メジロは一瞬むっとしたが、変に関わらないほうがいいだろうと思って、そのまま知らん振りを決め込んだ。我ながら捻くれた性格はしていると思うが、誰彼構わずちょっかいを出すほど、性悪女ではないのである。

 大人しく蜜を吸っていると、突然、どんっ、と思い切りヒヨドリが体当たりしてきた。驚いてヒヨドリの顔を見れば、ヒヨドリはふてぶてしい態度でちらりとメジロを睨んだ。


「あぁ、メジロかぁ。いたんだぁ?」


 ヒヨドリは、のんびりとした口調で言った。しかし、明らかにメジロを見下した物言いをしている。


「なによ。あなた気付いてたでしょ」

「んん? なんか言ったぁ?」

「わざとぶつかってきたんでしょ、って言いたいの! あなた失礼よ!」

「んー? なぁんにも聞こえないわぁ」


 メジロはスズメよりも小さい、本当に小柄な非力な鳥だ。メジロがどんなにくちばしを必死にパクパクと動かしても、ヒヨドリはわざとらしく「なにぃ? 聞こえないけどぉ」とせせら笑う。

 そして、ヒヨドリは再度メジロに体当たりすると、「ここの密は私がもらうわねぇ」と意地悪く宣言した。


「……弱いものいじめは、やめろよ」


 そのとき、どこかの木の上からぶっきらぼうな声が降りかかった。


「んん? だぁれ?」


 ヒヨドリは山桜の枝に止まり、きょろきょろと当たりを見回した。


「……ここ、柿の木だ。あんまりメジロをいじめるな」

「あぁ、そこねぇ。ウグイスかぁ」


 ヒヨドリは興味なさげにウグイスを眺めた。

 ウグイスは、スズメと同じくらいの大きさをしている。メジロよりは大きいが、ヒヨドリと比べると小さい……。その程度の差異であった。しかし、ヒヨドリはウグイスに嫌がらせをするつもりはないようだった。メジロのことを相当馬鹿にしている証である。


「ふぅん。ウグイスならちょっと鳴いてみてよぉ。春の風物詩だもんぇ。わたし、好きよぉ?」


 ヒヨドリはゆったりとした口調で微笑んだ。我が物顔で山桜にどっかりと座ると、もうメジロのことなんて見ていないようだった。

 仕方なく、メジロはヒヨドリから一番遠い枝に座った。時折、居心地悪そうにもぞもぞと足を動かしたりもした。


 ヒヨドリの言葉に、ウグイスは渋々といったように「ああ」と頷く。喉を大きく膨らまし、空気を体に取り込んだ。


 ほーっ、ほけっきょっ。


 ずたぼろの歌声である。周りで鳴いている仲間のウグイスとは似ても似つかない。

 ヒヨドリは「あらぁ」と目をぱちくりさせると、瞬間、明らかに嘲笑うような顔でウグイスを見た。


「それじゃあ繁殖相手も見つからないだろうねぇ。練習でもサボっていたのぉ?」

「いや、していたが」

「それじゃあ、才能がないんだねぇ。ウグイス失格なんじゃなぁい?」


 その瞬間、メジロの胸に怒りが湧き上がった。

 ウグイスは毎日一生懸命努力している。一向に上手くならない鳴き声を、何度も何度も繰り返して、少しでも上達するよう頑張っている。


 それなのに、この意地悪なヒヨドリごときに貶されるなんて。そんなの許せない。


「なによ! あなたに何が分かるっていうの!」


 メジロは小さな体で、ヒヨドリに体当たりした。しかし、ヒヨドリは軽く顔をしかめただけで、全くダメージを食らっていないようだった。


「なにすんのぉ」

「ウグイスの悪口を言わないでほしいわ! 毎日の努力を知りもしないで!」

「努力ねぇ。鳥の運命なんて、繁殖に成功したか否かが全てだと思うけどぉ?」

「そんなこと言わないでっ!」


 メジロは、ヒヨドリの喉に思い切り噛み付いた。ヒヨドリは「痛っ」と言うと、メジロを突き飛ばしながら、憤慨した表情を見せた。


「……なぁに、やるのぉ? メジロに勝ち目なんてないわよぉ?」

「そんなの関係ないわっ!」


 ヒヨドリとメジロは取っ組み合いになった。

 メジロはすばしっこくヒヨドリの目の周りを飛び回り、なんとかくちばしでつついて攻撃しようとする。


「お、おい……やめろって」


 柿の木から、ウグイスの焦ったような声が聞こえる。


「邪魔しないで! 私は怒ってるんだから!」

「でも、お前に勝ち目なんか」

「勝てなくてもいいの! 私は、あなただけの美しさを知っているわ。歌声は下手でも、それが全てなんかじゃない! 私は怒ってるのよ!」


 しかし、メジロよりも何倍も大きいヒヨドリは、次第にメジロを追い詰めていった。メジロの体は何度も桜の枝に打ち付けられ、旗目から見ても体力が消耗しているのが分かる。


「私は! あなたの羽が……毛並みが……好きだった……」


 ヒヨドリは、空気を切り裂くような鳴き声とともに、乱暴な羽音を立てた。

 どんっ。二匹はもつれ合うようにして、地面に落ちていった。


「メジロっ! ヒヨドリっ!」


 ウグイスは叫んだ。しかし、憤慨した様子のヒヨドリに、その叫び声は届かない。


 ヒヨドリはメジロの胸めがけて、くちばしを立てた。


――だめだ。やられる。


 メジロが死を覚悟した、そのとき。頭上で、ウグイスの悲しそうな表情が目に入った。


 ウグイスの喉が大きく膨らみ、山に一瞬の静寂が広がる。

 雲に隠れていた太陽が顔を出し、そっと三匹の鳥たちを照らす。

 桜の花びらがひらりと舞い、メジロの傍らに静かに落ちる。


 ほうほけきょ。


 その声は、泣きそうなくらい優しくて、泣きそうなくらい苦しげな響きだった。

 おそらく、この山の中で一番美しく、悲痛に満ちていた。





 メジロはもう、動かなかった。


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ウグイスとメジロ 此糸桜樺 @Kabazakura

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