カフェ『ふりーどりひ』第二講

あんどこいぢ

カフェ『ふりーどりひ』第二講

カフェ『ふりーどりひ』の常連客たちが今週に入り妙にザワついている。


まず波紋は英正大学文学研究会OBたちのあいだに広がり、続いて数少ない同サークルのOGたちのあいだに広がっていった。


六〇年代末パリ五月革命以降の世界に生き、建前上はリベラルな諸社会運動にも接しているはずのインテレクチュアルズの態度としては如何いかがなものだろうか? とも思われるのだが、要するに原因は、金髪碧眼の美女の唐突な出現だった。


Ольгаオリガ Хабароваサハロワ──。


いまや全世界の敵になってしまっているロシアからの留学生で、日本文化に“あこがれ・・・・”を抱き、れいの侵攻前からこの国で暮らしていたのだという。


金髪碧眼の美女という評判だったがその点こそまさにこの店につどう男たちのダメダメなところで、彼女の髪の色は赤味がほとんど観られないブラウン、瞳の色もまたどうようだった。


欧米では赤毛は差別され、その辺が『赤毛のアン』などという作品の借景にもなっているようなのだが、彼女はその無彩色っぽいブラウンヘアをコンプレックスに思っているということだった。


とはいえ眸パッチリ、鼻すじスーッといった感じで、なんだかんだいって白人かぶれ・・・のこの店の常連客たちには是が非でもお近づきになっておきたい対象なのだった。ところが……。


先週末の閉店間際、積もりこそしないが冷たい雪の荒天を押し白い息を吐き吐き飛び込んできた彼女には、すでに御指名がいたのだった。


それがこの店のママのヒモだというもっぱらの噂で、なおかつ最近、大学院博士後期課程のとある・・・“才媛”ともお近づきになっているという噂の飯島という男だったので、要するに他の男たちは、拗ねてしまっているのである。


さらに彼が女性たちを口説く手口が彼らの顰蹙ひんしゅくを買っていた。端的にいって彼はヲタクなのだが、表象文化学科だとか映像表現学科だとか、近頃の妙にくだけた・・・・文系新興学部、学科の講師辺りの使い走りをしつつその講師たちの教え子たちを次々“喰って”しまっているのである。


オリガ初登場からほぼ一週間──。時刻もちょうど閉店間際のこんな時刻だった。英正大学文学研OBたちの愚痴が盛りあがっている。


「冗談じゃないよっ。あいつのヲタク知識なんて実は大したことないんだよっ。ホラー映画関連の知識だってサイレント時代から押さえてるってわけじゃないし、SF映画っていったってウォシャウスキー姉妹はどうもね、なんていっちゃってるしっ──」

「飯島さん、丹生谷さんのイーストウッド論なんかにもナマいっちゃってたなァ。あんなこと西部劇一般に対しいえることだよ、なんなら大御所ジョン・ウェインに対してだっていえることだよ、なんてさっ。最新の批評理論ではそんな一般化よりむしろ差異化、……っていうか差延とか襞とか裂け目とかってことのほうが重要なんだけどねっ。やっぱ彼には、いやなぜか彼だけには、大きな物語の終焉がこなかったんだろうねっ」

「ホント、古典の知識が、特に映像面での古典の知識が決定的に欠如してんだよなっ。あれも未視聴これも未視聴ッ──。俺映画とかは単なる趣味で観てるだけだから、君がいう基本コンテンツとやらを無理して観るくらいならお気に入りのヤツをもう一回観るね、だってさっ。しかもそこに差異と反復なんて話持ち込んできちゃってさっ──。ああいう半可通が最新の批評理論、お茶にしちゃうんだよなっ。あれってやっぱワザとなのかねっ?」


彼らはカウンター席から一番離れたトイレの傍のボックス席でそんな会話をしているのだった。何しろ問題の男、取り敢えずママの? あるいはマスターの? ヒモだという噂まであるのだから……。


いっぽうカウンター席に陣取るのは先述の“才媛”堂坂美弥と、そして一応このカフェの店長? ……らしい綿貫志麻だった。


美弥は知的な割りに頬や唇が妙に色っぽいアラサー美人──。志麻はおっとり・・・・した塩顔が魅力のアラフィフ美人──。


実は常連の男たちはこの二人のことも気になって仕方ないのだが、フランス現代思想的大言壮語以外自分たちの魅せ方を知らないのである。


そうしてこちらの会話はどうも途切れ勝ちだった。美弥が溜め息を吐きつつ零す。


「今夜もうえの部屋でオールナイト映画鑑賞会ですかね? それともやっぱ、あっちの席の男たちみたいにガイジンさんの魅力には抗えず……」


飯島はこのカフェのうえのアパートの住人なのだ。志麻がフッと笑顔で応じる。


「そうね。何しろ『巨獣特捜ジャスピオン』一気観するって話だったから、完走にはまだちょっとかかるんじゃないかな?」


ヲタク知識といってもそれはさすがに論文になりそうにない対象だった。とはいえオリガがこの店に飛び込んできたのはそれが理由だったのである。飯島のヲタク知識の影響で美弥にも多少そういった知識が身についていた。彼女にとってはあまり嬉しくない話だったのだが……。


「東映のメタルヒーローについての研究でしたね? あとがきに彼に対する謝辞が書かれてあって……」

「東映メタルヒーローの時代、バブルの形成・爛熟・崩壊とヒーローたち、だったかな? 手伝いはしたけどその本の主張に関して彼、もし俺が同じようなこといったら相変わらずの経済決定論か、なんて馬鹿にされること請け合いだよね、なんていってたっけ……。ウルトラマンは重厚長大、結局高度経済成長期のヒーロー──。戦隊モノはその後のトヨティズムかなんかが背景でって……。まぁQCサークルとかね。昭和ライダーの扱いが高度経済成長期の負の側面の反映だなんて纏め方にも不満があるっていってた……」

「それってちゃんと学術書になってるんですか?」

「ウーン、どうかなァ?」

「でもそのガイジンさん、それで論文書くつもりなんですよね?」

「ウーン、それもどうかなァ? それにロシアで『ジャスピオン』が流行ってたなんて話、あんま聞かないけど……。それって確かブラジルかどっかの話だったんじゃないかな? でもとにかく彼女、いまは関西にいるその本の著者の講義にでかけていって、そこで彼の立ちまわり先、聴いてきたんだって……」


問題の批評理論は“対象を聖典キャノンに限らない”、というのだが……。少なくともれいの文学部唯野教授の言葉として“だからって『少年ジャンプ』でいいってわけじゃないんだからさァ”、といった趣旨のリマークスが残っている。

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