社長室

 MCEビルの最上階。展望台のような部屋の窓辺で、一人の女が都心を見下ろしている。


「お話があります。社長」


俺は彼女の背中に向けて言い放つ。スーツとハイヒールのよろいを着込んだ彼女が、今の俺にはRPGのラスボスのように見える。


「どうしたの?ビャクヤ」

「……ズキアにあんな事をしておいて、よくそんな態度でいられますね」


社長が振り向いた。加齢に抗う化粧の下で、ギュッと眉間にシワが寄った。


「『あんな事』って?」

「とぼけないでくださいよ。先月のレコーディングの帰り、あなたがホテルにアイツを連れていって……」


俺は懐からUSBを取り出す。


「週刊誌に画像を渡しました。各所のインフルエンサーにも、同じものを……」

「知ってます」


彼女はデスクから紙を取り上げ、音もなくこちらに歩いてくる。


「だって、もう見たもの」

「これは……!」


彼女が俺に突きつけたソレは、週刊誌の原稿ゲラだった。


「甘ちゃんだね。ま、学がないからしょうがないんでしょうけど」


彼女の耳元でイヤリングのチャームが小刻みに揺れる。嘲笑ちょうしょうされているんだ、俺は。


「ホント、良く出来た

「本物だ!……アンタが、一番良く知っているはずだろ」

真贋しんがんを決めるのは世間。私じゃないし……。ましてや、あなたでも」


社長が原稿を破り捨てる。


「印刷は止めさせたから。この記事が世間に出回る事は無い。決して」


指先から体温が引いていく。カラカラに乾いた喉が音を成さない呼気を絞り出す。


「選びなさい、ビャクヤ。そのUSBを渡して『退所』するか、MCEに訴訟そしょうを起こされるか」

「……俺がいなくなったら、事務所も無傷じゃ済まないでしょう?」


言葉を絞り出した。俺に切れるカードはこれしか残されていない。


「いいえ。全然」

「えっ?」


社長の返答が、俺にとどめを刺した。


「これを見なさい」


書類の束が投げつけられる。


「『5-Stersフィフスターズ』……?」

「来月メジャーデビューさせるアイドルユニット。あなたたちの弟分……いえ、完全上位互換グループね」


『五人グループ』『MCEスクールの卒業生と、オーディションを勝ち抜いたメンバー』『オーディションの過程はネット番組で配信され、最大200万再生を突破』


「全員アラサーのI-MENZは、もうとっくに長期滞留の見切り品なの。新商品を投入して市場を活性化させていかないと」


めまいがする。呼吸ができない。突きつけられた全ての事実が、俺に勝ち目が無い事を示している。


「どうぞ、心置きなく辞めてちょうだい」


俺の世界が、崩壊した。


 震える手でUSBを手渡す。手のひらはぐっしょりと汗で濡れていた。


「ありがと」


彼女はUSBを床に叩きつけ、ハイヒールでそれを強く踏みにじる。氷を踏み抜いたような小さな破壊音が響いた。

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