だから今日も、私は憧れのアイドルを続けていく

縁代まと

だから今日も、私は憧れのアイドルを続けていく

 千年前に魔導師たちが争った結果、人間社会に様々な因子を持った子供が生まれるようになり、紆余曲折あったものの今では日常の一端として受け入れられている。

 私、速水速女はやみはやめはセイレーンの因子を持って生まれてきた。

 下半身は魚だけれど、父親が人間なので人間の足にも変化させられる。


 そんな私の小さな頃からの夢はアイドル!

 あと――お金を稼ぐこと!


 クラーケンの因子を持つアイドル、飯倉いいくらチョコちゃんに憧れてアイドルを目指していた。しかしセイレーンは歌に魅了効果を持つという特徴があり、足を変化させてもそれはなくならない。

 セイレーンは生まれつき美声を持つ天性の歌姫だ。


 そんな才能を活かせば一攫千金も夢じゃないけれど、それはもうひとつの夢とバッティングしてしまう。

 魅了の力でアイドルとして大成しても意味がない、というのが私の正直な気持ちだった。


 そんな時『下手に歌えば魅了の効果がなくなる』とわかり、歌が上手くなるためではなく下手になるためのレッスンをすることで問題を解決した。

 アイドルとして問題にならない程度の歌声は必要なため、その微妙なラインを維持する大変さはあったけれど、アイドルの道を諦めなくていいなら苦じゃない。


 ふふふ、それにこれでアイドル業でお金を稼げる。

 つまり夢で夢を叶えられるわ!


 こうして私は水系アイドルグループ『ウオノメ』としてデビュー。

 出オチじみたグループ名に反してガチの曲がウケて人気に火がつき、今では目を瞠るほどのファン数を獲得していた。


 そんな時、マネージャーが言ったのが――


「よし、来年は東京ドームでライブだ! 期待してるよ!」


 ――という一言だ。

 嬉しい。嬉しいけれど不安だ。そこまで広い場所、そして多くの観客を相手に歌ったことはない。なにかトラブルを起こしてしまうかも、と心がそわそわする。


 しかしそれと同じくらいワクワクもした。

 マネージャーの、そしてファンの期待に応えられるように頑張ろう。

 そう決めたのだけれど……私がある悩みに直面したのは、それから間もなくのことだった。


     ***


「あっ、田中さんだ」


 箱に詰められたファンレターを持ち帰り、自室で一通一通読んでいると見慣れた名前が目に飛び込んできた。

 私がまだ駆け出しの頃から応援してくれているファンだ。

 手紙には東京ドームでのライブを楽しみにしているという話が凄い熱意で綴られていた。田中さんのファンレターはいつも温度を感じるくらいアツい。


 しかし最後の一文で思わず手紙を取り落としそうになった。


 田中さんは難病に罹り、今度とても難しい手術をするらしい。

 ドームのライブは手術前の最後の外出になるだろうとのこと。そんな大切な日にライブに来てくれることが嬉しく、そして同時に心に引っ掛かりを感じた。


(……ここまで推してくれているファンに本気の歌声を披露しないのは、ファンと真摯に向き合っているとは言えないんじゃない?)


 これまでも何度も感じてきたことだけれど、今日は特に強く感じた。

 同じグループに所属しているウンディーネの因子を持った水村みずむらひめちゃんや、水虎の因子を持つ寺島鱗子てらしまうろこちゃんはいつも本気で歌っている。

 本気を出していないのは私だけだ。


 それに、実力を出さずに歌っても幼い頃に憧れた『アイドル』にはなれないんじゃないか。


 ――嘘偽りなく、本気で歌ってみたい。

 全力の歌を聞かせたい。聞いてほしい。


 しかし魅了効果の弱まるテレビ放送ならともかく、現地でそんなことをすればファンたちは完全に魅了されてしまう。

 それに、テレビでも確実に魅了にかかる者が出る程度には影響があると思う。

 なのに私は本気を出したくて堪らない。


 そんな気持ちが日々強くなり、私はリハーサル中でもぼーっとしてしまうようになった。それをマネージャーに見抜かれ、優しくも的確なお叱りを受けてしまったのが数分前のこと。

 落ち込んでいる私に鱗子ちゃんが声をかけてくれる。

 ひめちゃんも心配そうで、理由を問われて答えないという選択肢がないほど申し訳なくなった。


 理由を説明するとふたりとも眉をハの字にした。


「悩んでるのに気づけなくてゴメンね。そうだよね……速女ちゃんはずっと本気で歌ってこれなかったんだもんね」

「ひめたちになら言ってくれてもよかったんですよ」


 仲の悪いグループもいるけれど、鱗子ちゃんとひめちゃんは結成当時から仲の良い友達としても接している。だからこそ心から心配してくれているとわかった。

 私は泣きそうになりながら「ありがとう」とふたりの手を握る。


「でも魅了か……もしかかったら解除はできないの?」


 鱗子ちゃんが首を傾げる。

 魅了を解くには高名な魔導師を呼んだり高価な解除アイテムを買ったり、もしくは長期の催眠療法が必要になるので凄まじいお金が吹っ飛ぶと思う。

 想像している桁をもうひとつかふたつくらい増やした感じで。


 しかも法律で自分の因子に基づいた能力で被害を出した場合、その責任は本人に問われるというものがあった。

 つまり賠償や弁償をするのは会社ではなく私ということだ。


 そう説明するとふたりともぞわりとしながら身を竦める。


 今の私なら払えない金額じゃない。

 魅了前提で歌って、その後に解除するというのも事前に説明した上でなら可能かもしれない。

 でも私にはもうひとつの夢があり、そのために貯金しているためお金のかかることにはなかなか手が出なかった。


「速女ちゃんはお家を買いたいんでしたよね、それならあまりお金のかかることは避けないと……」


 そう、アイドルになる夢とは別に抱いている夢、お金を稼ぐこと。

 その理由は家の購入だ。


 私の両親は病で他界している。

 そんな両親との数少ない思い出の中に、とあるリゾート地に連れて行ってもらったものがあった。

 その時に三人で見た景色がとても綺麗で、私の中の原風景になっている。

 記憶の中でパパとママは「ここにいつか家を建てたいね」と笑っていた。


 私はあの土地に家を建てたい。

 私のために、そして今はもういない両親への親孝行として。


 けれど家を建てるには安くないお金がかかるし、それが人気のリゾート地となればまさに桁違いだ。

 そのために貯蓄しているので、売れっ子でも楚々とした生活を続けていた。

 たまにドケチ扱いされるけど真実なので否定はしていない。


 鱗子ちゃんとひめちゃんはそれを知っているので、板挟みになっている私の気持ちをすぐに理解してくれたみたいだ。


「そうだ!」


 その時、鱗子ちゃんが勢いよく手を叩いた。

 目をぱちくりさせる私をよそに、鱗子ちゃんは満面の笑みで言う。


「それなら会場に魔石結界を張ってもらうのはどう?」

「ま、魔石結界?」

「そう。まだマイナーな方法だけど、結界魔法を込めた魔石を複数設置して任意の結界を張れるの。……あっ、ほら、これこれ」


 鱗子ちゃんが端末の画面を見せてくれる。


 そこには多種多様な魔石と効果の説明が並び、販売の他にレンタルをしているという旨も書かれていた。

 魔石の中には『範囲内の状態異常を全て無効化する』という優れものもある。レンタル料は高いが、さっき挙げた選択肢と比べるとまだ妥協できる価格だった。


 これをドームの周辺に配置すれば――思いきり歌うことができるかも。


「……っありがとう! プロデューサーに掛け合ってみる!!」


 そう鼻を啜りながらふたりに頭を下げると、鱗子ちゃんとひめちゃんは「アイドルが鼻水垂らしちゃダメだよ」と笑った。


     ***


 魔石結界の案はすんなりと通り、当日はドーム周辺の数ヵ所に専用の魔石が設置された。

 事前にリハーサルでも使ってみたけれど効果は上々。魅了の力が発揮されることはなく、心置きなく全力で歌うことができた。


 ――すべてを出しきって歌うのって、こんなにも楽しいことだったんだ。


 毎回ドキドキする胸を押さえてそう思う。

 自分で思っていた以上に私は我慢に我慢を重ねていたらしい。

 ようやく我慢をしなくて済むということで、プロデューサーがもうひとつ上と掛け合ってくれた演出があった。


 途中でお色直しをする際に魚の下半身でも歌える衣装と特別製の水槽を用意してくれたのだ。まさかすぎる。

 しかも水槽はそのまま置くと無骨になるので、ステージに合わせて装飾された特別製だった。モニターの代わりに巨大な水槽が設置されている感じだ。


 安全対策とか許可とかめちゃくちゃ頑張ってくれたんだろうな……と思うとプロデューサーには頭が上がらない。

 よくドジるプロデューサーだけど、今ならひとつやふたつのドジくらいなら許せちゃうかも。

 ……と思っていると早速控室の位置を伝え間違えられて笑った。


 そうして迎えた東京ドームライブの当日。

 私は目の前のファンたちと、その中にいるであろう田中さんと向き合って自分の全力を出して歌を届けた。盛大な拍手と歓声は魅了によるものじゃない。

 とても気持ちが良く、これ以上の幸せはないんじゃないかと思えるくらい満たされた。相応の緊張はあったけれど、それすら楽しさのスパイスだ。


 歌って、ファンが喜んでくれる。

 歌って、ファンが受け止めてくれる。

 歌って、鱗子ちゃんやひめちゃんと一緒にその楽しさを味わえる。


 アイドルとしてこんなに嬉しいことはない。

 私は誰かにとっての飯倉チョコちゃんになれているだろうか。なれてるといいな。


 そう祈りながら、私は最後の曲だけでなくアンコール曲まで歌いきった。


     ***


「いやぁ、良かった! とっても良かった! 三人ともよく頑張ったね……!」


 ――ライブが終わった後、プロデューサーが笑顔と泣き顔の混ざった器用な表情をしながら労ってくれた。この顔を見るのはデビューライブ以来だ。


 私は幸福な疲労感に身を任せながら笑みを浮かべる。

 全力を出しきれたこと、悩みが解消したこと、そして少なくないお金を稼げたこと。それらが折り重なって、肩から降りた荷を両腕でぎゅうと抱き締めているような感覚だった。

 これまでの悩みすらハグして褒めて愛でて大切にしてあげたい。


 鱗子ちゃんやひめちゃんとも視線を交わして微笑み合っていると、プロデューサーが今度こそ完全な笑顔で言った。


「全国生配信してるからね、きっと来れなかったファンも喜んでるよ!」

「……へ?」


 ――全国生配信。


 初耳だ。

 ……と思ったけれど、ポスターのサンプルを見せてもらった時に書いてあったような気がする。いや、でもテレビ放送の予定だった気がするけれど、と慌てて端末で確認すると生配信だった。そんな!


 魔石結界の効力はドームの中だけ。

 そして録画したものをテレビ放送するなら魅了の力はほぼ影響がないけれど、生配信となると話は別だ。リアルタイムで効果が電波に乗ってしまう。

 だから今までもテレビの生中継は断ってきた。


 それを伝えるとプロデューサーは「あ、あれ? 生中継は緊張するからだったんじゃ?」と首を傾げる。

 だから最初からやり遂げる前提のライブなら生配信しても問題ないだろうと思っていたらしい。いやいやいや、魔石結界を使いたい理由を説明した時にピンとこなかったの!?


 そう慌てたものの、因子固有の力は星の数ほどあるので細部を理解しきっていなくても仕方がない。

 むしろ私がもっと念入りに説明するべきだった。

 あと急な結界の提案や演出の追加でドタバタしていたのも確認不足の原因になったかもしれない。


 高揚感で赤かった顔を青くしていると、鱗子ちゃんとひめちゃんが肩を支えてくれた。


「速女ちゃん、大丈夫だよ! お金だってまた稼げるように私たちと頑張ろう?」

「鱗子ちゃん……」

「お、お弁当、たまに作ってきてあげますよ。ねっ!」

「ひめちゃん……」


 一体どれだけの人が魅了にかかったのか、これからどれだけお金が飛ぶのかも今はわからない。けれど折れそうになる膝も心もふたりが支えてくれた。

 プロデューサーも事の重大さに気がついたのか、法律に触れない範囲でサポートしてくれるという。


 ――失敗してもアイドルはアイドルだ。


 飯倉チョコちゃんも不倫隠し子騒動からの海外逃亡をしちゃったけれど、ほとぼりが冷めた頃に戻ってきてブーイングを受けながらアイドルをしている。彼女は汚れてもアイドルだ。

 私も裏切られた気持ちになったけれど、その強さを見習いたいと思っていた。

 だから今も昔も彼女に憧れている。


(私だって……私だってアイドルだ。だから絶対に折れない……!)


 まだ顔は青いけれど足に力を入れ、眉根に力を込めて顔を上げる。

 そして、私は私を支えてくれる人たちに笑みを向けた。


     ***


 電波に乗せることで効果が少し弱まっていたため視聴者全員ではなかったものの、全国で魅了者が続出し、その解除に高名な魔導師を呼んだり高価な解除アイテムを買ったり、長期の催眠療法をしてもらうために莫大なお金がかかった。


 驚いたのはファンの中にはそのお金を返したいと言ってくれた人がいたことだ。

 もちろん魅了が解けた後に。


 そして批判もあったものの、真摯な対応と私ひとりでお金を工面したことが報道され、アイドルを続けていても激しいバッシングを受けることはなかった。

 魔石結界を使ったライブをもう一度するにはかなり対策が必要になるかもしれないけれど、夢を諦めなくて済むということが私の心を軽くしてくれる。

 私は、アイドルとしてまたやり直せそうだ。


 そして田中さんのこと。

 しばらく後に彼から手術が成功した一報と、ライブが最高で心の支えになっていたことが書かれた手紙が届いた。

 魅了の失敗については直接は触れず、しかし代わりに以前より念入りに『これからも応援しています!』ということが記されていたのがありがたい。


 これからもファンたちにとってのアイドルでいたい。

 そしていつかまた、全力の歌声を届けたい。今度はもっと上手くやろう。


 憧れのアイドル業で、憧れの夢を叶えるのはまだまだ先になりそうだけれど……あの土地に住むのが先延ばしになっても、パパとママは許してくれると思う。


 だから今日も、私は憧れのアイドルを続けていく。

 全部の夢を叶えるために、そして――セイレーンでも強いアイドルになれると証明するために!

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