第38話

 その日、亜美は僕の家に泊まることになった。

 彼女にすっかり懐いた妹が、帰らないでと駄々をこねたからだった。十八にもなって駄々をこねないでほしかったが、小姑みたいになられるよりはずっとよかった。


 亜美は元ヤクザで神主の、背中に亡くなった奥さんがモナリザのポーズをしている刺青を入れているお父さんに、友達のところに泊まると電話を入れた。


「うん、友達のおうち。ごめんね? 明日はちゃんと帰るから。巫女のお仕事もちゃんとする。え? 珠莉(じゅり)ちゃんがむくれてる? 」


 どうやらお父さん的には構わないみたいだけど、珠莉というお姉さんがむくれてしまっているらしい。どこの家も似たようなものだなと思った。


「顔じゃなくて? 顔はいつもだよ?うん、うん、そうだね、いつもじゃなかったね。寝起きのときだけだよね。小顔ローラー♪ 小顔ローラー♪ しようね?」


 途中から何かひどいことを言い出していた。

 妹が電話を替わり「ほんとに、ともだちです。あみちゃんには、こんばん、うちにとまってもらいます」と半ば強引に了承させていた。

 亜美は僕の部屋ではなく妹の部屋で寝ることになった。

 その代わりに? なのか? 妹が僕の部屋にやってきた。


「亜美ちゃんと寝るんじゃなかったの?」


「わたし、ねぞうわるいもん。おねえさんをべっどからけおとしちゃうもん」


 そう言って、妹は僕のベッドに潜り込んできた。


「僕なら蹴飛ばしてもいいと?」


「よかったね、おにいちゃん。はじめてのかのじょだよね」


「うん。初めてだ。25になって、ようやく」


「あとごねんで、まほうつかいになれたのにね」


「なれないよ?」


「だいまおうばーんの、かいざーふぇにっくすを、ゆびさきだけでむこうかする、おにいちゃんみたかった」


「できないよ? あれができるのは、ただの武器屋の息子だけだよ?」


「ぶらのほっくの、はずしかたとかわかる?」


「え? なんで?」


「はじめてえっちするときとか、なかなかはずせずに、もたもたしてたら、おねえさん、げんなりしちゃうよ?」


「え? マジ?」


「うん、おおまじ。かたてで、はずせるのが、りそう。わたしで、れんしゅうする?」


 妹は、僕に彼女が出来たことを祝いに来たのだろうか。それとも夜這いをしにきたのだろうか。冗談なのか、本気で言ってるのかさえ、僕にはわからなかった。


「おにいちゃんに、かのじょができた、おいわいをあげる」


「お祝い?」


「そう。おいわい。わたしと、えっちするか、わたしのひみつを、ひとつだけ、おしえるか、どっちがいい?」


 きっとこれは大事な選択肢だと思った。

 マルチエンディングのノベルゲームの選択肢のように、選択を誤ればバットエンドルートに突入するような気がした。

 自慢じゃないけれど、僕は子どもの頃、かまいたちの夜を何十周しても、犯人にたどりつけれなかった男だ。


 妹とエッチをする。

→妹の秘密を教えてもらう。


「秘密かな」


 僕には悩む余地などなかった。生まれてはじめての彼女ができた日の夜に、妹を抱くなんてありえなかった。


「ひみつでいいの? ほんとうに?」


 それ以前に、麻衣は血の繋がった実の妹だ。彼女がいようがいまいが、妹を抱くという選択肢が僕にあるはずがなかった。


「わたしを殺そうとしたのは、佐野弘幸って人だよ」


 妹は、僕の知人の名前を口にした。

 妹が知るはずのない人の名前だった。

 僕の大学時代の同じサークルのひとつ先輩で、鬼頭さんのお気に入り。

 鬼頭さんがKITセレモニーの男役のタナトーシスに考えていた第一候補。僕は第二候補だった。


 きっと僕のこの物語の前には、佐野弘幸が語り部となった物語が存在し、僕の物語は蛇足のような続編に過ぎないのだろう。

 物語の語り部というこの役割さえ、僕は二番手だ。


「どうしてあの人が麻衣を殺そうとしたの?」


「だって、あの人は、わたしがずっと憧れてた人のお兄さんだったから」


 妹が憧れていた人なんて、魔女と呼ばれた猟奇殺人犯の少女以外いなかった。



 大学時代に同じサークルで僕の一年先輩だった佐野弘幸が、妹を殺そうとした?

 彼は、妹がずっと憧れていた魔女と呼ばれた猟奇犯罪者の少女の兄だった?

 理解が追いつかなかった。

 妹は僕に嘘をつくような子じゃなかった。だからきっと本当のことなんだろう。

 けれど、どうしてこのタイミングなんだろう。もっと早く教えてくれていたら良かったのに。


 佐野弘幸は、KITセレモニーの関連企業である”O.W.S.”で働いているはずだった。同じサークルの硲(はざま)先輩が彼をスカウトしたからだ。

”O.W.S.”は、「嘲ル者」という意味の英語の頭文字を並べたものだ。依頼を受けて、依頼人の代わりに見知らぬ他人の死を笑う仕事を請け負う会社だった。

 妹は春から八月までその会社で働きながら通信制の大学に通っていた。

 佐野とは現場が一緒になったことがあるかもしれない。彼と顔見知りだった可能性はゼロではなかった。

 だからと言って、実名すら発表されていない少年犯罪者の兄だとどうやって妹は知ったのだろうか。

 ネットだろう。それ以外は考えられなかった。

 ネットには、少年犯罪者であろうが実名や顔写真、住所は家族構成など、あらゆる情報が悪意を持って公開される。きっと妹はそれを印刷して新聞や雑誌の記事と一緒にスクラップしていたのだ。

 十年前、当時高校生だった佐野の写真を見ていれば、今の彼を見た妹が気づいてもなんらおかしくはなかった。人の顔は整形でもしない限りそんなには変わらないからだ。


 僕の頭の中は妹のことでまたいっぱいになってしまった。

 それが妹の狙いなのだと気づいたとき、僕は妹が亜美を歓迎などしていなかったことに気づいた。

 だからわざとおかしな言動、主に奇声だが、を繰り返していたのだ。

 昨晩も泊まっていってと駄々を散々こねたくせに、彼女を一晩中部屋にひとりきりにした。

 僕と一緒に眠ることにしたのも、あらぬ誤解を彼女に招こうとしたのだろう。亜美が少しでも疑念を持てば、妹がそれ以上何もしなくても、その疑念は勝手に大きくなっていく。

 僕はやはり恋人を作るべきではなかったのかもしれない。


 妹と佐野弘幸との間に何があったかはわからない。

 だけど、妹はすでに死んだことになっている。だからもう妹が佐野弘幸に狙われることはない。放っておいても問題ないと思った。

 妹が自ら彼に姿を見せさえしなければ。



 眠れないまま朝が来た。

 妹は寝たふりをしていた。寝ていないことくらいすぐにわかった。

 寝返りを打ったり、僕を蹴飛ばしたり、ベッドから落としたり、そういうことを一度もしなかったからだ。妹は子どもの頃から本当に寝相が悪いのだ。僕は昔何度も酷い目にあっていた。


 妹とリビングに降りていくと、


「おはよう、学くん、麻衣ちゃん」


 エプロン姿の亜美が、五人分の朝食を作ってくれていた。すでに父と母が食卓にいて、コーヒーを飲みながらチーズたっぷりのピザトーストを食べていた。


「いい子を見つけたな、学」


「あんた、全然女っ気がないから、心配してたけど、もう安心ね」


 父と母は、とても嬉しそうに笑っていた。


「これからも息子をよろしくね、亜美ちゃん」


「いつでもお嫁に来てくれていいからね。ね? 学?」


 亜美は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「その人の家、変な宗教やってるけど、いいの?」


 妹の言葉に、父と母、そして亜美の顔が凍りついた。

 もちろん僕もだ。


「そうだよね? 亜美さん。この国の裏の神道、黄泉路(よみじ)だっけ? 神道のふりしてる、ヤバいカルト宗教なんだよね? 去年問題になってた、民自党と仲良くしてたあの宗教と何が違うの? 織流肩巾有珠大神(おるひれうすのおおかみ)って何? そんな聞いたこともない宗教の、聞いたこともない神様を祀ってる神社の、神主の娘なんだよね? 男兄弟がいないから、婿養子が欲しいだけなんだよね? それに、神主のお父さんは、元ヤクザなんだよね?」


 僕は妹を信じすぎていた。

 何でも話しすぎていた。

 いや、先に裏切ったのは、僕だったのかもしれない。


「そんな人に、お兄ちゃんはあげない」


 妹は笑っていた。

 その顔は、僕が知る妹の笑顔ではなかった。

 人を嘲笑う、「嘲ル者」の顔だった。

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