第2話
嘲ル者ほどコスパのいい仕事を僕は知らない。
闇バイトのように日給十万円とまではいかないものの、法に反することなく安全安心に一日で二、三万円は稼げる。
昼に葬儀、夜に通夜と別の現場をかけもちすれば倍稼ぐことも可能だった。
スマホのGPSを利用したアプリで出退勤が確認されるため、現地集合現地解散が基本で、本部や支部への完了報告も不要だ。給料は日払いで、交通費も全額支給される。
僕のように事情がありまっとうな会社に就職できない者でも、月に五十万以上の収入が安定して得られる。月百万以上稼ぐ者もいる。
この国では毎日四千人程度の人が死に、通夜や葬儀が行われない日などないからだ。友引や仏滅など避ける傾向にある日もあるが、法律は死後二四時間経過後に火葬や埋葬が認められることを明記しているだけで、避けなければいけない日というものはない。
この会社を起したのは、僕の大学時代の先輩だった。二年先輩だが、確か一浪していたはずだから今年二九歳だ。
先輩は学生時代から不思議な人だった。法学部の学生のくせに現代の法律のことは全く興味がなく、古代や中世の無茶苦茶な法律にばかり詳しかった。経済や経営、心理学など、違う学部の講義をこっそり受けたりもしていた。
サークルも僕と同じ文芸部に籍を置きながら、宇宙考古学研究会といういかにも怪しげなサークルの部長を務めていた。宇宙考古学とは、古代の地球に高度な文明を持った宇宙人が飛来し、ピラミッドやナスカの地上絵を作ったなどという、あまりに荒唐無稽なもので、考古学の名を冠しながら学問として認められていないものだった。
そのサークルの部員は先輩だけだったが、先輩はそんな誇大妄想のようなものを信じていたわけではなかった。顧問を務めるゼミの教授に頼まれ、サークル存続のために仕方なく部長になったのだと聞いた。
電車やバスを乗り継ぎ片道二時間以上かけて通学していた先輩は、その部の部長になってからは家に帰らず部室に家電を持ち込んで寝泊まりしていた。
そんな先輩と僕が文芸部の部室でふたりきりになったときのことだった。
僕は確か好きな作家の新刊を読んでいたと思う。先輩は僕の隣でイヤホンもせずスマホで大音量で動画を観ており、邪魔だなと感じていた。正直、僕は先輩が苦手だった。一人占めできる方の部室にいつも籠っていればいいのに、と思っていた。
僕が新刊を読み進めるのを諦めると、先輩は待っていたとばかりに僕にスマホを見せてきた。どこかの国の変わった仕事を撮影した動画だった。
葬式でたくさんの女たちが泣いていた。先輩曰く、その女たちはそれを生業にしている人達だという。
僕はこの広い世界にはそんな仕事もあるのかと驚いた。だが、この国にもあるレンタル彼女やレンタル友達のようなものだと説明され、妙に納得してしまった。
「葬式で盛大に泣いてほしい遺族がいるなら、死んだ奴のことが憎くて憎くて仕方ない奴だっているはずだよなぁ。自分の代わりに大笑いしてほしい奴いるよなぁ」
先輩はそう言って笑い、僕もまた妙に納得してしまった。
「誰でもいるだろう? 死んだら笑ってやりたい奴くらい。でも、通夜や葬式で自分が笑えば角が立つ。今後の人間関係に響く。だったら、笑ってくれる奴を雇えばいいんだよ」
先輩が個人事業主として「嘲ル者」を始めたのは、それからすぐのことだった。
SNSを使い宣伝すると全国から依頼が殺到し、すぐに先輩ひとりではすべての依頼に応えられなくなり、先輩は大学を辞めて起業した。
宇宙考古学研究会の存続のためだけにある部長という肩書きは僕が引き継ぐことになった。
何故僕なのかと訊ねると、先輩はお前とは長い付き合いになりそうだから、と言った。そのときは金輪際御免だと思ったものだが、就職先が決まらないまま大学を卒業することになった僕を先輩は拾ってくれた。
だからあの時長い付き合いになるって言っただろ、と先輩は言った。
「人の死を笑う仕事、ですか」
「お前には結構向いてると思うけどな」
先輩は僕に言った。褒めているつもりなんだろうか。たぶんそうなんだろう。先輩はそういう人だった。
「お前は俺と違って容姿に恵まれてる。背はそれなりだし、ちょっと華奢すぎる気もするが、決して病的には見えないちょうど良さだ。清潔感もある。知らないかもしれないけど、文芸部ではお前、結構モテてるみたいだぜ」
モテているという自覚は正直なかった。僕が部の女の子たちにあまり興味がなかったからだろう。
先輩に比べれば容姿が良いことや清潔感は確かにあることくらいは自覚していた。
髪型や服はネットで流行りを調べて、通販で大学で目立ちすぎない程度に流行りをおさえていた。だが、髪は千円カットで済ませていたし、服もモデルが着ているものによく似た安いものをマイシーズン何着か買っているだけだ。
先輩のようにいつも無精髭をたくわえたりはしていなかったし、いつもタバコ臭い先輩と違って、口臭や体臭にも気をつけていた。
特別お洒落に気を遣っているわけではなく、必要最低限の身だしなみをしているだけだった。
それが普通だと思っていた。
オタクがちゃんと市民権を得るようになった今の時代、20年も前ドラマの「電車男」に出てくるようなオタクは少ないくなっている。
風呂に入らず洗濯もせず、体臭を理由にカードゲームの大会から退場を命じられるようなオタクなら一定数いるようだったけれど。ぼくは一度もそこまで酷い人間を目の当たりにしたことはなかった。
「文芸部って言っても、実質ライトノベル部みたいなもんだし、男も女もオタクばっかりだろ、ここ」
文芸部は確かに男子も女子もオタクばかりそろっていた。学祭のために同人誌を作ったとき、同人誌と言ってもコミケで売るような二次創作ではなく、オリジナル小説を集めたものなのだが、寄稿された作品の七割が「異世界転生」だの「悪役令嬢」だの、使いふるされた「なろう小説もどき」が占めていた。
「お前はライトノベル以外もそれなりに読んでるし、漫画やアニメだけじゃなく、映画やドラマの知識もちゃんとある。音楽もいろんなの聴いてるよな」
広く浅い知識しか持っていなかった僕は、オタクにありがちな好きなものについて早口でまくしたてることはないし、会話で相手を不快にさせるような言葉を使うようなことはなかった。
「一昔、二昔前のテレビを真似してるだけのYouTuberの動画じゃなくて、今のコンプライアンスにガチガチに縛られたテレビのバラエティをちゃんと観てるんだろ。お前と話してると、きっとこいつは頭がいいんだろうなって思わされるんだよ。SNSもやってないから、言っていいことと悪いことの判断がつかなくなったりもしてないし、ネットのノリを現実に持ち込んだりもしない。当たり障りのないことしか言わない奴はつまらんが、お前は言っていいことと悪いことの判断がちゃんと出来てる。オタクやパリピと違ってギリギリ笑いとして成立するようにうまくやってるだろ」
そこまで考えていたわけではないが、確かに僕には好きな芸人はいても、好きなYouTuberはいなかった。部の男子が女子の前で内輪ノリや下品な会話を始めれば自然に別の話題に誘導することもしばしばあった。
だが、それはあくまで僕がそういうものが苦手だったからだ。内輪ノリや下ネタが嫌いなわけではなく、プロの芸人がやっているものは好きだった。プロがやるから成立することを、素人が真似すれば大惨事になることを知っていたからに過ぎない。
「オタク男がこの子かわいいけど、もしたかしら自分でもいけるかなってレベルの女いるじゃん。お前は女にとってそれの男版って感じなんだろうな。普段の所作から育ちも良さそうに見えるし、何よりいい奴だからな。まぁ、いい奴のふりをしてるだけだけど」
確信を突かれた僕は、
「先輩にはかなわないなぁ」
苦笑するしかなかった。
「どこでばれちゃいました?」
「笑い方だよ」
「笑い方?」
僕は普段どんな笑い方をしていただろうか。
「普段のお前の笑い方は悪くないよ。ただ、お前はときどき笑い方がひどく下品になるときがあるんだよ」
そういう時の僕は、先輩曰くデスノートでも拾ったんじゃないかと思うくらい悪い顔で笑っているらしい。
「たぶん心底嫌いなものの話題になるときなんだろうな」
幽霊が見えるとか、小さいおじさんを部屋で見たことがあるとか言う奴とか、占いを信じて洗脳されかかってる奴、それから、よくわからないネットビジネスを先輩から紹介されたからってまんまと騙されそうになってる奴とか、あと部屋地球平面説やらワクチンにマイクロチップが入ってるとか騒いでるような陰謀論信じてる奴、お前嫌いだろ?と先輩は続けた。
「過激派のビーガンとポリコレもだよな?」
先輩は僕のことをよく見ていた。だからだろうか、僕は文芸部でひとり浮いた存在になっている彼のことが部内ではなんだかんだ一番好きだった。あくまで部内では、だったけれど。
僕が演じ続けている普段の姿に騙される人たちより、それを見透かしている人の方が何倍も何十倍も興味があった。
「俺がアパート代わりに使ってる部室、宇宙考古学部のことを最初に話したときもそうだった。そういうのを聴かされてるときのお前の笑い方とか表情とかが俺が求めてる人材そのものなんだ。お前こそが『嘲ル者』なんだ。あのどっかの国の女が泣いてる動画を見ただけじゃ、この仕事は思いつかなかった。あのとき俺のそばにお前がいた。だからお前がいれば、これは仕事になると思った」
先輩にそんな風に言われたら、僕の人生の選択肢は「嘲ル者」以外考えられなくなった。
一応は就職活動をすることにした。社会というものを僕は知る必要があると思ったのだ。
結果として、どの会社も一度は僕を欲しがったが、僕の素性を知った途端にやめる。その繰り返しだった。
僕にはそれだけで十分だった。社会というものがどんなものか、十二分に理解できたからだ。
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