百々路鬼市役所 怪奇事象相談室

佐倉みづき

相談:袖もぎ様

0.お化け住宅地の怪

 僕は街灯の少ない道を足早に歩いていた。

 本来ならもっと早くに上がれたはずのバイトが長引いてしまった。明日は一限目から講義があるというのに、クレーマー気質のオバさんに運悪く捕まってしまったのだ。

 誓って言うが、僕の接客に落ち度はなかった。本当に些細なこと――ただ自分が気に食わなかった、虫の居所が悪かった、それだけのことで店員に猛烈に食ってかかる人間は残念なことに一定数いるのだ。おまけに、頼りになるはずの店長もクレーマーの言いなりでひたすら頭をペコペコと下げて、客が帰った後には僕に対してお前が悪いんだろうと威圧的に注意してくる始末。バイトを辞めようと決心するには充分な出来事だった。

 そんなこんなで帰りが遅くなった僕が今歩いているこの辺りは市の北側に位置しており、空き家が多いことから口さがない市民からは『お化け住宅地』なんて不名誉な呼ばれ方をされている。

 行政もさっさと古い建物を取り壊して新しい宅地を建ててしまえばいいものを、お金がないだとかまだ住んでいる人がいるとかで対応を後回しにしているようだ。おかげで、怖いもの知らずの若者の間の肝試しスポットとして有名になってしまっていた。百々路鬼市ではそういった話が絶えないのだ。

 おまけに、その辺りで少し前に陰惨な事件があったと聞いている。僕は顔を顰める。近道だからと帰り道に選んだのは失敗だった。早く通り抜けて家に帰りたい。お化けが出ずとも、浮浪者や不審者が暗がりに潜んでいそうで落ち着かない。人通りも少なく街灯も心許ないこんなところで襲われたら、誰にも助けてもらえないだろう。その様子を想像して身を震わせた。僕は腕っぷしも強くないし、何より怖がりなのだ。やはりこんなところに来るんじゃなかった……。

 俯き加減にせかせかと足を動かしていると、突然後ろからぐい、と袖を引かれた。引っ張る力が強く、思わず尻餅をついてしまう。

「いてっ……」

 咄嗟に後ろを振り返るが、誰もいない。ダサい姿を誰にも見られていないのは助かったが、それにしても袖を引いた輩の姿すら見当たらないのはどういうことだろう?

「何だよ、もう……」

 服についた砂埃を払いながら立ち上がる。雨が降っていなくてよかった、と思いながら何気なく全身を確認して――顔が強張った。

「え……」

 先ほど何者かに引かれた袖が。肘の辺りから破り取られていた。

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