姉の苦悩(2)

 竹内徹は現在五十二歳だが、すらりとした体型とワイルドな雰囲気で、実年齢よりだいぶ若く見える。昔はチンピラに毛の生えたような存在だったが、今では都内に支店を持つ人材派遣会社の社長である。

 若い頃は口より先に手が出るタイプだったし、恐喝で逮捕され少年院にお世話になったこともある。しかし、今はすっかり堅気になった……と、周囲からは思われていた。

 だが、それは間違いだった。




 ことの起こりは、杏奈が中学二年の時だった。冬休みに、彼女は女友だちと泊まり旅行にいく……といって家を出た。父と母からは、既に許可をもらっている。こんなことは、どこの家庭にもある話だ。

 杏奈は、駅で友だちと待ち合わせて口裏を合わせる。ついで、彼氏の大泉進オオイズミ ススムが到着した。そう、杏奈は女友だちと旅行に行く、と父や母には言っていたが、実際に同行するのは彼氏だったのである。まあ、こんなこともよくある話だ。


 ここからの展開は、完全に普通ではなくなっていた。SNSにて、杏奈の旅行に同行するのは女ではなく男だ、という情報が流れる。しかも、徹の取り巻きがそれを目にしてしまったのだ。さっそく彼に報告する。

 中学生の娘が、自分に嘘をつき彼氏と泊まり旅行に行った……当然ながら徹は激怒する。父親である以上、怒るのは仕方ない。

 しかし、その後の行動は常軌を逸するものだった。徹は、すぐさま動く。荒事に慣れている手下を引き連れ、現場に乗り込んだ。杏奈を強引に連れ戻し、自宅の地下室に監禁してしまう。

 その場にいた大泉はというと、旅行から帰ることはなかった。その時点から、ぷっつり消息が途絶えてしまったのだ。

 当然ながら、警察は徹を疑った。大泉の姿を最後に見たのは、この怒れる父親だけだ。しかし徹および彼に同行した手下は、口を揃えてこう証言する。


「あいつなら、ちょっと脅したら小便チビりそうな勢いで走って逃げて行きました。それからは会ってません」


 警察とて、この証言を鵜呑みにせず、徹の近辺を調査した。しかし、確たる証拠が出ない。結局、現在に至るまで行方不明のままだ。

 悲惨なのは杏奈だ。徹は、暴力を用いて娘を支配下に置いたのである。以後、自宅に作られた地下室に十年近く監禁されていた。当然ながら外出は出来ない。中学校にも、それから一日も登校せぬまま卒業となった。

 杏奈を襲う悲劇は、さらに続く。監禁生活が始まってしばらくしてから、彼女の妊娠が発覚したのだ。相手は、行方不明になった大泉らしい。もっとも、この事実は公にはならなかった。徹は、生まれてきた娘に可憐と名付ける。しかも、自身が愛人に産ませた子供として届けでたのだ。つまりは、杏奈の義理の妹となったのである。

 ここまででも、映画の原作になりそうな出来事だ。しかし、事件は終わらない。それから二年ほど経った時、徹の妻・竹内リンが忽然と姿を消した。周囲の人の話では、このところ様々なことに悩んでおり、二言目には、もう嫌……と漏らすことが多かったという。彼女もまた、今も捜索中だ。 


 それから十年が経った今になって、この事件は再び動き出す。竹内の家から、杏奈が逃げ出したのだ。裏では、高木和馬とその仲間の協力があった。

 しかも高木は、可憐をも連れ出したのだ。ふたりを、御手洗村にかくまった。

 以来、御手洗村はその活動を停止した。新しい人間の受け入れはしていない。ネットなどに載っている電話番号は、全て変えた。

 今は、住人の生活を守るのがやっとだ。


 ・・・


「なるほど、だいたいの事情はわかった。説明ありがとう」


 昭夫の話を聞き終えたペドロは、軽く会釈した。

 次の瞬間、目の色に僅かな変化が生じる。


「君にひとつ質問がある。これは仮の話だが……とある殺し屋が、今から竹内徹氏の自宅に乗り込み首をへし折ると宣言したとしよう。君は、彼の行動を止めるかね?」


 いきなりの言葉に、昭夫は意味がわからずポカンとなった。何かの漫画の話だろうか。

 直後、ペドロが何を言わんとしているかを理解する。昭夫は、震えながら首を横に振った。


「本音をいえば、そうして欲しいです。しかし、そうなると非常に厄介なことになります。絶対に止めます」


「何だね?」


「竹内徹は、少しは名のある資産家です。裏の連中とも繋がりが深い。そんな男が死んだら、まず財産問題が持ち上がる。結果、杏奈と可憐の存在がクローズアップしてくる。そうなると、財産問題に絡みたい連中が杏奈と可憐を捜すでしょう。一流企業の調査員や、日本トップクラスの探偵社といった連中です。そいつらが本気になったら、発見される可能性が高い。しかも法的には、我々は誘拐した立場ですから……圧倒的に不利です」


「なるほどな」


「もうひとつあります。この村にいた竹内姉妹が発見されてしまうと、マスコミはあることないことを書き立てるでしょう。可憐は、自分が杏奈の娘であることを知らされてしまう。また、他の住人にも被害が及びます。健太は、死んだ兄をイマジナリーフレンドにしている少年として奇異の目で見られます。結菜の事件も、マスコミにより再びクローズアップされます。あの少女は今……という感じで、面白おかしく書き立てられるでしょうね。さらには、ネット界隈の有象無象が、この村に集まってくる可能性もあります。そうなったら、ここは終わりです」


 一気に喋り終えた昭夫は、一息ついてペドロの反応を見る。だが、彼の表情は全く変わらないままだ。喋り出す気配もない。

 昭夫は、恐る恐る尋ねてみた。


「あの、どうかしましたか?」


「返す言葉がないな。君の言う通りだよ。彼ひとりを殺しても、事態は好転しない。それにしても、君に間違いを指摘されるとはね。認めたくないものだな、自分自身の衰えによる過ちは。俺にも、敗北の時が近いのかもしれないね」


 そう言った後、ペドロはフッと笑った。だが、昭夫には何のことやらわからない。狐につままれたような顔だ。

 すると、ペドロは苦笑した。


「君には通じなかったか。すまない。ところで、俺はちょっと出かけることにした。したがって、明日は君の家を訪問しない」


 その言葉は、昭夫は血相を変えた。まさか、さっき言ったことをやる気か?


「ちょっと待ってください! あの、竹内徹に会ったりしませんよね!?」


「会わないし、そんな暇もない。安心したまえ。ところで、ひとつ聞きたいのだが……」


 言いながら、ペドロはポケットから何かを取り出した。


「これをどう思う?」

 

 その手には、電車の切符が握られていた。既に使用済みのものだ。昭夫は、さすがに困惑した。これをどう思う、と聞かれても答えようがない。

 すると、ペドロはくすりと笑った。


「これはね、先ほど可憐さんがくれたものだよ。彼女は、電車が好きなのかい?」


「電車? いや、どうですかねえ。俺は、そんな話聞いたことないですよ」


 一応、今まで可憐と交わした言葉を、ざっと思い出してみた。だが、電車の話は聞いたことがない。もし好きなら、可憐は聞かれもしないのに自分から語っていたはずだ。


「そうか。では、電車が好きというよりも、このデザインに引かれたということかな。何はともあれ、これは可憐さんにとってそれなりに価値のあるものだったのだろう。そんなものをくれるとは、俺は彼女に気に入られたようだね」 


 ひとり呟くと、ペドロは切符をポケットにしまった。その時、昭夫の頭に他愛ない疑問が浮かぶ。


「あのう、さっき可憐が言っていたネス湖の怪物がどうとかいう……あれ、本当にわからなかったんですか?」


 すると、ペドロはくすりと笑った。


「それは、君の想像に任せるよ。彼女からは、才能の片鱗を感じた。ただ、その才能を花開かせるには……完璧な理解者がいては、かえって害になるかもしれない」

 

 



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