美味しい人間
紫野一歩
美味しい人間
人間が大好きな妖怪に捕まった。
俺の十倍以上もあり、八本足を生やしている蜘蛛の成れの果てみたいな妖怪で、好きとはもちろん食材的な意味の好きである。
食われたくないので何とか自分以外の人間を連れて来る事にする。妖怪は毎日一人、人間が食べられればいいらしい。
幸いにもペテンの才能は人一倍あったので、毎日一人騙す事くらいは出来た。
毎朝車で都市部に向かい、そこで一人人間を詰め込んで帰って来る。
毎日そんな事をしていたので当然会社を首になったが、生贄にした人間が持っている財布を漁れば生活は何とか出来た。元々窓際で碌な役割も与えられなかった会社だ。
不幸だが、最悪ではない。
このまま毎日が続いていくかと思っていた。
ちょうど一年前の事だった。
その日は台風が接近していたこともあり、誰も彼も家路を急いでいた。遂には手ぶらで妖怪のねぐらに帰る事になってしまう。
妖怪は報告を聞くにつれてカタカタと小刻みに足を鳴らし出す。恐怖から伸びる糸をナイフで擦るような音だ。
この妖怪は俺がいなくても余裕で狩りが出来る。俺は便利道具であり、必須道具ではない。この日の人間が用意されないのであれば、妖怪の選択肢は一つだ。
俺は半ば諦めた気持ちでその場に立ち尽くした。
しかし妖怪はそれっきり何も言わずにごろりと横になっている。
待てども俺が食われることは無い。
「……今日の食事はどうしますか」
「よい。明日を待つ」
俺はその言葉を聞いて、今までには無い喜びを感じた。
この妖怪に、俺は信頼されている。
俺を食べ物ではなく、給仕係として認識してくれている。
その事実に俺はやりがいのようなものを確かに感じた。それは会社勤めの時も感じなかったものだ。
よし、明日からも頑張ろう。
妖怪がうっすらと目を開けてこちらを見ている。
足が八本生える胴体も、何処を見ているわからない真っ黒な目玉も、何だか美しく思えた。
見つめられているので見つめ返していると、やがて妖怪が溜息を吐く。
「貴様はあまりに不味そうだ」
俺はそれからも毎日、道行く人を騙しては妖怪に献上している。
妖怪はいつも人間を見ると嬉しそうに食べる。
骨を砕く音。悲痛な断末魔。
連れて来た人間を妖怪が嫌がることは無かった。連れて来た全ての人間を、実に美味そうに食べた。
血しぶきを上げて、千切れる人間。泣き叫ぶ声は部屋に反響して消える。
有り得ないような不幸の末に生命を終える人達。
俺は指を咥えてそれを見ている。
美味しい人間 紫野一歩 @4no1ho
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