私が好きになったのは、同学年の先輩でした

音愛トオル

私が好きになったのは、同学年の先輩でした

 こんなことするもんじゃなかった、と思う。

 着の身着のまま出てきたからお金もないし、かろうじて持っていたスマホのおかげでなんとかはなったけど。


「……せっかく友だち、出来たのにな」


 親の都合で引っ越し、春から新しい学校で二年生を迎える私は一昨日初めてこの町の地を踏んだ。荷解きやらでばたばたしていたから、今日はやっとゆっくり出来ると思ったけど。

 真新しい家は落ち着かなくて、だから散歩のつもりで家を出た。

 知らない町、新しい私の毎日が広がる場所。

 今はまだ全然知らないのに、きっとこれから知らないところの方が少なくなっていくだろう場所。そのちぐはぐな新鮮さと、言い知れない胸の奥のもやもやに背中を押されて、私はずんずんと歩き続けた。

 ――その結果、完全に迷子になって、たまたま見つけた公園のベンチでぐったりしている。


「お姉ちゃんが家に居てよかった……」


 大学生のお姉ちゃんに迷子になったことを伝えると、準備してから迎えに行くと連絡をくれた。十数分もすれば車で来てくれる。

 スマホがあったおかげで位置情報もばっちり。

 私をあてもなく歩かせた心地よい不安は、スマホ一つで簡単に場所が分かってしまう状況を前にへそを曲げてしまった。何と言うか、子どもにはままならないことを見せつけられたような気分。


「……はあ」


 今日はちょっと暑いくらいのよく晴れた春の日。

 春は出会いと別れの季節とは言うけれど、こんなに早い別れを私は全然受け入れられていなかったのだった。



※※※



 あと5分くらいで着くね、とお姉ちゃんからの連絡に胸を撫でおろした私だったけど、もう少しこのまま迷子で居たい気もして。

 家に帰ったら気分転換にシャワーを浴びようと、あくびを噛み殺して決意した、その時だった。


「あの、大丈夫?顔色悪いけど……」

「えっ?」


 突然そう声を掛けられた。

 ぱっ、と顔を上げると、同い年くらいの女の子が心配そうに私を見つめているのが目に入った。なんか、全体的にふわふわした雰囲気の子だ。

 手には温かいお茶のペットボトルが握られていて、


「はい、これ。あったかい飲み物!」

「え、っと……?」

「……?体調が悪そうだったから。あったかい方がいいよね?」

「あ、あの?くれるんですか?」

「うん!もちろん」


 女の子はそう言うと、にこにこと温かな笑顔を浮かべたまま、私の隣に腰かけてきた。その子の手にはりんごジュースが握られている。

 はい、とお茶を渡され、勢いに負けて受け取ると確かに今の私には染みる温かさだった。なんというか、心がほぐされる、というか。


「今日、ぽかぽかだねぇ」


 その子は冷たいジュースを飲みながら、お日さまを浴びててろん、と椅子の上で溶けていた。なんか私の肩に頭預けてるし。

 普段ならちょっと怖いかなとも思っただろう。でも、なんか、まあ。

 いっかな、と思った。


「そうですね」

「……敬語じゃなくてもいいんだよ?」

「えっ、いや……でも」


 私に笑いかけてくれるその子を見てると、初対面だし、とか心配してお茶をくれたから礼儀を、とか。そう言うのも飛んで行ってしまう。

 まあ確かに、同い年か、一つ二つ前後、くらいだろうし。

 第一この子が全然くだけた口調だし……。


「じゃあ……あの。お茶、ありがと」

「――!!うん!体調はどう?」

「うん、もう大丈夫」


 身体よりも、きっと心が疲れていたと思う。

 でも、お茶の温かさよりも、この子の笑顔で私は多分、元気になったんだ。


「なんか、同い年くらいなのにすっごいお姉さんみたいだね」

「……お姉さん!!あ、あたしのこと?」

「うん。心配して助けてくれたりとか。私だったらこんな風に出来ないもん」

「そ、そんなお姉さんなんて……ふ、ふふっ、ま、まあそんなことも!ある、かもねっ」


 その子はお姉さんと呼ばれたことがよっぽど嬉しかったのか、ゆらゆらと肩を揺らしていた。ふわふわしてるなぁ、と思う。

 ――もし、同じ中学だったら友だちになれたり、とか。


「……私ね」


 気が付いたら、私は名前も知らない女の子に自分のことを話していた。


「両親の都合で引っ越して来て。春から、この町の学校に通うんだ。二年生になるんだけど。せっかく出来た友だちとか、この年までそこで過ごして来た思い出とか、なんか全部無くなっちゃう気がして。色々不安で。知らない町を歩いていると気分が楽になったんだ。変な話だけどね」


 それで迷子中、と笑いかけると、その子はそっと目を伏せ、視線を逸らした。

 ……いきなり、キモかったかな。

 ずきりと痛む胸はけれど、そのすぐ後に温かくなった。


「あたしもね、春から二年生なの!ね、あたしたち友だちになろ!これも何かの縁だよ。あたしが友だち第一号……号?人?番?まあいいや。この町で最初の友だちになるよ!」

「……!」


 その、りんごの香りのお誘いはあまりにも予想外で、私は何を言われたか理解するのにちょっとだけ時間を使った。それから、どきどきと高鳴る鼓動を何とか落ち着かせて返事をしようと思った、けど。

 目の奥が熱くなって言葉が出てこなかったから。


「うんっ」


 私はその一言を精一杯の笑顔と共に口にしたのだった。


 ――これが私、七瀬空ななせそらと。


「あたしね、双葉奏ふたばかなで。よろしくね!同じクラスになれるかな~」


 私の新しい友だち、奏との出会い。



※※※



 そしては唐突にやって来る。

 始業式。私にとっては、入学の日みたいなものだ。

 あれから奏と連絡先を交換した私は春休みの間、ほとんど毎日奏と通話した。トークもしたし。遊びにも行った。

 同じクラスにはなれなくても、奏が居るなら新しい学校でもきっと大丈夫、と。まだ二週間くらいの付き合いだけど、もう私の毎日に奏の存在は欠かせなかった。


『じゃあまた学校でね』

『うん!』


 昨日の夜交わしたメッセージを見つめる。

 大丈夫、大丈夫だ。

 変な時期での転校という訳でもないし、まだ馴染みやすい方だと思う。それに最悪馴染めなくても、私には奏が居る。

 ――だから、張り出されたクラス名簿の中。私はまず、自分のクラスに奏の名前が無くて落胆したけど、なんとか耐えられた。隣のクラスだったらいいな、とかじゃあどこのクラスかな、とか。

 けれど、その後人混みを掻き分けて、散々苦労して探し回っても「双葉奏」の文字はなくて。

 きっとゆっくり見られなかったからだろう、と私は一旦教室へ向かった。それから一クラスずつ確認しようか迷った私は、


「あの、先生。双葉奏さんって何組か分かりますか?」


 と、直接先生に聞くことにした。転校生だし、先生も色々事情を察して教えてくれるだろうと思ったから。

 けれど、返って来た言葉は全く予期せぬもので。


「……ごめんなさい。他の学年は分からないけど、二年生にそういう名前の子は居ないよ」

「……え?」


 

 だって、春から二年生で、それで同じクラスになれたらいいなって、言って。

 困惑する私は、狙ったようなタイミングで鳴ったスマホに驚きつつ、「双葉奏」の表示を見て慌てて電話に出た。先生に会釈をして、廊下に出てから「奏?どうしたの?」と囁いた。


『あっ、空ちゃん!ねえ、空ちゃん、うちの学校に居ないって……二年の先生に聞いたらそうやって言われたんだけど』

「――!か、奏も?私も今、奏が何組か聞いたらそういう名前の子は居ない、って」

『あれぇ?なんでだろ……もう一回聞いてみ――ん?いいけど。あ、空ちゃん、ちょっと待ってて』

「え、あ、うん」


 なんだろう。

 なんか、奏の隣から別の女の子の声が聞こえてきた気がするけど、遠かったから分からない。

 不安に苛まれる数秒が過ぎると、『空ちゃん、画面見て!』と奏の声。


「うん……って、ビデオ通話?」


 画面に映った奏の姿に、私は反射的に自分の画面もオンにする。

 春休み中の通話の癖が出てしまった。


『あー、えっと、空さん、だっけ?急にビデオ通話にしちゃってごめんね』

「えっ……あなたは」


 ぬっ、と奏の隣から顔を見せたのは、私たち二人とも全く異なるタイプの、快活そうな女の子だった。距離感から察するに、奏の学校の友だち、だろうか。

 奏とその子の肩の触れ合うその距離感に、なぜだか心がちくりとして。


「あ、制服違う。やっぱり、別の学校……」


 そしてもう一つ、ビデオ通話の画面に映る二人の制服が、私のとはまるで違うデザインだったのだ。

 確かに、同学年で盛り上がってしまって、ちゃんと学校名まで確認してなかった。奏は私の家の結構近くだったから、学区が同じだろうって高を括っていたのもあるけど。

 ……ん?家が近いなら、じゃあなんで違う学校?


『あー……空さん、あのね。ほんっっっと、この子がごめん』


 状況が呑み込めない私(と奏も)は、その子の謝罪の言葉を聞いても正直困惑が先に来る。


『え、なに?あたしなんかしちゃった?』

『ちょっとあんたは一旦黙ってて。あの、空さん。落ち着いて聞いてね?』

「……はぁ」


 奏の見たことのない表情にむずむずする心を、息を吐いて誤魔化して、私は言われた通りじっと続く言葉を待った。

 果たして、告げられたのは――


『空さん、中2なんだよね。ウチら、

「……え?」

『――え!?空ちゃん、中2だったの!?』

『まあ、だって奏の話聞く限りそうかなって。というか空さんの制服、ウチの母校のだし。中学の時着てたし』


 何を言っているのか、分からなかった。

 だって、奏は私と同学年で、それで。春から二年生。新しい友だちで、これから一緒に学校生活を送るんだって笑い合って。

 お昼を一緒に食べたりとか、一緒に学校行ったりとかも。

 ――そもそも、中学生と高校生じゃ、別世界だ。


『あの、それでね……』


 奏の友だちが何か言っているけど、何も頭に入って来なかった。

 本当は他に言うべきことがあるのに、私の頭に浮かんできたのはあの日の奏の笑顔で、それで――口をついて出たのは、一番言いたくない言葉たちだった。


「――なんで教えてくれなかったの!!私、奏と一緒に学校に行くの、楽し、みに……っ。せっかく、友だちが――だって、そんなの、こんなの、中学生、と高校生じゃ」


 ――刹那、私の脳裏に泡沫のように浮かんだの想像で、私は自分の気持ちを知った。

 手を繋いで学校に行って、教室で2人笑い合って、お昼を食べて、休み時間も一緒に話して、放課後にはデートをして。その隣で、私の一番好きな笑顔が見たい、とそう思ってしまうほどに。

 ああ、私は奏のことが好きだったんだな、って。


「私……奏と」


 その言葉の先を続けようとして、私ははっとした。

 自分でも気づけないくらい大きな声を出していたらしく、他の生徒たちの注目を集めてしまっている。若干泣いているのもあるし。

 何より、そんな顔を、今奏に見せてしまっている。


「……ごめん」


 私はビデオ通話の画面をオフにして、足早にその場を立ち去る。まだまだ慣れない校舎、人気のない場所なんて分からなくて、流れ着いたのは廊下の隅、理科室の前。

 まだ授業がない日だから、教室の前よりも静かな行き止まりだった。


『……こっちこそ、その。ごめんね、空ちゃん』


 奏の声は聞いたこともないくらい沈んでいて、それが私のせいだって分かるから、余計に痛い。

 でも何よりも痛いのは、もっとちゃんと、ずっと一緒に過ごして居たかったのに。奏と違う学校ってだけじゃなくて、同い年ですらなかったことだ。しかも中2と高1ならまだ、1年だけ同じ高校に通うチャンスがあるのに。

 中2と高2じゃあ、私たちの日々はもう、交わらない気が、して。


「――奏、先輩」


 覚えず口から零れたその言葉を聞いた奏は、一瞬悲しみに目を濡らしたが、すぐにいつもの、私が好きな笑顔を浮かべてくれて。


『空ちゃん、あたしには今まで通りに接して欲しいな。だってもうあたし、空ちゃんと過ごす時間が、大好きだから。先輩後輩じゃなくて、対等な友だちとして』

「……それは」


 そんなの、ずるい。

 だって、だって奏は私よりも先に大学生になって。いや、もしかしたら先に就職かも。

 その先も、中学生の私の想像の手の届く範囲の将来の日々においては、ずっと私の先を行くのだ。大人になったら、多分学生時代なんてほんの一瞬のことで、友だちが自分と異なる進路を選ぶことは当たり前になっていくんだろうけど。

 私には、まだその世界は遠い。

 私だって、奏との時間が大好き。

 ほんの数分前に自分の気持ちに気が付いたくだいだし。

 だから、もっと一緒に、居たかったのに。


「だって、だって奏。私たち、3つも年が離れてるんだよ?中学生と高校生なんだよ?休み時間一緒に過ごしたり、2人で帰ったりも出来ないんだよ?」

『……あのね、あたし、調理部に入ってて。活動が休みなのが月曜日と木曜日なの』

「――いきなり何?」

『だ、だからっ。あたしも、空ちゃんと一緒に帰ったりとか、したかったから。もし、もし良かったら最寄り駅から家までは一緒に帰りたい。部活の時間とか、教えるから、その……時間とかも、合わせて。ええと、だから、その……っ』

「――奏」


 スマホに映る奏は身振り手振り、まっすぐに気持ちを伝えようとしてくれていた。それだけで、きっと奏も同じ気持ちなんだって分かる。

 ――好き、の方も同じだったら、いいのにな。


(……って、私何考えて)


 でも。

 こうして中学生と高校生って分かった後も、奏は変わらず私との時間を想ってくれているんだって分かって、それが私は心の底から嬉しくて。

 そりゃ、どんなに願っても奏との学校生活はもう、送れないんだって思うと、胸が苦しい、けど。


 ――想像する。

 違う制服を着た私たち。駅の改札の向こうから、ぱたぱたと走って来る奏を待つ私。私が手を振ると、嬉しそうに振り返してくれて。

 並んで歩いて、中学校のこと、高校のこと。昨日みたテレビのこと、好きな動画のこと。服とか音楽のこと、明日のこと。昨日の、今日のこと。

 他愛もない話をしながら、夕暮れの街をゆっくりと歩く、そんな瞬間。


「……約束して」

『約束?』

「うん。私待ってるから。だから。ちゃんと、一緒に帰ってよね」


 それも、いいかもなって、思えてしまう。

 だって奏と一緒だから。


『――うん!!任せてよ!!』


 ちょっと抜けてる同学年の先輩と、そんな彼女と負けず劣らず、あの日学校の名前を聞くという初歩的な質問をスキップしてしまった抜けてる私と。

 同学年だったのは春休みの間だけだったけど、その関係はきっと変わらない。

 ……もしかしたら、変わったのかもしれないけど。


「うん。任せた」


 画面をオンにした私は、手元のスマホに映る奏の自信満々な笑顔に負けないくらいの微笑みでそう返したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が好きになったのは、同学年の先輩でした 音愛トオル @ayf0114

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ