ロックンロール・ブレイカー

DITinoue(上楽竜文)

第1話

 キィッ、カチャ、リ


 閉まったドアは、入った時よりも背中が寂しげに見えた。


森口晴人もりぐちはると殿 四月一日付で、営業一課の任を解き、営業二課への異動を発令します』


 部署へ辿り着いても、こちらをちらりと見る者はあっても、何があったのかなど訊いてくる物好きはいなかった。

『森口君へ 君の良い仲立ちのおかげで、質の良い薬をより安く、患者に届けることが出来ました。これからも、当院との取引をよろしくお願いいたします』

 デスクのパソコンに貼っていたメモ帳をチラリと見る。

 一カ月前、握った院長の熱い手の温度が皮膚に蘇る。

 ――やっと、上昇気流に乗り始めたところだったのに。

 はたとそれが止んだと思えば、今度は強烈な横風に殴り倒されようとしている、翼が生え出したばかりの自分。




 社員食堂に、人はもうまばらだった。

 残り少なくなったおかずを片付けようとしたスタッフが、こちらをチラリと見て、溜息一つ、厨房へと帰っていく。

 食道が食物を受け付けそうになかったので、とりあえず端の方に残っていたヨーグルトに、はちみつをかけて机に持ってくる。

 コーヒーを一口含んで、僕は鞄から、冊子大の小説を取り出した。

 ――こういう状況、リオさんなら、どうする?




 ***




 昨年末、わりに大きな病院との取引は順調に進んでいた。

「おい、森口、……電話だ」

 課長が、鉄仮面のような硬い表情で、受話器を渡してくる。

「はい、お電話代わりました、森口……えっ」


 肝心な資料の渡し忘れ。

 海外工場の状況もあり、これで、薬の納品は大幅に遅れる。

 さほど大きな病気の治療薬ではなかったこともあり、患者の命が左右される、というところまではいかなかった。

「お前、そんなんでな、向こうが必死に治療してきた患者の命が一瞬でパーになるんじゃ。ついでに、俺ら営業の信頼、首、そこらもまとめて、ぶっ飛んじまう。分かるか。この意味が。今回の失敗が、この薬だからよかったってか? ああ?」

 課長は、カンカンだった。


 三日後、どこか身体が重い。

 布団から起きようとすると、ガツン、と鈍器で殴られたような頭痛。

 会社を休んで病院に行くと、インフルエンザと判明した。

「インフルエンザぁ?! 冗談も程々にしろ。相手方は、例のミスがあっても、取引を続けようとしてくれてるってのに、お前はそれを……っ」

 アルミのデスクが揺れる音が、電話越しに何度も聞こえた。

 それでなおさら、僕の心臓は激しく震えあがった。


 ――図書館にも行ってないし、なんかあればなあ。

 最近、書店の帯にも名前を見つけるようになったウェブ小説サイトを開いてみることにした。

『今月のランキング』

 外れが無いことを求めて見ると、星の数、フォローの数などで圧倒的に下を引き離している作品があった。

 どれも変わらないゴシック体までもが、俺を俺をとぎらついているように見えるくらいだ。


『ライブハウスをぶちこわせ/白テングタケ』


 カーソルが引っ張られるように、その物語を読み始めると、僕は主人公に、一気に心が惹かれていくのを感じた。

 佐々木凛音那ささきりおな 。

 売り出し中の男女混合パンクロックバンド、美爆音のヴォーカルギター。

 ぶっきらぼうだが意外に繊細で、それでもとにかくひたむきで楽観主義。

 言葉遣いが荒いのに、その奥にある熱のせいか、自然と周りを味方につけていく。

 ――僕だ。

 そんな凛音那の中に、僕は、幾度となく夢に出ては散ってった僕を見た。




 熱狂渦巻くロックフェスに足を運ぼうと思ったのもそこからで、久々に生で見た、エレキギターのギュインと鋭く響く金切り音、エレキベースの重々しさは魂をくすぶるようだった。

 その出店の中に、一風変わった店があった。


『BOOK MARK』


 バンの外には、たくさんの本棚が置いてある。

 ――なんでロックフェスに。

 と、確かに音楽雑誌などがたくさん並べてあって、そのいくらかは、棚がスカスカだった。 

 その中に。


『人気ネット小説『ライブハウスをぶちこわせ』当店限定、スピンオフ短編書籍化! この機会にぜひ、これまでとは違う、“スーパーパンカー・佐々木”を見てみてください!』


 とある。

 僕は、その文字に黒目が焦点を合わせて動かなくなった。

 ごく自然な動きで、と言っても小さく震えながら手を伸ばした。

「あっ」

 と、本の手前で、手が、ガサガサした感触の何かとぶつかる。

「あ、すみません……」

 その手の持ち主は、女性だった。


「ああ、いやこちらこそ」


 金髪のショートヘアーに、鋭い目、獣のように目立つ犬歯。

 全体的に勝気な顔は、何かを連想させる。

 ――佐々木凛音那?

 脳内でしか生きていなかった凛音那が、目の前の女性に重なった。

「あ、これ、どうぞ」

 女性は、足早にその場を去ってゆく。

 僕は、ぽっかり口を開けて彼女を目で追っていたが、後ろからの人の視線に背中が強張ってきて、慌てて本を買った。




 ***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る