あこがれ

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

「意味わがらねえじゃ……」

 坂木秀明さかきしゅうめいは、苦悩していた。

「どうしたの? 坂木君」

 はいお茶と、隣に座る。梅の花がちらほらと咲いている。

「今度出るアンソロジーで『あこがれ』がテーマなんだけど、テーマが茫漠としていて完全に詰んだ。まさかの一文字目が全く浮かばない!」

「あこがれ? あこがれ……」

 石矢世津奈いしやせつなは繰り返し、首を倒したまま固まった。

「うん。もう少ししぼってほしいね」

「だすけよ!」

 坂木秀明は激しく同意した。

「坂木君が南部弁で話してる時点でかなり追い詰められているね。とりあえず連想ゲームしよう」

「うん……」

 いつも以上に死んだ表情で、リングノートの新しいページを開く。

「まずは自分があこがれている物とか人とかは?」

「……」

 坂木君がフリーズしている。

 石矢世津奈はノートとペンを奪い取り、「坂木君、なし」と書き殴った。

 で、泣いた。

「意味ねえ!」

「なんというか概念としては理解できるんだけど、それ本当に実在するの? みたいな」

「あこがれは、サンタクロースなの?」

 フッと坂木秀明は嫌な笑い方をした。

「ごめんなさい。私には書けませんって言いなよ」

「うん」坂木秀明は遠くを眺めている。「多分、同じようにどうしても書けない人がいて、こっちまで回ってきたっぽい。編集のやつ、電話口で泣いてたし。何だ、この負の連鎖は。黙って、うっすい文庫本出せよ」

 舌打ちした。

 風が強くなってきた。

「寒いから帰ろう」

「うん……」

 坂木秀明は、この世の終わりのような顔をしていた。

「大体、東大生になりたいとか、アイドルになりたいとかなら、まだ方法があるじゃん。そう、夢は追いかけている時が、いちばんの花なんだよ。え、何、あなた夢を実現して楽しいんですかと私は問いたいね。芥川賞だの直木賞だの、とってしまったらもうその楽しみは消滅する訳だよ。そんなの、ただの幻想だよ。だから、離婚するんだろうが。あこがれなんて持つから人を嫌いになるんだよ。というか、もうこの『あこがれ』が嫌!!」

「たまってるなあ……」

 石矢世津奈は、心がちくんとした。

「僕も、学生時代、自分の家が動物病院やっていて、僕が養子だと知ると、頑張って獣医さんにならなきゃねとか言われて『はあ?』と思ったっけなあ……」

「そう、小さい子は本当に警察官だのケーキ屋だのになりたいとは思っていないよ。他に仕事あんまり知らないからな」

「ああ……」

 なんだか哀しくなってきた。

「よし! スーパー寄って、鍋っこ団子の材料買って行こう! それ食べて、元気出すんだよ。あと、この話をそのまま書けばいいと思うよ」

 無理に笑うと、唇に涙が染みた。

「やっぱり、石矢君は私の優秀な編集者だね」

 頭をぽんぽんして、抱き締める。

「これで、はした金が貰えるぞ!」

「原稿料ね」

 二人で、スーパーに向かった。梅の香が、心地よかった。






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あこがれ 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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