その男最強につき

高槻とうふ

序:弱者は今際の際で希う

 ガイアが魔剣を振るうたび、大地は彼の意志に応じて波打ち、盛り上がった。

 隆起した岩の柱が突如として天を衝き、戦場そのものが彼の支配下に置かれていく。


 "最強"が誕生したのは、つい今しがたのことだった。




 ガイアにとって、それは死闘だった。目の前の敵は一瞬の油断も許してはくれない。

 目の前の敵は、中央大陸に小国を構える、とある魔王の手下の、手下の、さらに幾度も下った先の手下。名無しのゴブリンだった。

 緑の肌。薄汚い紫色の血管が浮き出ている。雑巾のような衣服の上からでもわかる貧相な体からは、形容しがたい悪臭を放っていた。


 矮小なゴブリンは涎をダラダラと垂らしながらに、好奇な目でガイアを見つめていた。それもそのはずで ゴブリンたちにとって弱者を屠ること以上に悦楽を感じるものはほかにないのであった。


 ゴブリンにとって、目の前のガイアは砂利同然であったのだ。


 「こいつは良い人肉だぜ きっと!」

 ゴブリンが獲物を見つけた獣のように叫びながら、石斧を振り上げる。


 ガイアは剣を構えたまま、足を踏ん張った。

 (……いける。ちゃんとやれば——)


 が、しかし、鈍い衝撃がガイアの腹部を襲った。

 「が……」

 ガイアの思考よりも先に、体が地面へ叩き付けられる。

 そして、続けざまにゴブリンの膝蹴り。ガイアは構えた剣ごと、無様に転がるしかなかった。弄ばれているのは明白だった。


 「く……」


 すぐに立ち上がろうとするが、ゴブリンは逃がさないと言わんばかりに距離を詰め、石斧を振り下ろしてきた。


 「くそ……!」

 ガイアは剣を横に払う。狙いは斧の柄。タイミングさえ合えば弾き飛ばせるはずだった。


 ——だが、現実は違った。


 剣の刃が斧の柄に当たる。しかし、ゴブリンの握力がそれを上回った。


 斧はびくともせず、ガイアの剣は弾かれる。


 ——まずい。


 直後、斧の腹がそのままガイアの肩に叩きつけられた。

 「……ッ!?」

 肩が軋む。痛みがじりじりと脳を犯してくる。

 ゴブリンの石斧は切っ先がボロボロで、もはや斧というよりも槌といった方が正しいくらいだ。肩が砕かれたのが分かる。いっそのこと、自身の剣を差し出して肩を切り捨ててほしいくらいだった。


 (こんな……雑兵のゴブリン相手に……!)

 ゴブリンは笑っていた。見下すような、楽しむような笑い。

 ガイアは必死に魔力を練る。


 「ストーン・スクリプト」


 魔法で生み出した石粒を放つ。だが、それはゴブリンの腹に当たるも、せいぜい後ずさりさせる程度だった。


 ——威力が足りない。


 「豆鉄砲かギャハハ!!!」


 どうして、こうも惨めな思いをしなくてはいけないのだろうか。ガイアの心は折れていた。


 真面目な人間ほど馬鹿をみる。どうやら、本当のことらしい。と、ガイアは自身を嘲笑うことでしか平静を保てなかった。


 ガイアは昔から「真面目だけど、、、」と言われ続けてきた。剣術の才能は可もなく不可もなく、魔法の才も凡庸。

 ただ、地道に努力を重ねることは苦ではなかったし、それが自身の長所だと信じていた。

 戦士としてコツコツと努力していれば、いずれ実を結ぶだろう。そう信じていた。


 ガイアは、惚れた女の言葉を思い出した。

 「アナタは真面目すぎて、つまらない」

 冷たくあしらわれたその言葉は、いまだに胸のどこかに突き刺さっている。


 それでも、ガイアは戦士としての道を選んだ。目立たなくてもいい。派手さがなくてもいい。ただ、地道にコツコツと、着実に戦う力を身につけていこうと思った。


 だが、そんな矢先だった。


 魔王軍との小競り合いに駆り出されたのだ。突然のことだった。大きな戦ではない。ほんの些細な戦闘。それでも、経験の浅い新米の将校が指揮をとった部隊は、敵の罠にはまり、たちまち壊滅状態となった。


 戦場には、逃げ惑う者、命乞いをする者、そして次々と倒れていく仲間たち。

 気づけば、ガイアは孤立していた。

 そして今、目の前には、一匹のゴブリンが立ちはだかっている。


 魔王軍の最底辺。名もなき雑兵。


 だが——


 それすらも、ガイアには歯が立たなかった。


 ゴブリンが再び飛びかかる。ガイアは防戦一方。斬撃を放っても、紙一重でかわされる。剣筋は悪くないはずなのに、速さも精度もまるで足りなかった。


 (……俺は何も成せずに死ぬのか? 俺は…)


 冷たい現実が突きつけられる。

 ガイアはコツコツと努力してきた。剣術も、魔法も、決して怠らず積み重ねてきた。

 だが、それは——


 (“凡人”がどれだけ努力したところで、こんな雑兵のゴブリン一匹にも勝てないのか?)


 ゴブリン共の目が、ガイアの心が砕かれるのを見逃すはずがない。ガイアを取り囲む様に群がっては、下劣な嗤い声をあげていた。


「ギャハハ! なんだよ、もう終わりか? 人間の戦士ってのは大したことねえな!」

 一匹のゴブリンがゲラゲラと笑いながら、血に濡れた石斧を振り回す。


 ガイアは立っているのがやっとだった。肩は砕かれ、腕も痺れて動かない。魔力を練ろうにも、先ほど放った魔法でほぼ枯渇していた。


「おい、役立たずが戦場で迷子になってやがるぞ!!」

「自分が死ぬ理由も知らねぇんじゃないか?」

「おい、誰か教えてやれよ!!ギャハハハ!!」



ゴブリンの言葉に、ガイアは眉をひそめた。

「……どういう、ことだ?」


 問いかける声も、かすれていた。


 「やっぱり、知らねえのか? そりゃそうか、可哀想なやつだな!!」


 ゴブリンはよだれを垂らしながら、楽しげに続けた。


 「お前らの王様がよ、ウチの魔王サマと取引したんだよ。『兵士を一定数くれてやるから、サキュバスと一発ヤラせろ』ってな!」


 ガイアの背筋が凍りついた。


 「……嘘だ」


 「嘘じゃねえよ! 戦場をよく見てみろよ、お前らは、どうせ戦争で死んでも痛くも痒くもねえ連中だろ? 役立たずの将校に、才能のない兵士たち。お前らみたいな、クズばっかり!」


 ゴブリンたちは腹を抱えて笑い始めた。


 「笑えるよなぁ! せっせと真面目に生きてきたってよ、結局は“生贄”にされるだけ! お前の人生は、サキュバスとのチョメチョメ 三擦り半もないってことさ!」


 ガイアの心が、冷えていくのを感じた。

 ——納得がいった。しかし、認めるにはあまりも度し難い。


 才能のない将校。経験の浅い部隊。敵の罠にまんまとかかり、あっさりと壊滅。

 “才能がない”と判断された者が、ただ戦場に捨てられるための部隊だった。


 (……俺の、努力は……)

 何の意味もなかったのか。

 地道にコツコツと積み重ねてきたものは、何の価値もなかったのか。

 ——そうか。



 ゴブリンの石斧が大きく振りかぶられ、一直線にガイアの喉元へと迫る。

 時間が、止まるようだった。

 死が目前にあった。


 (ああ……俺は)


 こんな場所で、こんな風に、終わるのか。


 ——ちがう。

 喉元へ迫る石斧の軌道の先で、ガイアはようやく思い出す。

 ——俺は、戦士になりたかったわけじゃない。

 ——地道に、コツコツ、真面目にやれば、何かになれると思っていた。

 ——でも、それが何なのか、俺はずっと考えてこなかった。

 (……俺が、本当にやりたかったことは——そうだ!!——だ!!)



 今際の際に吐露された、滓なき本望。

 汚れし者の、聖なる純心。

 血に濡れし剣。

 その剣を手にする者、生を渇望せし者。


 その奇跡は必然だった。


 戦場が、大地が、──世界そのものが震撼した。

 その震源は、ガイアの足元より湧き上がる。

 突如として、轟く如き音が響き渡り、

 剣は天の光を奪い、眩い輝きを放った。

 黄金と深緑が入り混じる光。大地の息吹が震えるような気配。



 「な、なんだ!?」


 ゴブリンが怯んだ瞬間、ガイアの足元から風が爆発的に吹き荒れた。


 「グギャアアアア!!?」


 ゴブリンたちの体が、吹き飛ばされる。

 血の匂いに満ちていた戦場が、一瞬で清浄な大気に満たされた。


 「これ……は……?」


 ガイアは自分の手を見た。

 握っている剣は、もはや先ほどまでの凡庸な鉄の塊ではなかった。


 柄には、まるで大樹の根のような紋様が浮かび、刀身は澄んだエメラルドの輝きを放っていた。


 剣ではない。


 人類史上初、魔剣の生成。

 それは、取るに足らぬ雑兵が引き起こした、天地を揺るがす奇跡であった。

 その日を境に、世界の勢力図は一瞬にして書き換えられ、

 名だたる強者たちは知らぬ間に、その変革に置き去りにされていた。


 

 「グギャ……? なんだこりゃ?」

 ゴブリンが怯えたように一歩後ずさる。


 ガイアは、そのまま剣を振るった。刃が地面を裂き、大地がまるで目覚めたかのように隆起し、波打った。


 「ギャアアアア!!?」


 ゴブリンたちの足元が崩れる。

 地面がねじれ、断層が裂けるようにせり上がる。


 震えながら顔を上げたゴブリンの目に映ったのは——


 血で染まった大地に誕生した樹海だった。


 地割れの隙間から、無数の幹が勢いよく飛び出し、枝葉を広げる。

 数秒前まで血の匂いに満ちていた戦場が、一瞬にして緑に覆われていく。


 「な、なんだこりゃあ!?」


 ゴブリンの悲鳴も虚しく。


 木の根が、絡みつく。

 枝が刃となって突き刺さる。

 岩が盛り上がり、まるで槍のように魔物を貫く。


 「ギギ……ギャ……!!」


 次々と押し潰され、串刺しになり、絶命していくゴブリンたち。


 ガイアは佇んでいた。

 夜風が頬を撫でる。その風すらもガイアが起こした現象であると、彼自身まだ気づいていない。


 風が吹き抜ける。彼の足元から、緑が芽吹く。

 戦場の死臭を、全ての生が塗り替えていく。


 その光景を見ながら、ガイアは静かに息を吐いた。


 「……砂利にやられる気分はどうだ?」


 彼が魔剣を振るった瞬間——


 遥か遠くの王城。

 玉座に座る王の額を、一粒の石が正確に撃ち抜いた。

 隣にいたサキュバスもまた、同じ運命を辿る。


 血の雫が床に落ちる音だけが、静寂の中に響いた。


 「やりたいことは何でもやる。だが、少し片づけをしてからだ。」


 ガイアは剣を鞘に納め、一人中央大陸に向かうのであった。





//短編なんで、あと二話で終わらせましょう。




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