第12話 真実へのバトン


 令和七年、一月二十日、月曜日。愛雨。


 年が明け、一月も半ばを過ぎた。この日の授業を終えた僕と春夏冬くんは、大久手市中央図書館へ移動して、大久手市の郷土の資料を読み漁っていた。

「しかしアレだな、ひとえに郷土を研究しろと言われても、難しいものだな。何を題材にすればよいか迷ってしまう」

「本当だね。陳腐なネタで大会に出場すれば予選落ち。奇をてらい過ぎても同じく。選ぶ題材が勝敗のカギとなるね」

「うむ。出場するからには優勝をしたい。よい題材を見付けよう」

 先日、春夏冬くんが学校から「全国高等学校社会科学・郷土研究発表大会」という大会にぜひ出場をして欲しいとお願いされた。その際に彼は「愛雨がパートナーになってくれるなら」という条件で出場を了承した。即日、学校から僕に出場の打診が来た。春夏冬くんが僕を必要としてくれているなら、それはとても光栄なことだし、これと言って断る理由もないので、僕は二つ返事でOKをした。以上が事の成り行きだ。

「例えば、平成十九年の新聞記事から題材を探すというのはどうだ?」

「なるほど。僕たちが生まれた年に、郷土で何があったかを研究し、それを大会で発表する。ナイスアイデアかも」

 僕たちは、過去の地方新聞の縮刷版のある棚へ行き。そこで平成十九年の記事を読みまくり、面白そうなネタを探がす。二人で様々な新聞記事に片っ端から目を通し、一時間ほど経った時だった。

「……あれ。おい、愛雨。この記事……」

 春夏冬くんが、僕に、とある日の新聞の縮刷版を見せてくる。

「ん? 何か面白いネタを見付けたの」

 彼が指差す記事を覗き込む。

「そうではない。ほら、これを見てくれ。この記事に載っている被害者。これって、君のお父さんじゃないか?」

 それは、平成十九年、八月三日、僕の誕生日に発行された地方新聞の記事だった。

《8月2日午後2時40分ごろ、A県大久手市の土地区画整理事業地内の建設現場で、掘削工事をしていた作業員から「うちの社長が土砂の生き埋めになった」と119番通報があった。男性は意識不明の状態で約2時間後に死亡した。体を圧迫されたことによる窒息死とみられる》

 は。は。は。記事を読み始めた途端に過呼吸になる。それを解消するため、細くゆっくりと息を吐き、また記事を読み進める。

《県警の調べによると、死亡したのは建設会社社長・櫻小路欽也さん(37)。櫻小路さんは、工事写真を撮影するために掘削した穴に入った際、突然土留め板がへし折れ、崩壊した土砂の下敷きになったという。穴の深さは約2メートル。当時、同じ穴で作業をする者はいなかった》

――櫻小路欽也。僕が生まれる前日に死んだ、僕の父さん。

《現在、労働基準監督署が事故原因を究明中であるが、今のところ施工会社の安全管理に落ち度はなく、何故土留め板が突然へし折れたのか、関係者はこの奇怪な出来事に首を傾げるばかり。工事関係者の証言によれば「あるはずの地蔵堂が撤去されている。これは、三つ首地蔵の祟りだ」とのこと。本誌は、その方面で独自の操作を進める方針》

「間違いない。これは、僕の父さんの労働災害死亡事故の記事だ。心臓がバクバク鳴っている。父さんが建設現場の事故で死んだことは、母さんから聞いてはいたけれど、こうして詳しい内容を知るのは始めてだったから」

 冬だというのに、額から滝のように流れ出る汗をハンカチで拭い、春夏冬くんにそう返事をする。

「おい、愛雨。この記事の最後に書いてある『三つ首地蔵』って、いったい何だ?」

「何だろう。分からないなあ」

「ならば、この地蔵について、もっと詳しく調べてみないか? 記事を読む限り、君のお父さんは、労災事故で亡くなったとは到底思えない。地蔵堂が撤去されたことに深い関わりがある気がする。君はどう思う?」

「父さんの死の真相に迫る……有難い話だけど、お断りするよ。そんな個人的なことに春夏冬くんの貴重な時間を浪費することはできない」

「どうしてだ。どうして他人事なのだ。君の問題じゃないか。君は当事者じゃないか。君のお父さんの死の真相に迫る。それは、言うなれば、君たち三つ子が、なぜに天よりひとつの肉体しか与えられなかったかという謎を解くチャンスだ。君は、どうしてこのように物事を建設的に捉えられないのだ」

「そうグイグイこないでよお。僕的には、春夏冬くんのそういうやる気が、もうそれだけで結構なストレスなのだよお。もういいから。僕の父さんの死の真相なんて、もうどうだっていいから。それよりも、郷土研究の題材を探すことを優先しよう。ね?」

 すると、僕と話していても埒が明かないと判断した春夏冬くんが、静寂の図書館に響き渡る大声で、虚空に向かって叫ぶ。

「おーい。和音、夜夕代、君たちはどう思う?」

 その刹那、ゲンコツを作った僕の右手が、僕の頭を思い切り殴りつける。痛いっ。僕の左手が、僕のほっぺたをに練り上げる。痛いってばっ。分かったから。君たちの気持ちはよく分かったから。お願い。暴力はやめて。

「どうやら、二人は、ボクの意見に賛成のようだな」

 この日この時この瞬間、僕の幼馴染で、僕の大親友である春夏冬くんが、大久手市中央図書館で偶然拾った「真実へのバトン」を堅く握り締め、スタートラインに立った。

「和音、聞こえるか? 明日の昼休憩の時間に一緒に保健室へ行こう。林檎先生に逢うから、付き合ってくれ」

 僕の頭上あたりでこの会話を聞いているであろう虚空の和音に向かい、明日のスケジュールを伝える春夏冬くん。

「ねえ、春夏冬くん。どうして林檎先生に逢う必要があるの?」

「以前、林檎先生と雑談をしていた時に、若い時にオカルトや超常現象にハマった時期があったと言っていた。恐らくサブカルチャーには造詣の深い女性なのだ。林檎先生なら『三つ首地蔵』について何か知っているかもしれない」

 火ぶたは切られた。


 令和七年、一月二十一日、火曜日。和音。


 俺は、昼休憩の時間に、春夏冬と一緒に保健室へ行った。父ちゃんの死の真相を知る為の手掛かりを、林檎先生から得るためだ。しかし、いつもなら保健室で書類に埋もれて昼食を食べている林檎先生が、今日に限って不在だった。全ての授業が終わった夕方に再度保健室を訪ねたが、また不在。ちっ。小悪魔め、どこへ行きやがった。

 職員室へ行く。入口のところで春夏冬が「林檎先生はどちらにいますか。相談したいことがあるのです。林檎先生を呼び出して下さい」と通りすがりの先生を捕まえて言う。「林檎先生なら、朝から校長と教頭と会議をしているよ」「朝から? ずいぶんと長い会議ですね」「時々林檎先生と教頭が激しく口論をする声が職員室まで聞こえていたよ。いったい何を話しているのやら」その時、林檎先生が、校長室の扉を開け、重い足取りで廊下へ出て来た。

「林檎先生、捜しましたよ」

春夏冬が、彼女に駆け寄り、声を掛ける。

「あら~、どうしたの? 校内一のイケメンと、校内一のアウトローがお二人で」

「るっせ。あんたこそ、どうした。珍しく物憂げな顔をしやがって」

「それがさあ、内示を出されちゃってさあ。って、あなたたちには関係のない話ね。――で、なに? 私に何か用?」

 俺たちは、保健室へ移動した。

「林檎先生。先生は、オカルトや超常現象に詳しいとか」

「まあね。あなた達ぐらいの年の頃には『月間ムー』を夢中で読みまくったわ。若気の至りね。お恥ずかしい限り」

「じゃあ、あんた。『三つ首地蔵』と聞いて、何かピンと来るか?」

 丸椅子に膝を組んで座る林檎先生に向かい、俺たちは、祈るような気持ちで質問をする。保健室の窓から、強い西日が射している。

「ピンと来るも何も『三つ首地蔵』と言ったら、この大久手市血の池町に古くから伝わる都市伝説よ。あなたたちは、この街に生まれながら、三つ首地蔵の伝説を知らないの? 他県で生まれた私だって知っている、結構有名な話よ。ずいぶん昔に流行った噂話だから、今の学生は知らないのかな」

「三つ首地蔵の伝説? 知らねえ」

「林檎先生、お願いです。先生が知っていることを、全て俺たちに教えて下さい」

「まことしやかな話だから、信憑性の程は定かではないけれど、この街には、その昔非業の死を遂げた若殿様の怨念を鎮めるために、地域の民が建てた地蔵堂があったらしいの。そこに祀られていたのが『三つ首地蔵』。それが後年、何者かの手によって破壊され、お地蔵様は埋められてしまった。地蔵堂に手を掛けた本人は、祟りにより、その日のうちに原因不明の事故でこの世を去った。またその家族も、祟りにより、今も呪われた人生を送っている。信じるか信じないかは、あなた次第です。な~んてね」

 ダセえぜ。俺としたことが、林檎先生の話を聞いて、膝がガクガクと震えている。マジかよ。中央図書館の古い新聞記事で読んだ関係者の証言と、この都市伝説が本当ならば、地蔵堂を破壊し、三つ首地蔵を埋めたのは俺の父ちゃんってこと? 父ちゃんは、三つ首地蔵の祟りにより呪い殺されたってこと? 今も呪われた人生を送っている家族とは、つまり俺たちのこと?

「もっと詳しく知りたいです。非業の死を遂げた若殿様の話などを、もっと詳しく」

 衝撃的な内容に動揺を隠しきれない俺の横で、冷静な春夏冬が林檎先生に発言を促す。

「さすがにそこまで詳しくは知らないわよ。さっきも言ったけど、私は他県の人間よ。そういうことは、根っからの地元住民に聞いてちょうだいな」

「根っからの地元住民? 思い当たる人物はいますか?」

「う~ん、根っからのか~、誰だろ~。あ。あなたたちの担任の田中先生がいた。確か、田中先生は、生まれも育ちも大久手市血の池町よ。幼い頃からこの地域で暮らしている彼なら『三つ首地蔵』の言い伝えを詳しく知っているかもしれない。ちなみに、今日は出張でご不在ですけどね」

「了解です。林檎先生、ご協力感謝します。――おーい、夜夕代、聞こえるか。明日、田中先生に、本件について詳しく聞こうと思う。付き合ってくれ」

 春夏冬が俺の頭上の虚空に向かって叫ぶ。途端に、意識の夜夕代が俺の体を無断で動かす。気が付くと、顎の下で両手を合わせたブリっ子ポーズ。るん。ってオイオイ。

「ねえ、ちょっと、春夏冬くん」

 要件が済むや否やこの場を立ち去ろうとする春夏冬を、先生が呼び止めた。

「見たところ、櫻小路家の三つ子のために、何やらせっせと調べているようね」

「はい。彼らの知られざる真実に迫るつもりです」

「誰かのためにと思って取った行動が、必ずしもその誰かを幸せに導くとは限らない。結果として相手に辛い現実を突き付けてしまうこともある。そして、その行いはブーメランとなり、やがて自らの胸に刺さることも。肝に銘じておいて」

「ご忠告を賜り、感謝します」

 ハキハキと返事をして、春夏冬が保健室から出て行く。

「和音くん。大丈夫? そんなに震えて」

「ええい、糞ったれ。子羊みたいに震えが止まらねえ。自分が情けねえよ」

「どんな現実が待ち受けていようと、これでいいのだ」

「これでいいのだ?」

「そう。いつだって『これでいいのだ』の心意気」

「あはは。なんだそれ。でも、不思議と気が楽になったぜ。いい言葉だな。魔法の言葉。いったい誰の名言だ?」

「タリラリラーン」

「タリラリラーン? どこの国の偉人だ?」

「タリラリラーンのコニャニャチハ。きゃはは。ウケる~」

「呆れた。また、いたいけな生徒の心を翻弄して楽しんでいやがる。あんた、それでも教師かよ」

 林檎先生の背中から射す西日が、まるで後光のようで。この小悪魔ときたら、

なんだか聖母マリアのようで。


 令和七年、一月二十二日、水曜日。夜夕代。


「田中先生。逃げないでください」

 国語の授業を終え、早々に教室を出ようとする担任の田中先生を、春夏冬くんが机から立ち上がり、そうはさせるかと呼び止める。一度は彼のほうを見た田中先生だったが、即座に視線を逸らし、聞こえないふりをして廊下へ立ち去ろうとする。

 信じらんない。なぜ逃げるかな。「生まれも育ちも大久手市血の池町の田中先生なら『三つ首地蔵』について詳しく知っているかもしれない」という林檎先生の助言があったらから、ただそれを本人に確かめたいだけなのにい。

「ねえ、待ってよ。教え子が話を聞いて欲しいと言っているのよ。どうして相談に乗ってくれないの。どうして私たちを避けるの」

 教師らしからぬ態度に辟易した私は、おもむろに田中先生に近づき、背広の袖を掴む。

「避けているわけではありません。たまたま急いでいるのです」

「朝のホームルームの後も、そんな言い訳をして取り合ってくれなかったじゃん」

「そ、そうでしたっけ。たはは」

「こいつらと関わるとろくなことがない。そう顔に書いてあるっちゅ~のよ」

「そう顔に書いてあるのであれば、そう読み取っていただけるとありがたい……な~んて」

「この事なかれ主義者めええええ」

 私の呼び止めを振り切り、教室を飛び出す田中先生。

「待ってください、田中先生。決して先生を困らせるような相談ではないのです。ある意味、他愛もない雑談のたぐい。一聴していただければ『な~んだ、そんな話か』と胸を撫でおろすような」

 春夏冬くんが、先生を追いかける。私も少し遅れて教室を出る。別棟に向かい渡り廊下をそそくさと小走りする田中先生の後ろ姿。呆れた。それでも教師か。聖職者か。私は、だんだん腹が立ってきて、寒波吹きすさぶ廊下を渡り切ろうとする先生に向かい怒鳴った。

「もおおおお結構。田中先生なんかに今後いっさい相談事はしない。頼まれたってしてやるものですか。先生のように、普通の親から産まれ、普通の家庭で育ち、普通の人生を歩んできた人間に、私たちのように生きづらさを抱える若者の気持ちなんて、逆立ちしたって分かりっこないわよ」

 すると、田中先生が、渡り廊下の果てで、ピタリと立ち止まった。続けざまにこちらをクルリと振り返り、私に向かい大声で――

「普通の人間を、偏見の目で見るな。確かに私は、絵にかいたような普通の人間だ。知能・精神・身体、どの分野の検査を受けてもノーマルという結果しか得たことがない。しかし、だからこそ、私はいつも不安に駆られている。この現代社会においては、普通こそ異常ではないかと。完全なる常人とは、つまり完全なる狂人ではいかと。だからどうか普通の人間を軽々しく羨んでくれるな。普通の人間だって君たちと同じように、こうして日々悩み苦しんでいるのだ」

――と、反論をした。こ、こわ~。田中先生が、急にブチ切れた。そんなに怒らないでよん。言い過ぎたかも。ごめんマジで。でも、なんだろ、私、ちょっぴり嬉しかった。だって、田中先生の心の声を、はじめて聞けたから。

「いやはや、取り乱しました。お恥ずかしい。さて、相談とは何でしょう」―春夏冬くんが、落ち着きを取り戻した田中先生に、図書館で借りてきた新聞の縮印版を見せながら、これまでの経緯を説明する。

「三つ首地蔵? な~んだ、そんな話か」

 先生は、胸を撫でおろした。

「だから他愛もない雑談のたぐいて言ったじゃ~ん」

「すみません。生徒に相談を持ち掛けられると、体が勝手に逃げてしまうのです」

「林檎先生のおっしゃる通り、私は、生まれも育ちもこの大久手市血の池町です。『三つ首地蔵』のことはよく知っています。なにしろ、小学校の通学路の野道にその地蔵堂が建っていましたからね。通学時には毎日手を合わせていましたよ」

「ねえ、先生。三つ首地蔵様は、この街のどこにおわしたの?」

「地蔵堂があった場所には、現在は『ジャスオン大久手店』が建っています。万国博覧会前の開発工事で豊かな自然は失われ、その地形も大きく変わってしまったから、正確な場所までは定かではありません」

「三つ首地蔵は、非業の死を遂げた若殿様の怨念を鎮めるために、地域の民が祀ったのだとか」

「如何にも。私の知るお話は、祖父からの伝承なので、事実かどうかは分かりません。また、祖父からお話しを聞いたのは、遥か昔のことなので、正直なところ記憶もおぼろげです。それでもよろしければ、知る限りのことは全てお話しましょう」

 田中先生は、新聞の縮印版を手にしたまま、遠い記憶を辿るように話始めた。

 戦国の時代、この地域を治めていたお殿様の家に、待望の世継ぎが誕生した。しかし、正室のお腹から産まれた赤子の数は三人。この時代は、双子や三つ子は「忌み子」と言われ不浄なものとされていた。その為、一番目に生まれた兄を世継ぎとし、弟と妹は、それぞれ野に捨てられた。

 世継ぎは、出生の秘密を知ることなく成長をした。お殿様やその家臣にとって、その若殿様は、悩みの種であった。何故なら若殿様は、非力で、気弱で、民や動物に優しいこと以外は、これと言った取柄のない凡夫だったからである。

 二番目に生まれた弟は、盗賊に拾われた。ならず者の集団の中でメキメキと頭角を現し、やがて、この地域一帯を暴れ回る盗賊の頭になった。

 三番名に生まれた妹は、遊女に拾われて育った。妹には、天から与えられた絶世の美貌があった。おのずとこの地域で一番の花魁となり、やがて、巨大な遊郭を取り仕切る女将となった。

 なにやら若殿様に顔や姿がそっくりな盗賊の頭と遊郭の女将がいるという噂が、お殿様の耳に入った。出生の秘密を若殿様に知られたくないお殿様は、忍びを使い、二人を暗殺した。

 殺したところで人々の噂は止められない。結局、殺された弟と妹の存在、そして自らの出生の秘密は、若殿様の知るところとなった。人生に絶望した若殿様は、城を逃げ出し、追手に見つかる前に、腹に刀を突きさし自害をした。

「――こうして非業の死を遂げた三つ子の怨念を鎮めるため、地域の民が自害の地に祀ったのが、あの三つ首地蔵だと言われている」

 先生が話し終えたと同時に、次の授業の開始を告げるチャイムが鳴った。

「あらら、これは大変だ。教師が授業に遅刻をしては、お話にならない。それでは、私はこれにて失礼します」

「貴重なお話を頂き、ありがとうございます」

「先生、サンキューね」

 そして、田中先生が、手にした新聞の縮印版を、春夏冬くんに返そうとしたその時――

「おや? 今気づきましたが、ほら、これを書いた新聞記者、とても珍しいお名前ですが、とても見慣れたお名前ですね」

 え、なに、新聞記者の名前? そんなの私も春夏冬くんも、すっかり見落としていましたけど? 私たちは、返してもらった縮印版に記された記事を、あらためて読む。

《工事関係者の証言によれば「あるはずの地蔵堂が撤去されている。これは、三つ首地蔵の祟りだ」とのこと。本誌は、その方面で独自の操作を進める方針。記者・蛇蛇野夢助》

 じゃ、蛇蛇野?


 令和七年、一月二十三日、木曜日。愛雨。


 下校途中に僕と春夏冬くんは、僕の住む県営住宅の2階の西端にある蛇蛇野くんの住む号室を訪ねた。春夏冬くんがインターホーンをポチっと。……反応なし。春夏冬くんが、インターホーンを連打。……反応なし。不在? でも電気メーターは回っている。居留守かな?

「おーい、蛇蛇野。居るのだろう。出てこい。話があるのだ。おーい、蛇蛇野。居るのは分かっているぞ。蛇蛇野。蛇蛇野。蛇蛇野おおおお」

 いても立ってもいられない様子の春夏冬くんが、住宅の扉をドンドンと叩き、大声で叫ぶ。物音に反応した近隣住民が、何事かと窓や扉からこちらを覗き見ている。

「ややや、やめてよ、春夏冬く~ん。借金取りじゃないのだから」

 その時、塗装の剥げた鉄の扉を軋ませ、蛇蛇野くんがチェーンの掛かった扉と枠の隙間から顔を出した。

「……春夏冬くん、愛雨くん、マジで勘弁してくれ。そのような振舞いをされると、下手すると集合住宅で生きていけなくなる。いったいなんの用だ?」

 春夏冬くんが、蛇蛇野が扉を閉めて鍵を掛けないように、しれっと扉と枠の間に自分の靴を挟む。

「どうした、蛇蛇野。文化祭以降、家に引き籠りがちのようだが」

「どうしたもこうしたも無いよ。噂って怖いね。今やクラスでぼくが夜夕代ちゃんを盗撮していたことを知らない者はいない。みんな、ぼくのことを犯罪者扱い。無視。嫌がらせ。虐め。自業自得なのは重々承知だが、あの教室に、ぼくの居場所はもうどこにもない」

「ねえ、蛇蛇野くん。そんなに悲観せずにさ。また学校においでよ。被害者の夜夕代は、あの通りケロッとした性格だから、事件のことはもう気にしていないしさ。辛いことがあったら何でも僕たちに相談してよ」

「愛雨くん、君という人はどこまでお人好しなの。まったく君の馬鹿さ加減には、ほとほと頭が下がる。――で。今日は何の用? まさかそんな中学生日記のような台詞をほざきに来たわけではあるまい。さあ、玄関先では人目に付くし、今はママも仕事でいないから、ひとまず中へ入って」

 蓄積されたホコリ。脱ぎ散らかした衣類。弁当やお菓子などの生ゴミ。使用済みのティッシュ。僕たちは、ゴミ屋敷と呼んで過言ではない蛇蛇野くんの部屋に案内をされた。三人でコタツ机を囲む。

「学校に来ないで、普段はここで何をして過ごしているの?」

「SNSにコメントを書いている。とにかく暇だからね」

「懲りずに匿名で誰かのことを誹謗中傷しているの」

「君に関係ないでしょう。ほっといてよ。それに、誹謗中傷をしているつもりはない。ぼくは、相手の間違いを指摘し、正しいことを教えてあげている。これは世直し。人助けさ」

「おい、蛇蛇野。それは間違っているぞ。そのような歪んだ正義感が、無慈悲に誰かを傷付けているのだ。そもそも、揺ぎなき正義であるなら匿名で書くな。――少なくとも君のお父さんは、揺ぎ無き正義を、真実を、実名で世の中に伝えようとした」

 そう言って春夏冬くんは、粛々と新聞の縮印版の該当ページを開き、彼に差し出した。

「こ、この記事」

「実は、櫻小路家の三つ子の出生の秘密を探っていたら、蛇蛇野夢助という人物に辿り着いた。この記事を書いたのは、君のお父さんだろう。時間が勿体ないので、はぐらかすのはやめて欲しい。以前、和音から聞いた。君のお父さんの職業は新聞記者だったと」

 記事を見詰める蛇蛇野くんの瞳から、ポロポロと涙が流れ落ちる。

「その通りさ。この記事を書いたのは僕のパパだよ。僕のパパは、優秀なジャーナリストだった。それが、三つ首地蔵事件に足を踏み入れたばかりに、業界から消されてしまった。きっと政治家や利権の絡んだ団体が、パパに圧力をかけたに違いない。職を失ったパパは、やがて失踪した。残されたママは、持ち家を売り払い、幼い僕を抱いてこの県営住宅に移り住んだ……」

 なんという運命の巡り合わせだろう。僕の父、桜小路欽也の死亡記事を書いたのは、彼のパパ、蛇蛇野夢助氏だった。

「……で? だから? パパがこの記事を書いたのは認める。でも、それが何か?」

「僕の父の死の真相、その手掛かりを探しているんだ」

「帰ってよ。もう君たちに話すことは何もない。パパのことは思い出したくない」

 すると、業を煮やした春夏冬くんが、突然立ち上がり――

「蛇蛇野夢雄。お前の夢は何だ」

――と叫んだ。いつまでもウジウジしている蛇蛇野くんへの、春夏冬くんなりの叱咤激励だった。《本誌は、その方面で独自の操作を進める方針。記者・蛇蛇野夢助》の文字を一心に見詰め続けていた蛇蛇野くんは、その一声で奮い立ち――

「ぼくの夢は、パパのように真実を報道するジャーナリストになることだ」

――と叫ぶと、自分の勉強机の引き出しから、一冊の古いメモ帳を取り出した。ポケットサイズのそれを、勇ましく春夏冬くんに託す。

「パパが現役時代に使っていたメモ帳だ。三つ首地蔵事件のこともたくさん書いてある。使ってくれ。パパのためにも、この事件の真相を掴んでくれ」

 春夏冬くんは、奪うようにそれを受け取り、僕たちは、その場で夢中になって内容を確認した。殴り書きのように記された蛇蛇野夢助氏の大量のメモを要約すると、おのずと三つのキーワードが浮かび上がった。

『怪僧』

『祟り』

『裏で手を引く市会議員』

「ねえ、春夏冬くん。事件の日に、どこからともなく現れた怪僧って……」

「うむ。この血の池町で怪僧と言えば、あのお方しかいない。おーい、和音。明日の朝は、ボクも君と同じく授業をサボることに決めたぞ。行き先は血の池公園。三休和尚に逢いに行く」

 春夏冬くんが、僕の近くで虚空と漂っている意識の和音と約束をした。頼んだぞ、和音。


 令和七年、一月二十四日、金曜日。和音。


 愛雨と春夏冬が蛇蛇野夢雄の部屋を訪れた翌日。早朝の血の池公園。

「おいよお、三休和尚、猫は? 俺のかわいいクイーンエリザベス三世がどこにもいないけど?」

 この公園に住み着いていた野良猫がすっかり姿を見せなくなった。小汚い猫だったが、いなくなると寂しいものだ。

「知らんわい。所詮は勝手気ままな野良猫様じゃ。今頃どこぞの空の下を闊歩しておるか、あるいは心優しき人物に拾われたか」

 藤棚の下のテントから這い出て来た三休和尚が、俺からコンビニのオニギリを貰うと、それをむしゃむしゃと頬張りながら言う。

 俺と春夏冬は、三休和尚にこれまでの経緯をつぶさに伝え、十七年前のあの日、俺の父ちゃんの死亡事故現場にいたか否かを問うた。

「貴様らの話を聞いていたら、忘却の彼方に葬り去られるところじゃった記憶が蘇って来たぞ。確かに、あの日わしはあの建設現場へ行った。工事用バリケードを掻い潜り、無断で現場に侵入し、大暴れをした。目的はひとつ、いにしえより地域の民に崇め祀られし三つ首地蔵菩薩を守るためじゃ」

 やっぱりか。蛇蛇野夢助メモのひとつめのキーワードである「怪僧」とは三休和尚のことだった。オニギリを食べ終えた和尚は、米粒のついた両手で俺の右手を取り、顔を間近でしげしげと眺めると――

「……そうかあ。そうじゃったかあ。あの日、地蔵菩薩を土中に埋めた工事屋の、その子供が、櫻小路家の三つ子であったかあ。言われてみれば、貴様の顔は、あの工事屋に瓜二つじゃわい」

――と、手の甲を優しく撫でつつ、憐れむように言った。

「地蔵堂を破壊し、三つ首地蔵を埋めたのは、俺の父ちゃんなんだな。なあ、和尚。あんたは、父ちゃんの最期を目撃したのか?」

「いいや。あの日は、派手に暴れ過ぎてのう。警察に連行をされてしもうた。午後に起きた労災死亡事故は、直接この目で見てはおらぬ」

「ご老人、教えて下さい。彼らの父である櫻小路欽也氏が原因不明の労災事故で亡くなったのも、彼らがひとつの体を持ってしか生まれることが出来なかったのも、これ全て欽也氏が三つ首地蔵を埋めたことによる祟りなのでしょうか」

 春夏冬が、ふたつめのキーワード『祟り』について、三休和尚に迫る。

「うむ。神仏の祟りである。わしには霊力があるから分かる」

 強く断言する三休和尚。

「では、その祟りを鎮める方法はありますか?」

「ある。三つ首地蔵を発掘し、地蔵堂を再建する。これにて祟りは鎮まる」

「掘り出して元通りにすれば良いなら話は早い。さっそく事に取り掛かろうや。やい、和尚。あんた、三つ首地蔵が埋められた場所を憶えているのだろう?」

「まさか。今のジャスオン大久手店のどこかだということ以外、詳しくは憶えておらんわい。わしは建設業者ではないぞ」

「ちっ。十七年前、現場にいたのだろうが。ったく、使えねえ坊主だぜ」

「なんじゃと、若僧。もう一遍言ってみろ。わしの霊力で呪詛するぞ」

「口汚い坊主め。それでも仏に仕える身かよ」

 まあまあ、二人とも。春夏冬が一触即発の俺たちをなだめる。

「ならば、ご老人。埋められた場所を正確に憶えていそうな人物に、心当たりはありますか?」

「そうさなあ……あ、そう言えば、子分のように立ち働く社員がおった。あの男なら三つ首地蔵が埋められた場所を憶えているかもしれん。ガラの悪い風貌をしておった。工事屋がしきりにそいつの名を呼んでいたので記憶にある。名は確か、ご、ご、ごう……」

「業多! 父ちゃんの会社の元社員で、業多ってヤツがいる。俺とは腐れ縁のおっさんだ。うっひょお、俺、そいつの家まで知っているぜ」

「そう、業多。それそれ」

「よし。では明日は、その業多さんの家へ行き、話を聞いてみよう。和音、明日の夜夕代のために、今日中に地図を描いておいてくれ。――ご老人。最後にひとつ聞かせて下さい」

「なんじゃい、色男」

 春夏冬が、蛇蛇野夢助メモの最後のキーワード『裏で手を引く市会議員』について質問をはじめる。

「十七年前、あの現場に、櫻小路欽也氏と一緒に一人の市会議員がいた筈です。その人物のことは憶えていますか?」

 すると、三休和尚は、何故か伏し目がちになり――

「……色男よ。憶えておるも何も……悲しいのう、因果かのう。神仏が、おぬしらに課した試練かのう……」

――霊魂が飛び出しそうなほどの深い溜息をついた。

「市会議員が何者か知っているのですね。それはいったい誰ですか」

「後生じゃあ。悪いが市会議員のことについては、その業多という元社員に聞いてくれ」

 そう言って和尚は、テントの中に引き籠り、つーっとチャックを下げてしまった。何を突然ナーバスになっていやがる。オイ和尚。どうしたジジイ。この生臭坊主。いくらディスっても、反論がねえ。「そっとしておこう」春夏冬が和尚を気遣う。そして、俺たちが公園を去ろうとした時――

「……若僧よ。わしは、貴様らが真実へと邁進することを止めはせん。しかし。三つ首地蔵を発掘し、祟りを鎮めるということが何を意味するか、貴様は分かっているのか」

――テントの中から、嘆くような和尚の声。

「本来あるべき姿になると言うことじゃ。わしの言うとる意味が分かるか。悲しいのう。見届けるしかないのかのう。まあ、いつまでもこのままという訳にも行かぬであろうし、遅かれ早かれ……さりとて無情じゃのう……いいや、この街のどこに埋まっているとも分からぬ三つ首地蔵を、十七歳の若僧無勢が探し当てることなど、どだい無理な話じゃ。複雑な心境じゃが、貴様らの挫折を期待しよう。そうしよう、そうしよう……」

 な、な~にをブツブツ言っとんじゃい。  


 令和七年、一月二十五日、土曜日。夜夕代。


「みゃ~ん」

「あ、この猫」

 応接間の黒い皮のソファーに深く腰を掛けた業多ハートの膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす猫を見て、春夏冬くんが驚いている。

「おうよ。うちのバカ息子、次男のヒートが、エアガンを撃って虐待した血の池公園の野良猫よ。あまりに不憫だから、公園から連れ出し、我が家のペットとして飼うことにしたぜ。人懐っこい猫でなあ。ほらこの通り、おれみたいな人間にも警戒ひとつしねえ。かわいいヤツよ」

 休日の朝。冬ざれた高く澄んだ空の下、私と春夏冬くんは、その昔パパの会社の従業員だったという業多さんの家へやって来た。厳密に言うと、私がここへ来るのは二度目。以前、和音が玄関先で土下座をするところを「意識」として見ていた日以来。

「櫻小路夜夕代です」

「へえ。お嬢ちゃんが、櫻小路家の三つ子の紅一点、夜夕代ちゃんかい。母親の麗子に似て、べっぴんさんだなコリャ。ささ、二人とも突っ立ってねえで座ってくれ」

 鬼のような顔をした威圧感バリバリの中年おじさん。でも、私の美貌を褒めてくれて、イヤ~ンうれピす。「はじめまして。血の池高校の生徒で、春夏冬宙也と言います」春夏冬くんの名前を聞いた業多さんが、途端に眉をひそめ、彼の顏を睨む。私たちは、業多さんに頭を下げ、ソファーに座る。

 男の子が、お盆にお茶を乗せて運んで来た。この子が、猫ちゃんにエアガンを撃って遊んでいたサイコパスな次男くん。「ども、その節は……」テーブルにお茶を置きつつ、バツが悪そうに春夏冬くんに挨拶をする。「やあ、おはよう。久しぶりだね。あれれ、今日、中学校は? てか、君の自慢のお兄さんはどちら?」元気よく挨拶をする春夏冬くん。「今日は土曜日で学校は休みっす。兄ちゃんは鉄工所で仕事っす」逃げるように応接間を去る次男くん。

「さあて、なんだか知らねえが、麗子の娘ちゃんのご訪問とあらば、無下に追い返すわけにはいかねえ。要件を聞こうか」

 突然の訪問にも関わらす、親切に対応をしてくれる業多さん。びっくり。あの暴漢が、何だか人が変わったように優しい。春夏冬くんが、これまでの経緯を説明し、三つ首地蔵が埋められた場所や、事件当日現場にいた市会議員について質問をする。

「櫻小路社長が三つ首地蔵を埋めた場所なら、もちろん把握しているぜ。なにしろ、その付近をショベルカーで掘削作業していたのは、このおれだからな」

「それは、どこですか?」

「ジャスオン長久手店に、一階から四階までの吹き抜けがあるだろう。あの一階フロアーの地面の下だ。建築図面を手に入れて来い。より正確に場所を特定してやるぜ」

「キャー、いきなり重要な手掛かりをゲットン」

「では、業多さん。事件当日、現場にいた市会議員について、知っていることを教えてください」

「自慢じゃねえが、事の一部始終を観ていたぜ。――そもそも櫻小路社長は、あの地蔵堂を撤去することには反対だった。だからあの日、あの開発工事を裏で動かしていた市会議員と現場で立ち合い、撤去ではなく移設に変更して欲しいと直訴したのさ」

「はい。それで?」

「ところがその市会議員ときたら頑として撤去の意思を変えねえ。しばらく社長と口論としていたが、最終的には、指示に従わなければ工事の契約を破棄する、強いては櫻小路建設に圧力をかけ、この業界で喰って行けなくしてやると、明らかな脅迫をしやがった」

「ひっどーい。サイテー。クソだわ、その議員」

「どこからか坊主がやってきて阻止を試みたが、それも無駄骨だった。工事の契約を破棄され、多くの社員を路頭に迷わせるわけにはいかないと判断した社長は、おれが乗っていたショベルカーを奪うと、自らの手で地蔵堂を破壊し、三つ首地蔵を土中深くに埋めた」

 業多さんの話を聞いていたら、自然と頬が涙で濡れていた。パパ、悔しかっただろうな。悔しくて悔しくて、たまらなかっただろうな。私は広げたハンカチで目を覆い包み泣いた。

「許しがたき奴だ。業多さん、その市会議員が誰だか分かりますか。名前を教えて下さい」

「誰って…………言っていいのかい?」

「是非。実は、ボクの父はこの大久手市の市長なのです。十七年前の出来事ですが、そのような悪徳議員が現在も市政にのさばっている可能性はゼロではない。父に伝えて、そいつを見つけ出し、厳しく指導してもらいます」

 怒りに打ち震え、両手で膝を鷲掴みにする春夏冬くん

「そんなに聞きてえなら、遠慮なく言わせてもらうぜ」

「教えて下さい。その悪徳議員とは、いったい誰」

「お前の、父親だよ」

「え?」

「十七年前、あの現場にいた悪徳議員とは、他の誰でもねえ。当時はまだ一介の市会議員だった、お前の父親。現大久手市長、春夏冬慶介」

「嘘だ」

 春夏冬くんが、反射的にソファーから立ち上がり咆哮する。

「おいおい、他人様の家でデカい声を出すんじゃねえよ。嘘なんかじゃねえ。考えてもみろ。今日初めて出逢ったお前さんに、おれが嘘を付く道理がねえだろうが。それでも信じられねえなら、直接お前の父親に聞くがいい」

……この状況におけるベストなリアクションが分かんない。私、どんな顔をしたらいいの? 咽び泣けばいい? 怒り狂えばいい? 気が触れたように笑えばいい? 

「宙也とか言ったな。おい、宙也。辛い現実だが、よ~く聞いとけ。あの日あの現場にいた市会議員がお前の父親だったということが、何を意味するか分かるか。それはつまり、櫻小路社長を死に追いやったのは、お前の父親であり。真実を報道しようとした罪もない新聞記者を業界から消したのも、お前の父親であり。開発工事を強行する為に、地元住民の土地を買い上げたのも、お前の父親であり。大久手市から豊かな自然を奪ったのも、お前の父親であり。今現在、夜夕代ちゃんを泣かせているのも、お前の父親だということだ」

「…………嘘だ」

 その場にへたり込み、うなだれる春夏冬くん。

 パパの仇が、春夏冬くんのお父さんだったなんて……。

「……夜夕代。明日の朝、ボクの家に来てくれ。真相を確かめる為、パパに全てを話してもらう。どうか、その場に立ち会って欲しい」

「了解……と言いたいところだけれど。ごめんね。あいにく明日は私の番じゃないの」「そうだっけ? 誰の番だっけ? 愛雨? 和音?」「愛雨よ」「愛雨によろしく」「帰ろう。春夏冬くん」「うむ、帰ろう。んが、立てない。すまないが、肩を貸してくれ」

 春夏冬くん、完全に心ここにあらず。「業多さん、ご協力ありがとうございました。今日のことはママにも伝えておきます」「麗子を……いや、母ちゃんを大切にな。お嬢ちゃん、また相談事があれば、いつでもおいで」彼のフラつく巨体を支えながら、私は業多家を後にする。……マジで、この状況におけるベストなリアクションが分かんない。ねえ、愛雨、和音、教えて。私、どんな顔をしたらいい?


 令和七年、一月二十六日、日曜日。愛雨。


  午前十時。春夏冬邸。春夏冬くんのお母さんに案内をされ、住宅の中にありながらまるで会議室のような一室に入ると、春夏冬くんと、彼の父、大久手市長・春夏冬慶介氏が、中央のテーブルに差し向かいに座り、これでもかと緊迫したムードを漂わせていた。

「……やあ、愛雨。おはよう」

 憤怒の表情で眼前の相手を睨み据えたまま、挨拶をする春夏冬くん。

「……」

 同じく険しい顔で息子の顏を一心に見詰める大久手市長。無言のまま、ほんの一瞬だけ、僕の方へ視線を移す。

「……おはざいま~す」

 うわ~、バチバチムーディー全開。めちゃんこ苦手な雰囲気だあ。出来ることなら御無礼したい。本能的に身をかがめて部屋の外へ退散しようとする情けない僕。

「何をボーっと立っている、愛雨。はやく僕の横に座ってくれ。悪いが、約束の時間を待たずして、話し合いは既に始まっている。今日までの概略をパパに伝えたところだ」

 だよね。逃がしてくれるわけがないよね。て言うか、僕の父さんの死の真相を知る重大な話し合いの場だものなあ。逃げ出している場合じゃないよなあ。失礼します。腹を括って椅子に座る。

「答えて、パパ」

 両手でテーブルを叩き、市長を詰問する春夏冬くん。

「今から十七年前、彼の父親である櫻小路建設社長・櫻小路欽也氏を焚きつけ、氏に地蔵堂を破壊させ、三つ首地蔵を土中深くに埋めるように仕向けたのは、本当にパパなの」

 しばらく沈黙を続けていた市長だった。が――

「如何にも。あの日、櫻小路社長に地蔵堂を破壊させたのは、この私だ」

……わ。認めた。物凄くあっさり認めちゃった。いや、あのね、こちらにも心の準備ってものがあるじゃんね。やけに堂々とお認めになられるのですね。あのですね、遺族としてはですね、正直もう少しうろたえるとか、誤魔化すとかして欲しかったのですけどね。

「……どうして? ねえ、パパ、どうしてなの?」

 ショックを隠し切れない春夏冬くん。唇を噛み、血涙を絞る。

「後悔している。でも、仕方なかった。沼と池だらけのただの湿地帯だった大久手市を、フランスのパリのような街にする。それが私の揺るぎなき夢なのだ。夢を実現する為には、多少の犠牲は付き物だ。いにしえより地域の人々に崇め祀られし三つ首地蔵を撤去することが、私の議員人生の痛手になることは百も承知。それでもあの時は『損して得を取れ』という判断をせざるを得なかった」

「損して得を取れ?」

 市長の発言を聞いて、春夏冬くんが怪訝な顔をする。

「一時的にはむしろ損を覚悟し、長い目でみて得を取れ。という意味だよ、春夏冬くん」

「三つ首地蔵を埋めたことにより、櫻小路社長に神仏の祟りが下るであろうことも、直感的に分かっていた。それでも、私の気持ちは変わらなかった。ただもう『大事の中に小事なし』と繰り返し自分に言い聞かせていた」

「大きな事を行う場合には、小さな事にいちいち構っていられない。という意味だよ、春夏冬くん」

「昔から『小の虫を殺して大の虫を助ける』ということわざもあることだし……」

「重要な物事を保護し完成するためには、小さな命を犠牲にするのはしゃーないしゃーない。という意味だよ……っておい、僕の父さんの命を、虫けら扱いするなああ」

 目の前が真っ白になった。僕は、テーブルの上に飛び乗り、市長の胸ぐらに掴みかかっていた。

「全部お前のせいだ。お前のせいで父さんは死に、僕たちは三人でひとつの体を共有する人生を強いられた。お前のせいだ……お前のせいだ……」

 鼻水を垂れ、その場に泣き崩れる。

「申し訳なかった。重ねて言うが、後悔している。本当だ。嘘ではない。――実は、あれ以来同じ悪夢を何度も見る。深い土の中でから、三つ首地蔵を抱いた櫻小路社長が這い出て来て、私に襲い掛かるという恐ろしい夢を。――十七年前のあの日から、私も三つ首地蔵の呪縛に苦しんでいる。祟りを鎮める方法があるならば、出来る限りの協力はさせてもらう。何でも相談して欲しい」

 胸元から静かに僕の手を離すと、市長は深々と頭を下げた。

「ならば、パパ。聞いて下さい。これからボクたちが進むべき道は、ただひとつ。ジャスオン大久手店に埋められた三つ首地蔵を発掘し、地蔵堂を再建し、櫻小路家に下った祟りを鎮める」

 懸命に気持ちを切り替えた春夏冬くんが、涙を拭いて市長に提案をする。

「莫大な工事費用が掛かる。その費用は、パパに支払ってもらう。間違っても市政予算をあてにしてはならない。春夏冬家が全額支払う。よろしいですか」

「もちろんだ。費用のことは引き受けた。がしかし、工事を実現するには、先ずジャスオン大久手店に許可を取る必要がある。吹き抜け部分での発掘工事となれば休業は避けられぬだろうし。そもそも、そのような大規模な工事計画を、交渉に持ち込む人脈が、私にはない」

「確かに。計画しようにも、ジャズオン側の誰を入口に交渉を進めればよいか検討もつかない」

 春夏冬親子が、腕を組んで考え込んでいる。いつまでも感情的になってはいられない。僕も一緒に考える。ふむふむ。ジャスオン側の交渉相手ねえ。いやはや、こいつは皆目見当も付かない…………こともない。脳裏に豆電球ピッカーン。

「いまーす。ジャスオン側の有力な交渉相手、僕、知ってまーす」

「本当か、愛雨。それはいったい」

「クラスメイトの尾崎地図子ちゃんのお父さんだよ。聞いて驚くな。何を隠そう、彼女のお父さんは、ジャスオン大久手店の支店長なのであーる」

 僕は、まるで我が事のように、胸を張ってそう答えた。


 令和七年、一月二十七日、月曜日。和音。


 赤茶けた太陽が尾張平野に沈む頃、俺は、尾崎地図子の自宅の玄関前にいた。

「なあ、尾崎。俺たち三つ子のために一肌脱いでくれるのは、凄く有難いけどさ。ジャスオン大久手店の支店長であるお前の父親に、三つ首地蔵発掘工事を直談判しようとするお前の気持ちには、本当に頭が下がるんだけどさ。でも、お前父親と上手く行ってないらしいじゃねえか」

 目の前には丁寧に剪定をされた日本庭園が広がっている。門に被さるようにうねる立派な赤松の下で、学校帰りの俺と尾崎は、彼女の父親の帰宅を待っている。ずっと本件の中心で頑張ってくれていた春夏冬は、今日学校を休んだ。俺の父ちゃんを死に追いやったのが自分の父親だったことがショックで寝込んでしまったらしい。

「正直ここ一週間ほどパパとは口を利いていないの」

「大丈夫か? マジで無理しなくていいんだぜ」

「でも、ジャスオン大久手店の吹き抜け部分に埋まっている三つ首地蔵を発掘することは、あなたたちのこれまでの人生を覆す重要な事なのでしょう?」

「まあな」

「実際問題、ジャスオン本社の上層部に掛け合い、その工事の許可を得ることが出来るのは、大久手店支店長である私のパパ以外にいない。そして、パパに掛け合えるのは、私以外にいない」

「だけど、尾崎。お前ぶっちゃけ反抗期真っ只中なんだよな」

「和音のため、愛雨のため、夜夕代のため、やらなければならない事をやるだけよ。このような状況下で反抗期なんて言っていられないわ」

「すまねえな、尾崎。恩に着るぜ」

 その時、一台の高級車が豪邸の前に停まった。運転手が後部座席のドアを開けると、ダンディーな中年男性が颯爽と下車をする。

「いらっしゃい。地図子のお友達かな。はじめまして。地図子の父です」

 俺を見るなり、気さくに話しかけてくる。この見た目から、初見の人物からは大概露骨に警戒されるのだ常だか……。まったく出来た大人だぜ。

「平素は地図子が大変お世話になっています」軽やかに握手を求められる。「ども。地図子さんのクラスメイトで櫻小路和音と言います」自然と堅い握手を交わす。

「ちょっと、パパ。何度言ったら分かるの。私の友達に気安く話しかけないでちょうだい。最悪。握手とかマジキモい。一刻も早く私の視界から消えて」

 あちゃ~。さっきまでの意気込みはどこへやら。父親の顔を見た途端にこれだよ。あ~あ、三つ首地蔵の発掘工事は寸前で頓挫。祟りを鎮めるなんて夢のまた夢。これが現実。

「いつものように手厳しいね。それでは、嫌われ者はこれにて失礼するよ」

 満面の笑みで俺にペコリと頭を下げ、この場を去ろうとする尾崎の父親。

「――待って、パパ」

 お、呼び止めた。チャンス再来。

「何だい、地図子」

 振り返る父親。

「……………………」

 途端に固まる親子。長い沈黙。耐え難い空気。おい、尾崎。なんかしゃべれ。なんで何も言わねんだよ。ほら、頑張れ。勇気を出せ。

「あらら? 言うことをド忘れしてしまったようだね。地図子よ。また思い出したらパパに話しておくれ。では――」

 沈黙に耐え切れず、巧みな切りかわしで、再びこの場を去ろうとする父親。やべえ、せっかくのチャンスが遠のく。仕方ねえ。苦肉の策だ。この際何でもいい。何か言え、俺。とにかく父親を引き留めるんだ。

「……あの~、お父さん。ちょっといいっすか」

「ん、なんだね?」

「どうしてそう過剰にスマートなんすか。あなたの露骨に無駄のない立ち振る舞いが、地図子さんのストレスになっています。何故それに気付かないんすか?」

「鋭い指摘だね。私の寛容さが逆に地図子を苦しめていることには、気が付いてはいるよ。しかし、気が付いてはいるのだが、如何せん自分の性分はなかなか変えられなくてね」

「自分の非は認めるのに、自分を変えられない。それって、反抗期の子供と本質はまったく同じっすね」

「うむ。君の言う通りだ。では、教えてくれないか。私は今後どのように我が子に接すればよい?」

「格好ばかりつけていないで真っ向からぶつかって行けばいいじゃないっすか。怒鳴り合ったり、泣き合ったり、笑い合ったり。自分の駄目なところもさらけだしてさあ。それが親子ってもんでしょう」

 その時――

「パパ、お願いがあるの」

――ずっと下を向いて黙っていた尾崎が、意を決し父親に直訴する。

「私の友達の人生に関わる大切な相談なの。実現が出来るのは、この広い世界にパパしかいないの。これまで反抗的な態度ばかり取ってごめんなさい。これからは素直になります。 だからどうか、どうか私のお願いを聞いて下さい」

 尾崎と俺は、これまでの経緯と、三つ首地蔵発掘工事の計画を話した。

「……う~む。これは大変難しい相談だ。発掘工事を実施するとなれば、休業は避けられない。その期間中に見込める売り上げの損失は計り知れない。ジャスオンの上層部が工事を許可するとは思えない」

 尾崎の父親が腕を組んで考え込んでしまった。やっぱりか。やっぱり現実的には不可能な話だったか。万事休す。

「――が、策がないわけではない」

「え。ほんとっすか」

「いにしえより地元住民に愛されてきた神仏であることを、前面に押し出して交渉をする。いっそのこと地蔵堂は発掘された店内に再建をしてしまおう。店内の一部に大久手市の観光名所を設けるというアイデアだ。そこから見込める集客数と売り上げ予算を打ち出せば、上層部を口説き落とせるかもしれない」

「でも、そんな離れ業、もし失敗したら……」

「うむ。かなりリスキーだ。計画に失敗すれば、間違いなく私は降格するだろう。だがしかし――」

「しかし?」

「愛する地図子のたってのお願いだ。必ず成し遂げてみせる」

「ありがとう、パパ」

 尾崎が、目を真っ赤にして、父親に抱きつく。

 さあて、いよいよ、大詰めだ。


 令和七年、二月十日、月曜日。愛雨。


 三つ首地蔵の発掘工事の日がやって来た。

 この日、ジャスオン大久手店は全館休業。工事の粉塵や騒音でとても営業など出来ないと判断をされたからだ。僕は学校を休んで工事用バリケードの内側にいた。僕だけではない。春夏冬くんをはじめ、ここまで真実へのバトンを繋いでくれた人々が一挙に集い、ヘルメットを被り安全に留意するという条件で、特別に本日の工事を見学させてもらえることになった。

 それにしても、地図子ちゃんのお父さんは、よほど仕事の出来る人なのだなあ。本件の話を聞いてから、ジャスオン本社の上層部に掛け合い、発掘工事の許可を得るまでの業務を、たったの一週間の速さで遂行してしまった。以降は改心をした業多さんが現在今勤めている建設会社によって一週間かけて細かな工事段取りが進められ本日に至る。

「業多さん、おはようございます。こちらがお願いされていた当時の開発工事時の図面……だと思うのですが。果たしてこの図面でよいのか、専門家ではない私には分かりません。どうぞ確認をして下さい」

 そして、重要な関係者として招かれた僕の母さんが、死んだ父さんが残した建設図面の中から本件に関わると思われる図面を自宅の押し入れから持参して、それを本日建設機械のオペレーターを務める業多さんに手渡す。

「こちらが、弊社が保管する大久手店新築時の図面です」

 続けて、大久手店の支店長である地図子ちゃんのお父さんが、ジャスオン大久手店の新築工事の図面を手渡す。

「うおおお。こいつはありがてえ。開発の図面と新築の図面があれば鬼に金棒よ。麗子よ。そこで安心して見ていろ。必ずやおれ様が三つ首地蔵を掘り当ててみせるぜ」

 二つの図面を託された業多さんが、元カノである僕の母さんの肩を叩き、カンラカンラと高笑いをする。専門家の皆さんが図面を確認しながら業多さんの記憶を頼りに三つ首地蔵が埋められたポイントを絞り出す。

 午前九時。皆の見守る中、工事が着工した。先ずは、分厚いコンクリートを破砕する工事から始まる。凄まじい騒音と振動が場内に響く。午後からは巨大なショベルカーによる掘削工事。大量の発生土をダンプカーで場外へ搬出しながらの手間のかかる工事だ。

 午後三時を回った頃、ショベルカーを運転する業多さんがエンジンを止めた。操縦席から下りて来て、深さ2メートル程の巨大な穴の中を覗き込む。

「ここからは人力で掘削をするぜ。もういつ発掘されてもおかしくない深さだ。大切なお地蔵様をショベルカーのバケットで破損してしまっては、元も子もないからな」

 穴に降りた作業員たちがスコップで土中を探るように掘りはじめる。1時間が経過したが、三つ首地蔵はなかなか見つからない。この時、関係者エリアで僕と一緒に工事を見学していた春夏冬くんが、いよいよ業を煮やし――

「愛雨、一緒に来い」

――と叫び、セーフティーバーを掻い潜り、梯子を使って穴の中へ降りて行くではないか。マジっすかあ。何でかなあ。何でまたこういう展開になるかなあ。僕は、春夏冬くんに言われるがまま、恐る恐る深い穴の中へと降りて行く。

「スコップを貸して下さい。お手伝いさせて下さい」

 春夏冬くんが、作業員に声を掛ける。僕たちは作業員に交じり、人力で掘削作業をはじめた。

――ゴチン。

 しばらくして、僕のスコップの先端に、異物に当たった音と感触。「……おい、愛雨。今の音」「うん。かもしれない」僕たちは、スコップを投げ捨て、音のあったポイント辺りの土を、膝をつき、モグラのように両手を使って掻き出す。――やがて、その時は来た。

「……捜しましたよ。こんなところにいたのですね

 十七年の時を経て、三つ首地蔵様が、お顔を覗かせた。

「やったぞ、愛雨。おーい、みんな、愛雨が見つけた。発見したぞ、三つ首地蔵菩薩だ」

 春夏冬くんの声で、関係者が地上から一斉に穴の中を覗き見る。母さんが、両手を祈るように合わせ、僕を見ている。

 僕たちは、引き続き手を使って丁寧に三つ首地蔵を掘り出して行く。数分後、像全体が掘り出された。――なんとも奇妙なお地蔵様だ。ひとつの体に三つのお顔が乗っかっている。その三面の顔も、表情がそれぞれに違う。右の顔は、激しい怒りの表情。左の顔は、優しく微笑む表情。そして真ん中の顔は、深い悲しみの表情。

「よし、愛雨。掘り出した地蔵を持ちあげて、地上のみんなに見せてやれ」「いやいやいや。こんな重いもの、僕の力では、持ち上げることは出来ないよお」「了解。ならば、ボクが手を貸そう」春夏冬くんが、大きな石の塊である三つ首地蔵を軽々と持ち上げる。「ほら、愛雨、何をボーっと見ている。君も持つんだ」「う、うん」僕は、言われるがまま地蔵に手を添え、彼と一緒にそれを頭上高くに掲げる。

「さあ、愛雨。叫べ」

「叫ぶ? 何を? 誰に? 何の目的で?」

「それは、君の心に聞け」

 顔を泥だらけにした春夏冬くんが、弾けるような笑顔を見せる。僕は、コクリと頷き、三つ首地蔵を天高くに掲げ、喉が枯れるほどの大声で叫ぶ。

「母さ―ん、見えるかい、三つ首地蔵だよ。僕が見つけたんだよ。和音、夜夕代、見ているか。これが僕たちの運命の、櫻小路家の運命の、三つ首地蔵菩薩だ」

「やったぜ、愛雨」「キャー、愛雨、カッコイイ」虚空から二人の歓喜の声がする。地上から、林檎先生、田中先生、蛇蛇野くん、三休和尚、業多さん、春夏冬市長、地図子ちゃんとそのお父さん、それから工事関係者の皆さんが、僕と春夏冬くんに拍手喝采を送る。

「僕だけの力では、どう逆立ちをしても成し遂げられる事ではなかった。和音や夜夕代のおかげ。春夏冬くんのおかげ。それだけじゃない。僕たちを真実へと導いてくれた人々のおかげ。工事を決行してくれた皆さんのおかげ。みんな、ありがとう。本当にありがとう」

 現場が、割れんばかりの歓声に包まれた。

「ねえ、あなた、愛雨が、和音が、夜夕代が、あなたと私の子供たちが、力を合わせて成し遂げてくれましたよ。十七年の時を経て、三つ首地蔵菩薩が地上に蘇りましたよ」

 母さんが、土下座をするように突っ伏し、泣き崩れている。


 令和七年、二月十二日、水曜日。夜夕代。


 あらら、な~これ。異様な光景ね。全国展開をする有名ショッピングモールの1階から4階までを解放する巨大な吹き抜けの片隅に場違いな地蔵堂が建っている。いや~ん、三つ首地蔵、ちょ~かわいい~。なるほど、地図子ちゃんのパパ、センスある。これって1周回ってオシャレかも。流行りの観光スポットになるかも。

 この日、私は、学校帰りにジャスオン大久手店に寄り、三つ首地蔵発掘工事の竣工式に立ち会った。春夏冬くんをはじめ本件に関わった人たちが多数参加をしている。

 それにしても、すっごーい。業多さんとこの建設会社、神じゃん。三つ首地蔵を発掘したのが今週の月曜日。その日のうちに掘った穴の埋め戻し工事を徹夜で行い。翌日の朝からコンクリートの復旧工事。そして今日は早朝から内装工事を行い、あらかじめ製作しておいた地蔵堂を運び込み、夕方には三つ首地蔵を収めちゃった。着工から完工まで述べ三日。はや。

――竣工式は滞りなく終わった。関係者の去った休業中のガランとした店内。私と春夏冬くんは、あらためて地蔵堂の前にしゃがみ込み、黙々と手を合わせている。

「夜夕代。十七年前のあの日、ボクのパパが、君のお父さんに……。何と言っていいやら。言葉がない。心より謝罪をする。申し訳ない」

 一心に祈り続ける私に、彼が静かに頭を下げる。

「やだ~、やめてよ~。どうして春夏冬くんが謝るのよ~。なんだろ、私、思うんだけどさ。この三つ首地蔵にまつわる一連の出来事は、誰が正義で誰が悪って簡単な話じゃないような気がするな。私のパパだって、きっと当時は時代のせいにして無茶苦茶なことを沢山やっていたと思うしね。みんな時代の犠牲者だったのよ。時代の波に乗り、時代を利用したつもりが、結局は時代の渦に呑まれた悲しき犠牲者」

 私は、精一杯陽気にそう答え――「うっふ~ん。いいこと思いついちゃった~。だったらお詫びに、ヨネダコーヒーのミルキーミルクレープおごってもらおうかしら~ん」――と、おどけて立ち上がる。「おう。いいぞ。いくらでもおごってやるぞ」私たちは、仲良く手を繋ぎ、出口に向かって歩きはじめる。すると前方に――おや? 誰かいる。あ、あれ、三休和尚じゃない。

「ねえねえ、三休和尚。こうして無事に三つ首地蔵は発掘され、地蔵堂も再建されたのだから、三つ子に下った祟りは、晴れて鎮められたってことよね」

 私たちを待ち受けていた和尚に駆け寄り、つるつる頭を撫で撫でしながら、はしゃぐ私。

「うむ。感じる。間違いない。確かに祟りは鎮められた」

 どこを見るともなく目を細め、ジャリッと短く数珠を鳴らす和尚。

「きゃー、うれしー、私たち、本来あるべき姿に戻れるのねーん。てか、ちょっと~、和尚、どうしちゃったの~、なんか元気ないね~」

「……そう。おぬしら三つ子が、本来あるべき姿に戻る時が来た。夜夕代よ。それが何を意味するか分かるか」

「だあ、かあ、らあ、要するに、私たち一人一人に肉体が与えられ、三人がそれぞれ別の生活を始めるということでしょう?」

「アホう。まさか、天から未使用の肉体が二つ降って来るとでも思うておるのか。絵空事を言うのもほどほどにせい」

 すると、春夏冬くんの顔から、すーっと血の気が引いた。

「ま、まさか……」

 三休和尚の言わんとすることを、いち早く察したみたい。え、なになに、どういうこと?

「本来、ひとつの肉体に宿る魂はひとつ。不要な魂は然るべき場所で転生の時を待つ」

「……しまった。本当に取返しのつかないことをしてしまった。ぼ、ボクのせいだ。ボクが青臭い正義感に駆られて、彼女のお父さんの死の真相を突き止めたばかりに……」

 ガクリと膝を折り、天を見上げて途方に暮れる春夏冬くん。どういうこと? ねえ、どういうこと? 胸の奥から、怒涛のような不安が打ち寄せる。私は、和尚の着物の衿を掴み、金切り声を上げて詰め寄る。

「回りくどい言い方しないで、ハッキリ言ってよ。私たち、どうなっちゃうの」

「ならば包み隠さず言うてやる。愛雨、和音、夜夕代、おぬしら三人のうち、二つの魂が、まもなくこの世界から消える」

 消える? 二人、消える?

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