22 海の底
マナを呼ぶベルの声が聞こえる。
大丈夫? 付いてきてる? しっかりして。
たくさん呼びかけてくれるその声は確かにマナに届いていた。けれど、マナの顔は強張ったまま、その頭の中に駆け巡るのは、今し方見てしまった場面ばかりだった。
(アコが……キスしてた。知らない女の子と……)
いつもの場所を通り過ぎ、知らない少女と歩いていくアコに不安を覚え、ついこっそりと海から追いかけて行ったら、不意に立ち止まった二人が唇を合わせたのだ。
アコが、自分以外の誰かに恋をするところなんて、見たくなかった。
その気持ちを自覚した途端、マナは泳ぐのを辞めてしまった。
すぐさまベルがそんなマナに気づき、近寄ってくる。
「……っあたし、ばかみたい」
ぼろぼろ泣き始めたマナを、ベルがじっと見つめている。
「アコは人間で、あたしとは違う世界の人で……っ、そもそも、アコはあたしの姿さえも見たことないんだもの、あたしが一方的に思ってたって、全然、全然意味ない……っ。あたしの知らないところで、アコはいろんな人間と関わってるんだし、その中の誰かに恋をしたって……全然、不思議でもなんでもないわ」
マナは泣きながら、懸命に口角を吊り上げる。
「そうよ。アコは物語の王子様と同じ……手が届かない人なのよ……」
きゅう、とベルが静かに問いかける。
マナ、君はそれでいいの?
「……だって、あたしは人間じゃないから……」
再び歪む口角を押さえ、マナが震える声で告げた次の瞬間、彼女を囲む世界ががらりと変わった。
「えっ」
マナは目元を擦り、周囲を見渡す。
そこは先程までいた月明かり差す海の中ではない。ごつごつとした岩肌とぎらぎらと妖しく光るカラフルな宝石に囲まれた世界だった。
「……まさか、私の生きているうちにオンディーヌの直系の子孫に会えるとは。無駄に長生きするもんだね」
「っ……!」
背後から聞こえたのはゾッとするほど冷たい声色だった。
マナが振り返ると、そこにいたのは彼女の半分程の背丈の老婆だった。ボサボサの白髪で顔の半分が覆われていて、剥き出しの肌はまさに岩肌のよう。窪んだ目に宿るのは血のような真っ赤な光。その悍ましい容姿に、アコは恐怖で体を震わせた。
「取って食ったりはしないよ。私もあなたと同じ人魚なのだから」
「……あなたは、だ、だれ?」
戸惑うアコの横をすり抜け、ベルが老婆の元へ近づくと、その円な瞳が赤く爛爛と輝いた。
「私はノクターン。この海に住む皆は、魔女と呼んでいるがね」
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