その後
第9話 その後の大山君と私
私が大山君の正体を知ってしまってからも、私たちの日常は何も変わらないのでした。翌日も、私が起きる頃には味噌汁の芳醇な香りがリビングに広がっていて、大山君はいつものように美味しい朝ごはんを作ってくれていました。
そういう意味での『大きな日常』は何も変わることはありませんでした。でも、それに付随するこまごまとした意味での『小さな日常』は、少しづつ変遷していくのでした。
私が一日の仕事を終えて帰宅すると、大山君はいつものように玄関まで出てきてくれたのですが……大山君の姿を見て、私は唖然としてしまいました。
「お、大山君、その姿は……」
「あ、これは」
なんと、大山君の頭の上に、丸くて小さい『たぬきの耳』が生えているではありませんか。それによく見ると、お尻の方には、小さくて可愛らしい『たぬきのしっぽ』が生えています。大山君の『たぬきのコスプレ』のような可愛らしい姿を眺めながら、私の頭は理解が追い付きませんでした。
大山君曰く、『省エネモード』とのことでした。どうやら人間の姿を保つにはそれ相応の『妖力』が必要らしく、それは『カロリー』として、食べ物をたくさん食べることで賄っているようです。
ですが、やはりそれでも一日中姿を保ち続けるのは大変なようで、今までもたまに、『たぬき』の姿に戻ったり、部分的に『変身』を解いたりしていたと言います。
大山君曰く、『見苦しかったら雪野さんの前では控えます』とのことでしたが、見苦しいなんてとんでもありません。むしろ、中途半端に『変身』を解いた大山君は、いつにも増して可愛らしいです。私は大山君に、是非このままでいるようにと言いました。
台所でスープを温め直す大山君のうしろ姿は、いつにも増して何とも愛らしいのでした。大山君が動くたびに小さなしっぽも揺れ動いて、私はつい、尻尾の動きを目で追いかけてしまいます。
私は、昔から忍耐力は強い方です。人一倍我慢ができる自信だってあります。ですが、この時ばかりは、フリフリとリズミカルに動く『たぬきのしっぽ』の『可愛い』の誘惑が、あまりにも強すぎるのでした。
「……あの、尻尾を触ってみてもいいでしょうか?」
誘惑に負けた私は、ついそんなことを訊いてしまいます。
「尻尾ですか? 別にいいですけど……でも、そんなに面白くないと思いますよ」
「いいんです……あ、すっごい」
大山君の尻尾はふわふわしていました。とても柔らかくて、触り心地がいいです。大山君には尻尾の価値が分からないようですが、私には分かります。
触るとふわふわしているのですが、ぬいぐるみとは少し違う感覚もあって、たまに『ピクッ』と小さく反応するのです。その反応が心地よくて、私はつい、時間も忘れて尻尾を触り続けてしまうのでした。
午後十時ごろ。私と大山君はリビングでお酒を飲みながら、録画しておいたバラエティー番組を見ていました。
大山君はいつもよりハイペースでお酒を飲んでいき、あっという間に酔っぱらってしまいました。恐らく、昨日の一件で長年の喉のつかえが取れたからだと思います。気持ちよさそうに『たぬ~』と語尾を伸ばしながら、柿ピーに手を伸ばしました。
「……大山君、そろそろお酒は控えた方が良いですよ」
「ぬ~? ……最後の一杯たぬ~」
大山君は焼酎が大の好物です。放っておくと本当にいつまでも飲み続けてしまうので、途中で止めてあげないといけません。
「じゃあ、最後の一杯ですよ」
「ぬ~……雪野さんは、優しいたぬ~!」
そう言うと、大山君は甘えるようにして、私の膝の上に頭を乗せたのでした。丸くてふわふわした『たぬきの耳』が腿に当たって、少しこそばゆいです。
今まで酔っぱらって『たぬ~』と言うことはあっても、こんな風に甘えてくることはありませんでした。試しに頭を撫でてみると、大山君は気持ちよさそうに目を閉じて、やがて、そのままスヤスヤと眠ってしまうのでした。
今まであまり思ったことはありませんが、どうやら大山君は、意外と甘えん坊さんのようです。それは大山君が『たぬき』という正体を私に明かしたからなのか、それとも、私が大山君のことをギュッと力強く抱きしめたからなのか、何が契機となったのかは私には分かりません。ですが、私の膝枕でスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている大山君を見ていると、そんな疑問もすぐ忘れてしまうのでした。
大山君と出会う前の私だったら、こんな風に『たぬきの彼氏』と『のほほん』と過ごすことは絶対にできなかったと思います。
もちろん、大山君が男性として非常に魅力的ということもあります。ですが、私が大山君の正体を知った今も変わらずに彼を好きでいられるのは、彼と過ごした七年間という決して短くない歳月が、少しづつ私の世界を彼の色に染め上げてしまい、私がいつの間にか『のほほん』と『おおらかな』性格になってしまったからかもしれません。
私の膝枕でスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている大山君を見ていると、何だか私まで眠くなってきてしまいます。私は机の上に突っ伏してしまうと、そのままスーッと夢の世界へ誘われていくのでした。
七年間付き合っていた彼氏が、たぬきだった話 九戯諒 @kokonogiryo
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