茶封筒と告白

第5話 『奇妙な茶封筒』と心配そうな大山君

 ある日のことです。仕事から帰宅した私が郵便受けを開けると、中に小さな封筒が入っていました。差出人の名前も、宛先も、切手すらも貼られていない小さな茶封筒です。持ち上げた感触から、中に『ゴロゴロと転がる何か』が複数入っているように感じられました。


 最初は悪戯かと思いましたが、良く見ると裏面のセロテープは中々に洒落ています。悪戯で使うなら、普通の、透明のセロテープで十分なはずです。それに、もう一度表面を見ると、相変わらず手紙として必要なことは何一つとして書かれてはいませんが、その代わりに『可愛らしい絵』が描かれていることに気が付きました。


 「……これは、たぬきでしょうか?」

 頭に『葉っぱ』を乗せたチャーミングなたぬきと、髪の長い『笑顔の女性』が描かれていて、その周りにはハートマークが沢山浮かんでいます。そこまで上手ではありませんが、描いた人物の思いが感じられる温かい素敵な絵です。それを見てしまうと、やはり私には、この手紙が『単なる悪戯』とは思えないのでした。



 家に帰ると、食欲をそそるカレーの香りが玄関まで立ち込めていました。玄関扉を開けた音で気が付いたのか、大山君がやって来て、『おかえり~』と私を出迎えてくれました。

 「ただいま。美味しそうな匂いですね」

 「今日はポークカレーです。トッピングに温泉卵も作りました」

 「ありがとうございます。ああ、そう言えば、ポストにこんな物が入っていました」

 私は例の茶封筒を大山君に渡しました。


 「手紙ですか?」

 最初は、大山君も不思議そうに茶封筒を眺めていましたが、表面の『狸と髪の長い女性の絵』を発見するやいなや、ひどく驚いたように、大きく目を見開いたのでした。

 「大山君、何か知っているんですか?」

 「……あ、いえ、何でしょうね、これ」

 「中はまだ見ていませんが、どうやら小さな固形物が入っているみたいです。開封して、確かめてみましょう」

 「……あ、あとでも良いですか? そ、その、お腹も空きましたし」

 「ええ、もちろん構いませんよ」

 「じゃあ、カレーを温め直してきますね」

 大山君は茶封筒をエプロンのポケットに入れると、逃げるように立ち去ってしまうのでした。



 やはり、大山君の様子はいつもと違いました。いつもなら、美味しいご飯を食べるときは『のほほん』と幸せそうに顔を綻ばせているのですが、今日は違います。とっても美味しいポークカレーを食べているのに、ちっとも幸せそうではありません。むしろ『どんより』とした暗いオーラを全身にまとっていて、見るからに不安そうです。

 大山君と出会ってからかれこれ七年以上が経ちますが、こんなに元気のない大山君を見るのは、今日が初めてです。その原因を推測するのは、決して難しくはありませんでした。


 「大山君、さっきの封筒を開けたくなければ、無理に開ける必要はありませんよ」

 「……え?」

 大山君はおもむろに顔を上げました。とても不安そうな顔をしています。

 「もしあの茶封筒が誰かの嫌がらせなら、開封しないでそのまま捨ててしまいましょう。ちょうど、明日は燃えるごみの日ですし」

 「あ……いえ、別に、嫌がらせではないんです」

 「そうなんですか?」

 では、大山君はどうして元気がないのでしょう? 私はポークカレーを食べながらあれこれと考えましたが、納得できる理由は何一つとして思い浮かびません。

 「……雪野さん」

 「はい」

 

 スプーンを置いて大山君の方を見ると、大山君は真剣な眼差しで私のことを見つめていました。いつも『のほほん』としている大山君にとって、驚くほど珍しい表情です。私に二回目の告白をしてきた時以来の、実に七年ぶりの眼差しです。

 「何でしょうか?」

 「……今日の夜、大事なことをお話ししたいのですが、大丈夫でしょうか?」

 「大事なこと、ですか?」

 「はい……今まで言えなかった、僕と、僕の一族に関する『ある秘密』についてです」

 「大山君と、親族の秘密ですか……? でも、それがもし大山君にとって嫌な事なら、わざわざ言う必要は」

 「いえ、決して嫌な事ではないんです。それに、雪野さんとこうして真剣なお付き合いをしている以上は、いつかは全てをお話ししなければならないと思っていました」

 そのように言われてしまっては、私としても聞かなければなりません。軽く深呼吸をしてから、私は大山君に向かって言いました。

 「分かりました」



 しかし、大山君と親族の秘密とは、一体何なのでしょう? それに、それが『たぬきと髪の長い女性の絵』と、どのような関係があるのでしょうか? タイミング的に、大山君の決心と例の茶封筒が無関係とは、私にはとても思えません。


 私と大山君は、お互いに無言でポークカレーを食べ続けました。無言ですが、嫌な緊張感はありません。昔からそうですが、私たちは二人にとって『無言の時間』は、決して『苦』ではないのです。『苦』ではないどころか、むしろ無言の方が、集中して物事を考えることができます。


 大山君と親族の秘密というのは、もしかすると『借金』の類なのかもしれません。それ以外に、大山君がこれほど改まって私に話さなければならないことなど、私には何一つとして思いつかないからです。大山君の親族には『お医者さん』が多いようですが、それを合わせて考えると、決して少なくない額のお金を借りているのかもしれません。


 或いは、そもそも『お医者さん』ということ自体が表向きの嘘で、やはり『その道を極められた方々』の家系なのかもしれません。少なくとも心根の優しい大山君にそのような気配は一切感じられませんが、普段の堂々として胆の据わったところなどは、『親分さん』の血を引いていると言われれば、それはそれで妙に納得してしまうところがあります。



 私は、大山君が作ってくれた温泉卵をポークカレーにかけました。最高にちょうどいい具合の温泉卵です。スプーンでつつくとプルプルの白身は簡単に割れてしまい、中から粘性の高い黄身がとろッと流れ出して、ご飯とポークカレーを美味しそうに染め上げていきます。


 真っ白いご飯が、ゆっくりと黄色く色づいていくその様は、視覚的にも面白みがあります。『卵黄の粘性率はどれくらいかな?』とか、『卵の加熱時間とどんな関係があるのかな?』とか、そんな『くだらない疑問』は、濃厚なポークカレーを口に入れた瞬間、全てきれいさっぱり忘れてしまうのでした。


 しかし、温玉入りポークカレーに舌鼓を打ちながら、私はふと思うのでした。大山君と出会う前の私だったら、果たして、今みたいに『のほほん』としていられただろうか、と。

 七年間も付き合い続けてきた彼氏が、一世一代の『秘密』を打ち明けようとしているのに、こんな風に『のほほん』とポークカレーを食べ続けていられただろうか、と。


 少し考えて、私は苦笑してしまいます。もし、大山君と出会う前の私だったら、今みたいに『のほほん』とは、していられなかったに違いありません。食欲がなくなったり、キリキリと胃を痛めたり、不安で仕方がなかったと思います。


 もはや『単なる彼氏』ということではなく、その先の『結婚』という二文字さえ真剣に考えているような人に、その全てを根底からひっくり返してしまいかねない大きな『秘密』を、数時間後には打ち明けられているかもしれません。


 にもかかわらず、私の心は大変穏やかでした。これはきっと、大山君の影響に違いありません。いつも、どんな時でも『のほほん』としている大山君の傍に七年間もいたことで、私もいつの間にか、ずいぶんと胆が据わってしまったようです。


 『朱に交われば赤くなる』


 私は変幻自在に色を変える白米を眺めながら、ふとそんな言葉を思い出したのでした。

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