好きな子と同じ銘柄のタバコ吸って切なくなる。

Unknown

【本編】好きな子と同じ銘柄のタバコ吸って切なくなる。

 春の陽気が漂い始めた季節、俺は数か月に及ぶ「躁病」の入院治療を終えて退院した。

 シャバに出てすぐにコンビニに向かって、アイコス・イルマワンという加熱式タバコの「テリアの赤いメンソール」をカートンで買った。


 ──実はこの銘柄は俺の好きな女性が吸っている銘柄だ。


 ちなみにその女性との縁はもう数か月前に切れてしまっている。

 俺の病気のせい、なんて言い訳をするつもりは無い。病気は他人を傷付けた免罪符にはならない。何故なら病気の飼い主はこの「俺」なのだから。

 俺は大好きな女性の心のトラウマを抉る発言で大泣きさせた。深く傷付けた。そして、もう以前のように関わることが2度と出来なくなった。その事実だけが残っている。

 でも俺は今もその女性が大好きだった。決してこちらからは連絡は取らないし取れないけれど、連絡を取る手段そのものはまだ存在しているようだった。

 だから『ねぇ、さっき退院できたよ!』と彼女に送ることも可能だが、俺の病気がまだ治っていない以上、送るわけにはいかない。

 俺は俺が真の意味でメンタルヘルスの問題を全て治すまではその女性と個人的なやり取りをするつもりがない。

 あくまで入院治療が終わっただけで今後は外来治療を続けていく。

 だから、もしかしたら、もう一生その子と連絡は取れないかもしれない……。

 その女性を思うといつも胸が苦しくなって、仕方ない。あんなに人を大好きになって心を開いたのは28年の人生で初めてのことだったからだ。

 俺が精神科から退院して真っ先にやりたいことが、その子と同じ銘柄のタバコを吸ってみる事だった。

 なので真っ先にコンビニに向かったのだ。

 コンビニでタバコを買ってバスに乗って俺の住む1人暮らしのアパートに数か月ぶりに帰宅し、俺はとりあえずカーテンを開けて、椅子に座ってすぐにアイコスにタバコを差し込んで、スイッチを入れて吸ってみた。

 強めのメンソールと仄かなラズベリーっぽい良い香り。

 あぁ。あの子はいつもこのタバコを吸っているんだなあ。


「……ふぅ」と、俺は肺まで届かせた煙を吐いた。


 感想としては、俺が普段愛煙しているメンソールのタバコとの違いはあまり分からなかったが、好きな人と同じタバコを吸えている事実が嬉しくて俺は少し感慨深い気持ちになれた。

 あの子は、この日本の中で今日も生きている。俺は椅子から立ち上がり、ベランダへと続く窓を開けて、ベランダからタバコの煙を吐いた。

 今日の空は雲一つない青空。この煙があの子の場所まで届けばいいのに、と思ったが、せいぜい1メートルか2メートル先で煙は霧散する。


『人と人はこの同じ空の下で繋がっているんだよ』


 的な言葉があるが、空を見上げても退屈な空しかない上に、俺とその子が繋がっている実感など皆無であった。同じ空で繋がってるなんて大嘘じゃねえか。


「……はぁ」


 俺は溜息交じりにタバコの煙を吐いてその大好きな女性の事を考えながら、叙情的になりつつも、自分のこれからの人生についてリアルに考えていた。

 きっと俺はこの先、ずっと永遠に独りぼっちなんだ。会いたい人には会えない。やりたいことはできない。やりたくもない仕事をやる。「小説家になってみたい。一冊の本になってあの子に読んでもらいたい」なんて馬鹿すぎる夢なんて勿論叶うはずがない。


 ◆


 退院から約10日間が過ぎた。

 断酒による心の空虚感や孤独感は想像を絶するキツさがあるものの、俺は毎日3食ちゃんと食べてデパケンをはじめとした躁を抑える薬を飲みつつ、アルコール依存症の治療にも必死に取り組んでいた。

 俺はかなり若い時から医師に正式に「アルコール依存症」と診断されている。今までの人生で3回も急性膵炎で入院した。3度とも想像を絶する痛みであった。

 若い頃から俺は孤独体質で、高校時代以降は友人も恋人もまともに出来たことが無かった。1人で過ごす時間も好きと言えば好きだが、どうしても心を埋め尽くす漆黒の闇のような孤独感を消したくて相当若い頃からアルコールで心をずっと満たしていた。

 そのツケを払うときは今しかない。今本気で変わろうとせず、いつ変わるんだよ。俺。


「……ふぅ」


 俺は酒を飲みたい欲求を抑えるために喫煙量が以前よりも格段に増えている。

 今日も、俺が大好きな子が吸っているテリアの赤メンソールを吸って、ちょっぴり心が切ない気分になっているが、決して嫌な切なさではない。俺はもう前を向いているからだ。

 アルコール依存症の治療法はこの世にただ1つ。


【強い飲酒欲求に耐えつつ、一生一滴も酒を口にしないこと】


 だけである。覚醒剤と同じ治療法しか存在しない。しかも飲酒欲求は死ぬ日まで永久に続く。相当な鋼の意志が無ければ断酒は失敗に終わるのがオチだ。いつかネット記事で見た情報によれば断酒の成功率はたしか5%くらいだったはず。

 だが、今の俺は、かつて無いほどの強い気持ちでアルコール依存と向き合っている。

 俺はいつか、どうしても全てのメンタル疾患を治して、またあの女性と関われるような人間(男)になりたいんだ。

 もう付き合いたいとか恋人になりたいとか、そんな高望みは何も考えてない。俺より相応しい人が彼女には山のように存在するからだ。

 きっと俺のような人類のゴミなんかと親密になっても、彼女は不幸になって毎日泣くだけなのだ。


 ──だから、たった1度で良い。


 たった1度で良いからあの子に逢いたい。そして2人で猫カフェにでも行きたい。カラオケにでも行きたい。カフェにでも行きたい。それで解散で、もうそれで終わりでいい。

 それで俺の人生が終わったとしても、もう後悔は何も無いんだ。マジで俺はその日に交通事故で死んでも何も後悔はない。そのくらい俺はあの人が大好きだ。


「……ふぅ」


 あの子が吸ってたのと同じ銘柄のタバコの煙を吐きながら俺は指を躍らせるようにノートPCのキーボードをタイピングする。

 きっとあなた、というかあの女性は強く疑問に思うはずだ。


「どうして貴方は私のことだけ、こんなに好きなの?」


 って。

 実は俺もあの子に対する強い好意の理由を言語化するのが極めて難しい。何故なら、こんなに女性を好きになれたのが生まれて初めてだからだ。

 だが、「かわいいから」とか、「雰囲気が好き」とか、そんなふわふわしたくだらない理由じゃないのは確かだ。

 なんで俺はあなたがこんなにも大好きなんだろう。

 心の底から1番大好きなバンドが偶然にも一致しているから? 性格や価値観が近いから? 嫌いなものが似てるから? あなたが超大昔から俺のファンでいてくれたから? 

 分からない。

 ただ1つ言えるのは、あなたは僕の事をとてもよく知っているけど、僕はあなたの事をまだよく知らないってこと。あなたの心のすべてを俺は勝手に全て知った気でいたのだ。

 そしてもう1つ言えるのは、あなたを幸せにできる人間(男性)はきっと俺じゃないって事だ。


「……」


 俺は酒を飲まなくなった代わりにお茶やウーロン茶を飲む量が格段に増えた。水分で腹をタプタプにしよう作戦である。しかし腹がタプタプになったところで、今まで何年も酒で埋めてきた心の大きな穴は全く埋まらない。


「大好き」

「年が明けたら2人で会おうよ」

「会わなくてもいいからずっと俺のそばにいて」

「よかった。私嫌われてなかった。嫌われてるんじゃないかって心配でLINE開けなかったの」

「今度一緒に上野動物園に行こう!」

「私も泣いちゃった」

「俺と▲▲は前世が同一人物なのかもね」

「やっぱり●●は優しいね」

「●●と話してると飲酒してても暗い気持ちにならない!」

「ちょー楽しい!」

「本当に本当に大切な人なんだよ」

「なにがあっても見捨てないよ」

「ww」

「俺、猫カフェとか行きたい」

「●●は〜〜〜〜〜ってお酒知ってる? 韓国の居酒屋やってる友達がくれたお酒なんだけどね」

「あ、俺、仮想現実のマリアには思い出がある」

「え、なに?」

「ちょー楽しい」

「うける。●●はそのままでいいのに」

「私たちって似てるね」

「仕事が超疲れた タスクに追われてる」

「▲▲が過労死しないか心配だよ。無理しないで」

「うゆ。ひどいよ」

「●●が病気なのは分かるよ」

「このままだと●●はずっと独りぼっちだよ」

「私あの文読んで職場で大泣きした。でも今はもう割り切った」

「この失敗を次の人に活かしてください」

「ごめんなさい。もう俺と▲▲は関わらない方が良いね」

「そうだね」

「●●って動物好きだよね?」

「一生関われないのはやっぱり寂しい。俺が本当の意味で健康になれたらまた話したい」

「ニート・コバーンも私知ってるよ。あとなんだっけ。デブ・グロールと、オフロ・ノヴォセリックだっけ」

「●●は私の命の恩人だよ」

「一旦、さようなら」


 俺の脳内に勝手に浮かんでくるのは、あの人とのLINEのやり取りだ。お茶を飲んだり喫煙していると何故か勝手に頭に浮かんでくる。別に思い浮かべようとしてるわけじゃないのに。どうして勝手に浮かんでくるんだ。どうして勝手に浮かんでくるんだ。どうして勝手に浮かんでくるんだ。俺はASDという生まれつきの発達障害のせいか、無駄に記憶力だけには自信がある。IQは平均の100以下なのに。


「……ふぅ」


 俺はあの子が吸ってた銘柄のタバコの煙を独りぼっちのアパートの部屋の中で吐いて、あの子の幸せと笑顔を願っていた。

 きっと、というか間違いなくあの子と付き合ったり結婚したりする相手は俺ではない。

 そんなことがあってはいけない。俺はあの子を泣かせるだけのゴミ屑なのだから。

 でも俺は、こんな【贅沢すぎる妄想】をしばらく前にしていた。


【あの子がいつかババアになってベッドの上で最期を迎える瞬間、あの子がゆっくりと目を閉じる瞬間、その小さくてヨボヨボの手を優しく握って、少し泣きながらもシワクチャの笑顔であの子を見送るクソジジイが俺であってほしい】


 と。

 あの子の心の闇の深さがマリアナ海溝よりも深くても大好きだ。

 あの子がこれから何人の男性と付き合おうと大好きだ。

 あの子が「誰かの君」になっても大好きだ。

 だけども「最後の男」は俺であってほしいと強く思ってしまった。ベッドの上でゆっくりと死んでいく貴女の手を笑顔で握っているジジイが俺であってほしいと思ってしまった。

 あの子の最期や俺の最期は決して、若くしての自殺や心中なんかではない。

 あの子と二人で一緒にクソジジイとクソババアになってみたいと、俺はそんな願いを勝手ながら持ってしまった。


 そんな片思い。

 もうきっと届かない想い。


 俺の中の暖かい思い出にあなたはきっとなってしまう。思い出はどうしていつも美化されるのだろう。

 

「……ふぅ」


 暗い部屋の中。俺はまた、タバコの煙を吐いた。でも今度はあの子が吸ってた銘柄のタバコじゃない。

 最近俺がアイコスよりも気に入っているプルームというタバコのキャメルのメンソールの煙を吐いた。

 プルームに関しては、誰かの影響ではない。俺が自分で買って気に入って吸っているものだ。アイコスよりもプルームの方が俺は好きかもな。俺は前に進んでいる。

 でも俺は時々、アイコスのテリアの赤メンソールを買って、貴女を思い出すだろう。

 決して貴女が「思い出」になってしまわぬように。






 おわり






 

 ※この小説は全てフィクションです。

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