君は歩き、俺は沈む

OmAgA Nya Kyo

第1話

第一章:いつもと変わらない日


人生は連鎖する瞬間の積み重ねだという。すべての一歩は最初から決められた運命へと続いていると。

でも、俺はそんなことを信じたことはない。俺にとって人生とは、ただの失敗の連続でしかなく、間違った選択肢の積み重ねでしかない。

そして俺は、自分の物語の主人公になったことなど一度もなかった。

だからこそ、たった一つの出会いがすべてを変えてしまうなんて、夢にも思わなかった。


彼女を初めて見た日のことは、今でもはっきりと覚えている。

別に特別な日だったわけじゃない。ただ、あの日俺は、"努力しなくても絶望に沈んでいる人間がいる" という事実を、初めて目の当たりにしたんだ。

あれは学校の片隅、陽の光が届かないような薄暗い場所だった。

古びた車椅子、焦点の合わない目、そして静寂。

彼女は何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。だが、その沈黙は何よりも雄弁だった。


これを美化するつもりはない。運命的な瞬間でもなかったし、心臓が高鳴るような出会いでもない。

ただ、そこにいたのは "世界に見捨てられた" ような人間だった。

俺は、その光景に息苦しさを覚えた。

それでも、なぜか目を逸らすことができなかった。

彼女が俺の存在など気にも留めていなかったからか、それとも "俺よりも深く沈んでいる" と思ったからか。


俺は特別な人間ではない。

大それた夢もないし、隠された才能があるわけでもない。

ただ、日々を適当に生きて、世界の端っこから眺めているだけの存在だ。

けれど、その日だけは、なぜか俺は彼女に声をかけようと思った。


それが、戻ることのできない道の始まりだった。

決して癒えることのない傷、決して口にすべきではなかった言葉、そして、知るべきではなかった真実。

この世界では、立ち止まった者を誰も気にかけない。ただ置いていくだけだ。


✦✦✦


「起きるか、寝たままでいるか……」

俺はベッドの上でつぶやきながら、重い体を布団に沈めたまま動けずにいた。


目覚ましが鳴ってからすでに10分は経っている。でも、起き上がる気になれない。

どうせ誰も俺を待っているわけじゃない。俺がいなくても何も変わらない。


ため息をついて、ようやく体を起こす。

無意識のまま洗面所に向かい、鏡を見る。

そこに映っていたのは、相変わらずの自分だった。


深いクマ、ぼさぼさの髪、覇気のない顔。


「……うわ、気持ち悪」


適当に服を着て、だるい体を引きずりながら台所へ向かう。

すでに母親は出かけていた。何も言わず、何も残さず、ただドアが閉まる音だけが俺の耳に残る。


朝食は乾いたパンと水。

腹が減っているのかもわからない。

でも、何かを噛んでいないと、本当に空っぽになってしまいそうだった。


✦✦✦


学校までの道のりは、いつものようにぼんやりと歩く。

俺の周りを通り過ぎる生徒たちは、誰かと話しながら笑ったり、くだらない話で盛り上がっている。

誰も俺のことなど気にしていない。いや、最初から気にかけてすらいないのだろう。

俺も別に、気にされたいわけじゃない。


校門をくぐり、深く息をつく。

また、いつもと変わらない一日が始まる。


教室に入ると、俺は黙って席につき、無造作にカバンを置く。

そのとき、隣から声がした。


「おい、数学の宿題やった?」


顔を上げると、そこにいたのは順平だった。

このクラスで、数少ない "俺に話しかける" 存在。

といっても、別に俺が好きだから話してくるわけじゃない。ただ、用があるときだけだ。


「やってない」


「あー、だろうな。相変わらずサボり癖ひでえな」


順平は苦笑いを浮かべ、すぐに別のグループへ戻っていった。


ああ、そうだよ。俺は怠け者だ。

でも、お前らみたいにこの学校のために生きてるわけじゃないんだよ。


授業はいつも通り、何の意味もなく過ぎていく。

先生の声が頭に入ることもなく、ただ時間だけが過ぎていく。


✦✦✦


昼休み。


俺はふと、校庭の片隅に目を向けた。

そこに、彼女はいた。


大きな木の陰、古びた車椅子。

誰とも話さず、誰からも話しかけられず、静かに何かを見つめていた。


まるで、この世界に存在していないみたいに。


周囲の生徒たちは彼女のことを見ようともしない。

あたかも、最初からそこにいないかのように。


……俺は、なぜ彼女から目を逸らせないんだ?


✦✦✦


「お前、ストーカーみたいになってるぞ」


突然、背後から声がした。


ビクッと肩を震わせ、振り返る。


「ああ……ケンジか」


そこにいたのは、俺の唯一の "友人" 、ケンジだった。


といっても、俺にとって "友人" という感覚は少し違う。

ケンジは、俺に何かを求めるわけでもなく、ただ普通に話しかけてくる数少ない存在だった。


「なあ、あの子誰?」


「知らない。ただ、あそこにいた」


俺は視線をそらしながら答える。


ケンジは肩をすくめて、「ふーん」と呟くと、ポケットに手を突っ込んだまま言った。


「まあ、少しは興味が湧いたってことだな」


「……バカか」


そう言いながらも、俺の頭の中には、彼女の姿が焼き付いて離れなかった。

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