夢から覚めるとハンカチが濡れる
暁の月
第1話 非日常
「星座占い」十二分の一
「サイコロの目」六分の一
「コインの表裏」二分の一
そんな確率論じゃなく、一般的に女が男よりも優っていると世に言われている「勘」が、俺に告げる。「今日はツいていない日になりそうだ」と。
教室が見える距離からそれは聞こえていた。
「何なのこれ!!」
「誰がやったのよ!!」
おそらくそれは、自分の教室から発せられているのだろう。教室へ近付くにつれ、それが確信に変わっていく。
教室を目の前にし、涼介はかぶりを振った。
いつもの様子で教室に足を踏み入れると、自席に学生カバンを置いた。ただならぬ雰囲気を醸し出している部屋の中を、涼介はゆっくりと見渡す。
言い争いや喧嘩をしているわけではなさそうだった。ほとんどの生徒が何かに恐れているように見える。そしてその恐れている元凶は、教壇の上にあるらしいことが分かった。なぜなら皆がそこを中心に輪を作っていたからだ。
見るとそこに、無理やり開けられた口から臀部にかけて、一直線に釘が打ち付けられている鼠の死骸が置かれてあった。そう、置かれていた。捨てられているような雰囲気を何故か感じさせないことが、余計に不気味だった。
「おい!!どうした!!」
担任の西岡が教室の入り口で叫んだ。誰かが西岡を連れてきたのかは定かではないが、ホームルームの時間を知らせるチャイムはまだ鳴っていない。西岡がここへやって来るには些か早かった。
何にしても、西岡を無視して教壇周りにいることに得を感じない、涼介は自席へ戻った。
「誰がこんなことしたんだ? この中にアレをやった者がいるのか?」
鼠の死骸を処理した西岡は教壇に立つと、皆の前でそう言った。
誰も返事をしない。静かな教室に、廊下や隣の教室からの喧噪が入り込む。
「いやすまない。先生は君たちの中にいると決めつけているわけじゃないんだ。……じゃあ何か見た者はいるか? アレを誰かが置いたところを見たとか……。何でもいいんだ。少しでも怪しい人物を見たって人がいたら教えて欲しい」
西岡の熱弁も空しく、皆の反応は無かった。
怪しまれることを恐れているのだろう、誰もピクリとも動かない。
「……あ、いや、そうだよな。もし何か見ていたとしても、こんな皆の前で言えるわけがないよな。……うん、じゃあ体育教官室を借りよう。そこで先生と一対一で話をしようか。
……じゃあまずは青山、先生と一緒に来てくれ」
「え……、あ、はい……」
血色を失っている青山が、消え入りそうな声で答える。
「出席番号順だ。次は犬飼。青山がここに戻ってきたら来てくれ。体育教官室がどこにあるか分かるか?」
「はい。職員室の隣ですよね?」
「ああそうだ。君たちの中に体育教官室が分からない人がいたら、誰か知っている人に聞くように。じゃあ青山、行こう」
二人が出て行った時、皆の緊張が解けたのか、張り詰めた空気も和らいだのが分かった。
「実際どう思う? この中に犯人がいると思うか?」
「……いやどうだろう? やるとしたら自分が犯人とバレないように、他の教室にアレを置くと思うけど……。いやでも皆の反応が見たいからやったのかも……。ていうか、なんかこれ、どこかで似たようなことが無かったっけ? どこだったかな……」
「いや俺は知らないな……。こんなことが他でも起こってるって、ヤバイだろ」
前の方で話す声が聞こえる。分からないことをあれこれ予想しているようだ。馬鹿らしい。答えの出ないことを話し合ったところで絶対に答えが出るはずがないのに。
それよりも一人十分かかるとして、このクラスは三十人程の生徒がいる。俺の順番は最後だから……。
涼介は天を仰ぐ。長いため息をついた。
「で、君は犯人を見たのか?」
「俺は何も見ていません」
「君は昨日の放課後から今朝まで学校にいなかったのか?」
「昨日は授業が終わったらすぐに帰宅しました。今朝は登校した時にあの事件を知りました」
「そうか」
まさに取り調べだな。涼介は思った。アリバイの有無の確認も取られた。教師にこのような権利は無いはずだ。警察ごっこか探偵の真似事がしたかったために、このような場所を用意してまで二人きりになりたかったのだろう。反吐が出る。
「先生、これ以上俺に何を聞いても無駄ですよ。何もしていないんですから」
「……そうか。先生はお前の口から本当のことを聞きたかったんだけどな」
「あ?」
二人の間に奇妙な空気が流れる。自分を見る西岡の目が先程とは違い、教師が生徒に向けられる類のものではなく、初めて向けられたものだった。
「それはどういうことです? 俺が犯人だと言っているように聞こえましたが」
「お前がアレを置いたのを見たって声があったんだよ」
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