005 まるでプロポーズ

 ダンジョンを出て、一度、自宅へ戻ることにした。


 重い足取りで、森の中を歩く。

 研究所を追放されてから、まだ数時間しか経っていないはずなのに、まるで何日も経ったかのような疲労感があった。


 街の外れにある、小さな家。

 それが、俺とルゥナの住む家だ。


 玄関の扉を開けると、ルゥナが心配そうな顔で出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、兄様。教は遅かったですね。何かあったのですか?」


 ルゥナは、俺の顔を見て、すぐに異変に気づいたようだ。

 鋭い奴だ。


 ……いや、俺が隠し事が下手なだけか。


「ルゥナ。大事な話がある」


 ルゥナを居間のテーブルに座らせた。

 俺も対面に座る。


 ルゥナの髪は白髪だった。

 もともとは俺と同じ、少し灰色っぽい髪型なのだが、魔力欠乏症によって色素が薄れているのだ。

 目の色は紫。これも魔力欠乏症が原因だ。


「それで、兄様。大事な話というのは、なんですか?」


「実は、俺、研究所をクビになったんだ」


 俺は、絞り出すような声で言った。

 もともと青白いルゥナの顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「どうして、ですか? 兄様は、あんなに一生懸命研究していたのに……」


「研究が危険すぎると判断されたんだ。魔力増幅技術は、悪用されれば、世界を滅ぼす力にもなりかねないって……」


「そんな……」


 ルゥナは、俺の目を見た。


「……べつの研究をするわけにはいかないのですか。もっと平和的な」


「無理だ。研究所は、もうクビになったし」


「私のせいですよね」ルゥナは目を伏せた。「兄様は、私のために魔力増幅技術を研究していた。私がいなければ、もっと他の研究をできたはずです」


 俺は、思わず笑ってしまった。


「違うよ。ルゥナのせいじゃない。むしろ、ルゥナがいたから、俺は賢者になれたんだ。ルゥナのためになりたくて、必死に勉強したから。だから、ルゥナが気に病む必要はない」


 しかし、ルゥナの表情は曇ったままだった。


「それでは、これからどうするのですか?」


「所長には田舎に帰れと言われたけどな」


 それはルゥナの治療を諦めるということだ。

 だが、俺は絶対にルゥナの命を諦めたりしない。



「……俺は、ダンジョンマスターになろうと思っている」


「ダンジョンマスター……ですか?」


「ああ。とある、古びたダンジョンで、ダンジョンコアのクリスティと出会った。彼女の力を借りれば、魔力増幅技術の研究を続けられるかもしれない」


「……でも、ダンジョンは危険な場所です。魔物もたくさんいるのでしょう?」


「いや、なんというか……むしろ、人間を襲う側だ」


「人間を襲う側?」


 ルゥナは、俺の言葉を理解できず、首をかしげた。

 さっぱりわかっていないようだった。

 無理もない。普通の人は、ダンジョンといえば、冒険者が潜って宝を探す場所、という認識だろう。


「ああ。ダンジョンっていうのは、簡単に言うと、それ自体が意思を持った、巨大な生き物みたいなものなんだ」


「生き物……ですか?」


「そうだ。そして、ダンジョンの中核となるのが、ダンジョンコア。俺が出会った、クリスティのことだ。ダンジョンコアは、ダンジョン全体の魔力を管理し、モンスターを生み出したり、罠を作ったりすることができる」


「……よく、わかりません」


 ルゥナは、困惑した表情を浮かべている。

 俺は、言葉を選びながら、説明を続けた。


「簡単に言うと、俺はダンジョンをつくる。そこに冒険者たちを呼び寄せ、魔力を奪う。そして、得た魔力で研究をつづける」


「それは……。兄様は……人間をやめ、魔族に落ちるということではありませんか」


「そういうことに、なるのかもしれないな」


 人類を害する賢者。

 それはすでに、人間ではない。

 魔族と呼ばれる存在に近いかもしれない。


「私のため、なんですよね」ルゥナはつぶやいた。「私さえいなければ、兄様は、そんなことをしなくても済んだのでしょう。もっと、のんびり、静かに、穏やかに暮らせたはずです」


「そんなこと言うな。気にしなくて良いんだ。俺は、ルゥナのために生きている。ルゥナのいない世界なんて、こっちから願い下げだ」


 俺は、ルゥナの冷たい手を、両手で包み込むように握った。

 ルゥナの魔力欠乏症は、彼女の体温まで奪ってしまう。


 だから、こうして時々、手を温めてやる必要があるんだ。


「研究が完成して、ルゥナが治ったら、ふたりで世界を旅しよう。夏の国、冬の国、秋の国……どこにでもいける。楽しみだな」


 ルゥナは何も言わなかった。


「お前を必ず幸せにする。だから……俺がダンジョンマスターになるのを、許してくれるか」


 ふっと。

 ルゥナは小さく吹き出した。


「兄様。その台詞、まるでプロポーズですよ」


「え? あ、たしかにそうだな」


 妹にプロポーズをする兄というやばい構図になっていた。


「兄様。私は、もう、本当に幸せなんですよ。本当は、もっと小さいコロに亡くなっていたはず。兄様のおかげで、いままで長生きできたんです。それ以上を望むなんて、贅沢ですよ」


「違う。そんなことはない。お前は、俺の生きる目的だ。ルゥナのいない世界を、俺は生きていくことはできない」


 俺は、ルゥナの目を真っ直ぐに見つめた。

 これは、俺の本心だ。


 ルゥナがいなければ、俺はとっくの昔に、生きる意味を見失っていただろう。


「兄様は、いつも大袈裟ですね」


ルゥナは、少し困ったように微笑んだ。

でも、その瞳は、優しく俺を見つめ返している。


「でも、そうですね。本当は、私も、もう少しだけ兄様と一緒にいたいです」


「ルゥナ……」


「ただ、一つだけ約束してください」


「なんだ?」


「絶対に、無茶はしないでください。兄様が傷つく姿を、私は見たくありません。これから、たくさん苦しむことがあるでしょう。いつでも、嫌になったら、私のことを見捨てて逃げてください」


「お前を見捨てることなんて、できない」


「それでも、約束してください」


 ルゥナは、俺の手を強く握りしめた。

 その小さな手から、ルゥナの不安と、俺への信頼が伝わってくる。


 俺は嘘をつくことにした。


「約束する。だから、俺についてきてくれるか」


「……はい、兄様」


 俺は立ち上がり、部屋の中を見回した。

 持ち物は、それほど多くない。

 ルゥナの着替えと、薬、それから、俺の研究道具……。

 あとは、ルゥナが大切にしている、古びたクマのぬいぐるみくらいか。


 それと……母親の形見だ。

 それは、小さな青い宝石が嵌め込まれた、銀のペンダントだった。

 宝石は、今はもう魔力を失い、ただの石ころのようになっているが、俺にとっては、何よりも大切な宝物だった。


 宝石の中央には、複数のヘビが絡み合うような紋様が描かれている。


「……よし、これくらいなら、すぐに運べるな」


 俺は、手早く荷物をまとめ、運搬用の魔具に詰め込んだ。


「……兄様、私、信じています。

 兄様となら、どんなことでも乗り越えられるって」


「ああ、俺もだ、ルゥナ」


 俺は、ルゥナの手を取り、そっと抱き寄せた。

 ルゥナの小さな体は、俺の腕の中にすっぽりと収まった。


「……さあ、行こう。俺たちの、新しい家へ」


 この家には長く暮らした。


「少しだけ、さびしいですね」


 俺は、ルゥナの手を、ぎゅっと強く握った。

 そして、彼女の手を引き、家を出る。


 外は、すっかり日が暮れ、空には星が瞬いていた。


――――――――――――――――――

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