世界を変える少女と無能力のエージェント

くるとん

プロローグ

世界が変わって十年。


 東京湾に突如として銀色の巨大な塔が出現して以来、『魔法』という未知の力を持つ人間が世界中で現れ始めた。


 能力者と非能力者。

 その間に生まれたのは、明確な亀裂と混乱だった。


 能力者たちは東京の一部地域に隔離され、『魔法特区』として管理されることになった。

 その区域内の秩序維持を担う政府の特務機関が『魔法監察機関(M.A.D)』――

俺、霧島 総士きりしまそうしが所属する組織だ。


            ◆


『総士、現場はどうだ』


 耳元の小型無線機から落ち着いた声が聞こえる。

 直属の上司、万代隼人(まんだい はやと)は、後方支援班として遠距離から現場を監視している。


「こちら総士。今のところ特に異常なし」


『了解だ。だが油断するなよ。今日は特に警戒が必要だ』


「わかってますよ」


 今日の任務は穏健派議員である神崎正人先生の護衛だった。

 神崎先生は能力者との共存を訴える重要人物だが、その思想が能力者の過激派組織から狙われている。


 俺は今回、護衛官ではなく『女性秘書』として議員に同行していた。


(どうして俺が秘書役なんだよ……)


 元々細身で背が低く、中性的な顔立ちだとよく言われる俺は、組織の誰よりも今回の任務に適しているらしい。

 

「神崎先生、今回の視察はいかがでしたか?」


 同行していた別の議員が、和やかな笑みで神崎先生に話しかける。


「うむ、特区内もずいぶん安定してきたようだ。良い方向に向かっている」


 神崎先生がにこやかに頷くと、隣の議員がちらりと俺を見て軽口を叩く。


「先生はいいですねぇ。今日はこんな美人秘書さんがご一緒で」


「ははっ、私も鼻が高いよ。彼女のおかげでずいぶん仕事も助けられている」


 穏やかな会話に俺は苦笑いを隠せない。


(これだけは毎回勘弁してほしい……)


 そんなことを考えていたその時だった。


 急に背筋に寒気が走り、俺は直感的に議員たちを後方に押し込んだ。


「先生、下がって!」


「な、何だ……!?」


 次の瞬間、周囲に強烈な炎の渦が巻き起こった。


「死ね、政府の犬ども!」


 敵は能力者の過激派集団。

 彼らは一斉に魔法を放ちながら襲いかかってきた。


「総士、状況を報告しろ!」


「敵襲です! 能力者数名、現在交戦中!」


 魔法をかわしながら俺は返答した。

 炎や氷、風などの攻撃が激しく交錯し、護衛対象の周囲は混乱に陥った。


「貴様らのせいで能力者がどれほど苦しんだか、思い知れ!」


「能力がない奴らが、俺たちに勝てると思うなよ!」


 敵の攻撃は苛烈だが、俺には魔法も特殊装備もない。

 頼れるのは自らの『勘』と鍛え抜いた『身体能力』のみ。

 相手の魔法の軌道を直感で読み取り、瞬時に回避していく。


「そんな動き、無能力者にできるわけがない!」


「これぐらいできなきゃ、この仕事は務まらないんだよ!」


 敵の一人の背後に回り込み、頸動脈を的確に締め上げ昏倒させる。

 だが数の不利は否めない。別の敵が新たな攻撃を放とうと構えた。


(――まずい、避けきれない!)


 その時だった。


『総士、伏せろ!』


 隼人の声に反応し、瞬時に伏せると直後に乾いた銃声が響いた。


 放たれた銃弾が敵の魔法を操る腕を正確に貫き、敵の悲鳴が響いた。


『狙撃成功だ。総士、今のうちに制圧しろ!』


「助かった!」


 俺は瞬時に飛び出し、敵が怯んだ隙に次々と打撃を叩き込んで無力化する。

 残った敵も後方支援班の正確な狙撃支援によって足止めされ、次第に形勢が逆転していく。


「馬鹿な……無能力者だけで俺たちが敗れるなんて……!」


「だから言ったろ。無能力者でも、鍛えれば強いんだよ!」


 戦闘が終わった時には、敵は全員倒れていた。


『状況終了。総士、護衛対象は無事か?』


「ええ、無事です。感謝します」


『よくやった。撤収しろ、増援を向かわせる』


「了解しました」


戦闘は終了した。襲撃者たちは全員無力化され、

護衛対象の議員――神崎先生にも傷一つなく無事だった。


「霧島君、本当にありがとう! 君がいなければ、今日はどうなっていたことか……」


 護衛対象の神崎先生が俺の手を力強く握り、感謝の言葉を伝えてくる。

 俺は秘書としての笑顔を作り、丁寧にお辞儀を返した。


「無事で何よりです。私もお役に立てて嬉しいです」


 他の議員たちも次々に近寄り、明るい表情で口々に話しかけてきた。


「それにしても君、本当に素晴らしかったよ。護衛官までこなす美人秘書なんて、どこにもいないからな!」


「その通りだ。正式に私の秘書として迎えたいくらいだ」


「ああ、羨ましい。神崎先生は本当に運が良いなぁ」


 口々に褒められる中、俺はふっと息をついた。

 もう、限界だった。


「あー……先生方、本当にありがたいお話ですが、無理です」


 にこやかな議員たちが一瞬きょとんとする。


「いや、俺、男なんで……美人秘書としてはあんまり期待しない方がいいですよ」


「…………え?」


 その瞬間、議員たちの笑顔が凍りついた。

 神崎先生は口を半開きにし、他の議員たちも一斉に俺を凝視している。


「え、あの……男……?」


「ちょっと待て、えっ、男性?」


 戸惑い、呆然とする議員たちの視線が痛い。さすがに申し訳なくなった俺は、軽く苦笑いして頭を下げた。


「すみません、紛らわしくて」


 絶妙なタイミングで、後方支援の車両が音もなく到着する。

 ドアを開けたエージェントが真顔で俺を促した。


「先生方は、こちらの車両へ。霧島さん、あなたはこちらへ」


「ああ、助かる」


 議員たちは、呆然としながらも車に乗せられていく。その視線は最後まで俺に注がれていた。


「霧島君……君が男だったとは……」


「世界は広いな……」


 呆然とした表情で呟く議員たちを見送りながら、俺はエージェントの車に乗り込んだ。


「……悪いことしたかな」


「気にするな、霧島。どうせまた次もそういう系だろうな」


 運転席のエージェントが冷静に告げる。俺は深々とシートに沈み込み、もう何度目かもわからないため息を吐いた。


「……普通の任務はないんですかね」


「お前の容姿じゃ無理だろ」


「でしょうね……」


 窓の外を眺めながら、俺は静かに頭を抱えた。


 だが、この時はまだ知らなかった。

 これが『普通ではない任務』の、ほんの序章にすぎなかったことを。

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