君の推しは……
立川マナ
第1話
「は〜、
一日の楽しみ。憩いの時間。ランチブレイク。社屋近くの定食屋さんで、色気なんて知ったことか、カロリー重視のガッツリコッテリのトンカツ定食で胃を満たす。そして、午前中の激務で凝り固まった脳みそをほぐすため、私は今日もスマホ片手に推し活に勤しむのだ。
三十半ばにもなって、スマホで動画見ながら食事なんてはしたない、というのは分かっていますよ。しかも、十九の女の子が笑顔を輝かせて踊っているのを見ているわけで。『そんなことをしてる女性は、いつまでもお嫁になんて行けませんよ』と結婚相談所にでもいったら言われるんだろうな。――まあ、行くつもりはないけど。お金も時間もないし。
二十代後半はそれなりに焦っていたもんだ。振り返ると、焦れるだけ余裕があったんだ、と思う。
三十になった節目に、とある大きなプロジェクトを任され、キャリアアップに浮かれたもんだけど。給料とともに増えた重責に押しつぶされ、わんこそばの如く注ぎ込まれるタスクに忙殺され、気づけば、三十五になっていた。
絶賛、シングルである。
マッチングアプリにもチラッと登録してみたけど、すぐに面倒くさくなった。そもそも、時間と労力に対して得られる成果がマッチしていないじゃないか、と悟ってしまった。
そうして、結局、私が出会ったのは……由雛ちゃんだった。
自宅マンションと会社を往復するだけの日々。たいしてイベントも起きない、平坦な日常。まるでRPGゲームのモブのような生活。それでも疲れだけは、毎日、魔王を倒したみたいに蓄積していく。
その夜も精根尽き果て、何もする気も起きず、ベッドでゴロゴロと横になりながら、動画サイトを当てもなく巡っていた。そんなとき、不意におすすめで上がってきたのが由雛ちゃんのライブ動画だった。
今や、国民的アイドルとして、テレビでも引っ張りだこの由雛ちゃん。その由雛ちゃんがまだローカルアイドルだったときの初ライブの動画。どこかのモールのステージだろう。名前も全然知られていないようなアイドルグループの端っこで――でも、誰よりも楽しそうに、そして、まるでセンターを張っているかのようなキレッキレなダンスで踊っていた。
なぜか、涙が出た。
『疲れた』――一日の終わりに、その一言しか出てこなくなっていた私にとって、由雛ちゃんのとびっきりの笑顔と元気いっぱいのダンスは眩しくて……励まされた。
その瞬間、初めて、『アイドル』という言葉の意味を知った気がした。
それから、由雛ちゃんの動画を漁り尽くし、由雛ちゃんに元気をもらい、そして、応援したくなった。ファンになった――。
「あ、有村さん?」
突然、背後から呼ばれ、ん――!? てトンカツを喉に詰まらせそうになった。
ハッとして振り返ると、
「また、ユッヒーの動画見てんすか?」
「
ああ、またか、と思った。
チキン南蛮定食の乗ったお盆を手にそこに立っていたのは、同じ部署で二年後輩の穂高怜矢。スーツをしっかり着こなし、スマートな印象で、女性ウケしそうな嫌味のない清潔感のある男性だ。純然たる偏見だけど……こういう定食屋よりもオシャレなホテルのレストランとかが似合いそう。そんな彼と、ここ最近、こうしてよく出くわす。
「ほんと好きですよね、ユッヒー。いつも見てて飽きません?」
いつものように、カウンターに座る私の隣に当然のように座ってくる穂高さん。私も慣れてきてしまって、「だって可愛いでしょう。見てよ」と由雛ちゃんのライブ動画が流れるスマホを二人の間に置く。
「まあ、可愛いっすけど……僕はアイドルとか興味ないんで良さが全然分かんないっす」
「また、つまんないことを……」とこれまたいつものように睨みつける。「穂高さんはいないの? 好きなアイドルとか」
「アイドルとか興味ない――て今、言ったの聞いてました?」
「推しがいない生活なんて私はもう想像もつかないわ。毎日、仕事ばっかじゃうんざりするでしょ」
先輩が言うべきことじゃないかもしれないけど――と思いつつ、ブツクサ言って、トンカツを頬張る。
「いや……僕は楽しんでますよ。今日も有村さん、ミュートになってんの気づかずしゃべってんなー、とか……」
「はあ!?」
思わず、トンカツを吹き出しそうになった。
「何、それ? いつ? 言ってよ!」
「言いましたよ。よくあり過ぎて、いつかは忘れましたけど」と悪びれた様子もなく、飄々と言って、穂高さんはチキン南蛮を口に運んだ。
「そんなことで楽しまないでよね」
「あたふたしている有村さん見ると落ち着くんですよね」
「なんでよ……」
全く……と、ため息つく。
私はチャップリンかい。
「有村さんは――」と穂高さんはふと、思い立ったように口を開き、「ユッヒーのどういうとこにあこがれてんすか?」
「あこがれ?」
「アイドルって……要はあこがれの対象でしょ」
言われて、はたりとする。
そういうふうに意識したことはなかった。
あこがれ――改めて問われると……。
「そう……だなあ」
スマホの画面に目を戻し、いつまでも変わらぬ愛くるしい笑みで、息を切らせながらも一生懸命に踊って歌う由雛ちゃんを見つめる。
「あこがれ……というよりは尊敬――かもな」
独り言のようにぽつりと呟いていた。
やっぱり、由雛ちゃんの頑張る姿を見ていると自然と頬が緩む。ほんの一瞬でも、心が軽くなる感じがするから……。
「どんなに疲れてても……そんなの感じさせないで、『アイドル』としての仕事を全うしてる。そういう姿に励まされるし、尊敬するし、応援したい、て思っちゃうよね」
「ふぅん……」
「って、真面目に答えちゃったけど」
穂高さんの気のない返事に急に気恥ずかしくなって、私は、はは、と笑い、
「穂高さんは!?」と誤魔化すように振り返って訊ねていた。「そういうのないの!?」
訊いてすぐハッとする。
いや――もう何度も『アイドルに興味ない』て言われてんじゃない。
「ごめん! 推しとかいないんだったよね!」
「いや――分かります」
「へ……?」
「そういうのを『アイドル』って言うなら……俺も『推し』います」
神妙なようで、苦笑にも見えるような――どこか意味ありげな表情を浮かべ、穂高さんはこちらを見ていた。
『俺』――と珍しく彼が口にしたその言葉が、妙に耳に残った。
君の推しは…… 立川マナ @Tachikawa
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