トリの降臨

東雲弘治

第1話

 肥沃なる地ことガイアン大陸。

 豊穣の女神デメテルの加護を受けるこの地では、毎年女神への感謝祭が王都にて5日間行われる。

 大陸全土から捧げ物として集まってくるのは、農作物、畜産物、花卉類、魚介類エトセトラエトセトラ……。

 観光客も多く、王都の商売人たちにとっては稼ぎ時だ。

 大衆食堂”ムヨクカ”もそれは同じだった。

 店主の女は注文票を見てにんまりとしていた。

「今年もトリの注文がじゃんじゃん入ってるね」

 感謝祭でトリといえば大球鳥の丸焼きのことを指す。西部特産の家禽で、肥え太らせると球状に見えるためにその名がついていた。脂ののったその肉は、丸焼きにして食べるのが最も美味であった。一方で餌代がやたらにかかるため高価であり、こういった行事でもないとなかなか食べることはない。

 普段なら仕入れることは絶対にないのだが、感謝祭の日だけは大量に仕入れていた。

 ただし、生肉をそのまま保存する技術は確立されておらず、肉を手に入れるには、生きたままの大球鳥を輸送して、その場でさばくしかなかった。

「うーん、200羽はやり過ぎたかねぇ……」

 欲を張って大量に仕入れたものだから、絞めるだけでも大変なのに、それを丸焼きにするとなると人手がかなり要る。

 店主は臨時で4人を雇い入れた。

 夜も明けきらない内から仕込みを始めたのだが、店内や店の裏はすぐに殺人的な忙しさになった。

 その中で一人の少女が大球鳥の羽をひたすらにむしっていた。

 名はイェルカ。13歳の孤児である。

「ひぃーきつい! やってもやっても終わらないっ!」

「泣き言は後にしなノロマ。こいつを全部売り切らなきゃウチは赤字なんだからね! 給料も出さないよ!」

 大球鳥みたいに丸々太った店主がイェルカを怒鳴りつける。

「それはやめて~! いい加減パンとスープ以外のもの食べたいのよぉ……」

 豊かな土地と、それに基づいた安定した経済によって、ガイアナ大陸は飢えと無縁だ。とはいえ貧富の格差は存在し、孤児のイェルカともなると、実入りのいい仕事は少ない。

 しかし感謝祭の時期は別だ。一日で1週間は食いつなげるだけの大金が手に入る。

 裏手で鳥を絞める方が給料は高かったのだが、さすがに13の少女には刺激が強すぎた。結局、絞めた鳥の羽を丸焼き用にむしる係があてがわれた。 

 そのことをイェルカは後悔していた。

 なにしろ厨房のそばでむしっているのだ。換気も何もない店内は鳥の焼ける良い匂いが強烈に漂い、少女の空きっ腹を直撃していた。

「うぅ、ケチらず朝のパンをもっと食べてくるんだった……」

 特製のタレを塗り、直火でじっくりとあぶられる大球鳥。溢れ出す脂が炎に落ちるたびに、食欲を叩き起こす芳香が広がる。イェルカにとってはもはや拷問に近かった。

「食べたいなぁ……、あこがれのトリ! でもあれひとつで今日の稼ぎが吹き飛んじゃうし……はぁ」

 毎年、王都に出稼ぎに来るイェルカにとって、大球鳥の丸焼きはあこがれの料理だった。丸ごと一匹を食卓に乗せるのが夢なのだが、その日暮らしの貧乏人には夢のまた夢であった。

 結局、その日は夜更けまで羽をむしり続けた。この仕事の間だけは特別に寝床──といっても店の隅だが──を用意されていた。クタクタだったイェルカはホコリっぽい板張りの床でもすぐ寝入ってしまう。

 が、しばらくすると目を覚ます。

「お腹すいた……」

 一応まかないも出たのだが、ケチな女主人の出すまかないなどたかが知れている。

 ふと、昼間に見えた光景を思い出す。店主が丸焼きを一つだけ木箱に詰めて、大事そうに戸棚にしまっていた。通常の客ならば箱は持参してくる決まりだから、店に木箱は必要ない。

 そうなるとあれは特別な客用だ。そして感謝祭における特別な客と言えば女神をおいて他にいない。

「たぶん捧げ物用だよね……」

 イェルカは物音を立てないようにこっそりと厨房へ忍び込む。

 戸棚の下段に手をかけ、扉を開ける。きぃ、と軋んだ音を立てたときは肝を冷やしたが、二階で高いびきをかく店主は気づくことはなかった。

 少女の荒れた手が木箱の蓋をそっと開ける。やはりお目当ての品はそこにあった。

「トリだ……!」

 翌日の夕刻までに、神殿へと供物が捧げられることになっている。それまで保存するためか、木箱には虫除けや消毒の効果がある香草が詰め込まれていた。

 それでもタレと脂の焦げた香ばしい匂いを、イェルカの嗅覚はしっかりと感じ取っていた。

 思わず生唾を飲み込む。

「ちょっとぐらい食べても、バレないよね……?」

 おそらく木箱を開封するのは神殿の中だろう。それまでに王都から出れば捕まることもない。どうせこの仕事が終われば来年まで王都に用はないのだ。

 千載一遇のチャンスを逃してなるものか。イェルカの目はぎらついていた。


 感謝祭の4日目。最も重要な儀式が催される。

 女神デメテルの降臨だ。

 王都の東にある神殿にはすでに、各地から集まった供物が運び入れられている。大衆食堂”ムヨクカ”から献上されたトリ──大球鳥の丸焼きもその中にはあった。

 日が没すると同時に儀式が始まるため、神殿前の広場は民衆で埋め尽くされていた。

 遠く南の大陸から運ばれたという純白の岩石で作られた神殿は、夕日を受けて荘厳なたたずまいを見せている。

「いつ見てもきれいだなぁ」

 この時間は街から人が消える。”ムヨクカ”もこのときばかりは閑古鳥が鳴く。暇になったイェルカも神殿前広場にやってきていた。

 その姿は最前列にあった。小柄なイェルカは人の間を器用に抜けてこれたのだ。神殿へ続く大階段を神官長が登っていく姿も、ばっちり見ることができた。

 そして太陽が完全に姿を隠し、あたりが薄闇に包まれた。

 儀式の開始を知らせるように、神殿のかがり火が灯る。

 民衆のざわめきが静まっていく。

 神殿の入り口へたどり着いた神官長が振り向き、広場中に届くような大音声を上げた。

「静粛に。これより女神が降臨なさいます。我らへの神託が下されるでしょう」

 皆が天を仰ぐ。

 宵闇が徐々に金色の輝きで塗りつぶされていく。

 果たして現れたのは、女神デメテル。豊穣を形にしたようなふくよかな女体を夜空いっぱいに浮かび上がらせていた。

 風はないはずなのに、御髪がたおやかに揺れ、身を包むローブがはためく。

 誰もが、その神々しい姿に目を奪われていた。

 微笑むその口元がゆっくりと動かされると、妙なる音楽のような神聖なる声が、民たちを優しく包みこむ。


「悪心に負けぬ強き心を持ち、一心に日々の営みを続けるべし。さすれば天地の恵みがもたらされるであろう」


 それだけを宣して、女神の姿は宵闇に溶けていった。

 しばらくの間、広場は静まりかえっていた。やがて降臨の感動から徐々に目覚め、神託や女神について語らいながら三々五々に広場から離れていく。

「何度見てもすごいなぁ。イコー、っていう感じ」

 周囲の大人たちが言っていた言葉を口にする。おそらくは威光のことだろう。その字面は分からなくても、女神を目にしたときに湧き上がってくる気持ちであることは理解できた。

 それからイェルカは”ムヨクカ”に戻り、後片付けに精を出した。

「はい、ご苦労さん。後は私らだけでどうにかなるからもういいよ。こいつが給料だ」

 仕入れた200羽を売り切れる目処がたったようで、店主は上機嫌で銀貨の詰まった革袋を手渡してきた。

 その重みにイェルカの頬が緩む。

「ありがとう、おばさん!」

 こちらも上機嫌で店を出て行く。露店の誘惑を振り切り、ドアに鍵のかかるきちんとした宿で久々のベッドを堪能した。

「はー……」

 横になったものの、激動の4日間を思い返すと眠れなかった。

 特に記憶に残っているのはやはりトリだった。

「やっぱり食べとけばよかったなぁ……」

 盗み食いを結局は踏みとどまったイェルカ。あの後、店主が運び出す前に中身をチェックしていたので、実行していれば露見していた可能性は高い。

 やはり自分に悪事は向かないのだ。そう思うとかえってすっきりした。

「ズルして食べても美味しくないよね。いつかお金の心配がなくなったらにしようっと」


 そして一ヶ月が経った。

 感謝祭での稼ぎの半分は蓄えに回し、残りは保存の利く食料に費やしたため、いつも通りの粗末な食生活に戻っていた。

 今日も日没前に夕食を取ると、さっさと床についた。

 ──と、玄関をノックする音。

「なんなの、もう夜だってのに」

 ぶつぶつと言いながら戸を開ける。

「一体だれ……あれ?」

 開けた先には誰もいなかった。

 イェルカの家は、もとは放置された物置小屋だ。周りには人家も街道もなく、いたずらするような輩がいるはずがない。

 首をひねって家の中に戻るイェルカ。その途端、鼻腔が強烈な芳香で満たされた。

「えっ! こ、これって……!?」

 それは一ヶ月前に嗅いだ忘れようにも忘れられない匂い。

 イェルカは慌ててろうそくに火を点ける。その明かりが照らした先、テーブルの上には湯気を立ち上らせ、脂をきらめかせる大球鳥の丸焼きが鎮座していた。

「な、なんで!? 夢? これって夢じゃないの?!」

 口からはそんな言葉が出るが、本能はこれが現実だと理解していた。

 吸い寄せられるように、足が動く。そして、手が汚れるのも構わず丸々としたトリを押さえつけ、思いきりかぶりついた。

 しあわせな悲鳴があたりに響いたのは言うまでもない。


 その頃、遠く離れた王都の神殿では、祭壇の前で神官長が渋い顔をしていた。

 女神と直接通じることを許された神官長には、女神が大陸のどこで何をしたか察知できる。イェルカのもとにトリを届けたことも知っていた。ガイアン大陸そのものに等しい女神デメテルにとって、距離の概念は意味をなさないのだ。

「不敬ながら申し上げます。女神よ、下界にあまり干渉なされるのは……」

「我が言の葉を守りし子らに報いあれ」

 苦言を遮って、祭壇の間に厳かな声が響く。だが神に仕える身であるからこそ、神官長は引き下がらない。

「いいえ、奇跡は安売りするべきではありませぬ。この一月で十度目の降臨はやりすぎというもの。安易な救済は民を堕落させましょう」

 沈黙が降りる。怒りを買ったかと神官長は身構える。

 ややあって神の声が響く。

「……此度は、女神デメテルは降臨せず」

 神官長が意図をつかみ損ね、目をしばたたく。

「此度は……降臨したのは肉で……、大球鳥が……トリの……」

 あからさまに言いよどむ女神の様子に、長年仕えてきたしもべは勘づいた。

 なにかうまいことを言ってごまかそうとしている、と。

「…………そう、いわばトリの降臨なり」

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