乱世の奸雄③

   久々宮那岐くぐみやなぎ/神奈川



 関東の雄が敗れた。


 三期連続で選手権出場中。センバツベスト4。私立白金が、神奈川県予選の決勝で過去最高2回戦止まりの弱小校に退しりぞけられたのだ。



  横浜銀星|100|000|001|2

   白金 |000|000|000|0



=======


 横浜スタジアムで行われた試合が終わって1時間後。

 銀星の選手たちは現地で解散しそれぞれ帰っていった。

 スタジアムの内野席で観戦していた私は近くのファミレスのボックス席で私服に着替えた正太郎しょうたろう君と合流した。


「あんなことがあったのに応援してくれるんだね」

「? 自分の友達が頑張ってるんだから、応援するに決まってるでしょう?」

 正太郎君は一瞬好意の表情を見せ、それからニヤニヤと笑い、


「『友達』だなんてそんなそんな。俺たちもっとディープな間柄でしょ?」

「そもそも正太郎君のあの一方的な約束を守るつもりなんてないわ」

 全国優勝したら恋人になる云々。

 どうしてどんな理由できっかけで『親友』の関係が『恋人』に変わるというのだ。


「ん、んな……じゃあどうして俺は散々努力して白金を倒したっつぅんだよ……ぜ、全部無駄だったっていうのか?」

「野球好きの正太郎君がチームメイトと力をあわせて手に入れた勝利でしょう!? もっと素直に喜んだら……」

 秋季大会で負けたのがおよそ10ヶ月前。その間正太郎君がろくに休みもとらずあらゆる努力を続けてきたことは知っている。


「ぬぅ……」

「あんなに再戦を望んでいた山村さんを打ってそれで勝ったんだよ。もっと喜ぶのが当たり前でしょ」


「おおっ! 宿敵白金を下しついに全国出場!! 神奈川県で一番のチームになったんだぜ、これはもう約束を果たしたも同然と思われるが……」

「そんなに私と恋人? になりたいの?」


 私なんかと付き合っても面白くないと思うけれど……。カップルっていったいなにをするのが楽しいんだろう(数秒考察)。

「全国におまえと恋人になりたいと思わん男子高校生のほうが少ないと思う」

 私は店内に入っても帽子とサングラスを外さない。映画やドラマで知名度が上がりすぎてしまった。私が私だとバレたら私の前にはあっという間に人が集まってしまうだろう。それくらい私は芸能人として成功している。

 そうか、私を好きな男の人がいっぱいいるのか。

 まだ実感はない。有名になったからといってそれが自分の実力を意味しているとは思えないからだ。

 それはともかく正太郎君の話。


 山村投手からホームランを放った正太郎君。今日の試合だけでもその知名度は高校野球界隈に知れ渡ってしまったことだろう。


 私の考えを読んだみたいに正太郎君はこう言った。

「まだ俺は那岐みたいに名前は売れてない。お前と釣り合ってないことくらいわかってるよ。だから甲子園で勝つことに意味がある……あるよな!」

「だからそんな約束はしてないわよ」


 そんな会話をしていると店内に新しいお客さんがはいってきた。180センチ代後半の大柄な男性。どこか冷たい印象のある顔、どこかで見たことがある顔だ。さきほどまで2万9千もの観客が集まったスタジアムのマウンドで9回を投げきったピッチャーにどうしても似ている。


「愛甲……」

「山村!!」



=======


 まったくの偶然だったそうだ。

 学校に帰って残念会的なイヴェントに参加する気も失せた白金のエースはチームを黙って抜けだし、どこか座って一人で休める場所を探していたそうだ。それがこのファミレスだった。

 私の隣に正太郎君が座り、山村君が真向かいに座った。

 山村君は私のことを知らない様子だった。正太郎君が紹介しても私の名前も知らない。野球一筋で高校生活を送ってきた証拠といえる。


 彼がタッチパネルで注文をしたあと、口を開いたのは正太郎君だった。

「っで?」

「最初は店から出て行こうと思ったよ。人類で一番会いたくねぇ奴がいやがったんだからな」


「いやぁ今日の山村君のボールは打ちごろでしたなぁ。病を押して登板したのかよってくらい楽勝」

 正太郎君はそう言うが、銀星のバッターたちは山村君の投球にそろって苦戦していたのだ。

 この試合横浜銀星に出た安打はたった2本。それで2得点を奪えたのだから効率は良すぎる。

「おまえの口が悪いことは県内の選手ならみんな知ってっから驚かねぇよ。


「俺に話したいことぉ? 相談料は1時間1万な」

「弁護士かよ……」

 ツッコミを入れる山村選手。


「プロに入るんだから契約金で後払いすればいいだろ? こっちは久しぶりに会った恋人と二人っきりでイチャイチャしてたっつぅのに」

 そう私に振る正太郎君。

「ただの友達です」

 そうサラリと言い切ってしまう私。


「いや俺の彼女だよ。そうなる予定だよ。そんな恥ずかしがらなくても」

 私と眼をあわせずに小声でそう言う正太郎君。

 スマホをとりだして山村選手は提案する。

「……絡まれてるなら警察呼ぼうか?」


「はぁ自分に女がいないからって嫉妬かよ山村。恥を知れよ恥を」

「いや彼女ならいるよ。昔から練習見にきてる子に告白されちゃって。野球で忙しいから滅多に会えないけれど」

 わずかに照れながらそう答える山村選手。


「帰れよ敗北者!! おら!! ドリンクバー代くれぇキャンセルできるだろ!!」

「敗北者は正太郎君のほうじゃない?」

 私は指摘してみた。


「だ、だいたいお前が俺の愛を素直に受けとれば……。ああわかった! 言えばいいんだろ言えば!!」

「なにを言うの?」


「俺はおまえのことが好きなの!!」

「れ、恋愛対象ってこと?」


 山村選手の顔に疲れが見え始めた。

 目の前で起こっていることを思えば当然か。正太郎君もなにもこの人の前でこんなこと言わなくてもいいのに……。


 正太郎君は気にせず続ける。

「そうじゃなきゃ高校生活の1年ちょいを野球に捧げたりなんてしなかった。別に勉強なんて今から努力すりゃどこの大学にだって入れっけど」

「それは強者の発言だな。冗談じゃねぇのかよ……」

 これは山村選手。

 正太郎君の実績を思えば本当に合格しかねないのが恐ろしい……。


「おら帰れよ山村!! ここからは俺と那岐の話だ!」

「そんな名前だったんですね。でも俺も話したいことが」


「いいですよ」私は山村選手に言った。「正太郎君はすごく上機嫌みたいですし、話を聞いてくれると思います」

「そうなのか?」


「ああ? どこがだよ」

「顔を見ればわかるわ。不機嫌なフリをして周りをコントロールしようとしても無駄よ」


「……俺は俺に戻ったんだ。パーフェクトな俺に。今さっきな」

 これは正太郎君。彼はナルシストなのだ。

「どういう意味だ」

 これは山村選手。彼はまだ正太郎君のキャラをつかめていない。


「おまえに勝ったから。秋季大会で完敗した白金にリヴェンジを果たした。この一年間、はそれだけだった。なにをやらせても上手くいくこの俺を挫折させたのはおまえだけだ。山村馳夫はせお

「……悪かったな。プライドを傷つけて」


「だが今日とり返した。俺は超完璧な俺に戻ったんだよ。おまえに勝って。勝つためにならなんでもやってきた」

 

 試合終了後の正太郎君の姿、私はきっと生涯忘れることはないだろう。

 白金の最後のバッターを打ち取りマウンドの周囲に集まる銀星の選手たち。

 正太郎君は守備位置のセンターから一歩も動かず、顔を見上げ泣き、吠え、そして震えていた。人目も気にせず感情を表現する。この試合に賭ける想いを放出し、グラブを投げ捨て、子供のように泣き叫ぶ高校生。


 私はそのとき、自分の心臓の音が高鳴っていることに気づいた。この感情にまだ名前はついていない。



=======


 県大会決勝県立横浜銀星高校対私立白金高校。


 1回の表、銀星の攻撃。

 山村投手が先頭打者を見事三球三振に打ち取った、そのあとだった。


 銀星の先制点のきっかけは2番打者がボールをよく見て四球を選べたこと。


 ワンナウト一塁。

 銀星の3番には正太郎君に次ぐ好打者がいる。『副砲』霞城理玖かじょうりく

 大会最高の打率を誇る左打者だ。霞城君が山村投手の投げたアウトコースに外れるボールを超絶なセンスでライト前に運びヒット。

 白金の右翼手ライトは強肩ゆえ一塁ランナーは三塁を狙えない——


 


 右翼手の彼は一塁ベースを蹴りオーヴァーランした霞城選手を見逃さなかった。

 ライトゴロを狙いファーストへ力強い送球する。バッターランナー霞城はその寸前身をひるがえし、

 スライディングで勢いよく一塁ベースに触れる。セーフ。

 白金ナインは気づく。本当の狙いは三塁。

 

 白金の一塁手ファーストは弱肩。彼の遅い送球は間にあわずこれもセーフ! 銀星はワンナウト一、三塁とチャンスをさらに広げる。


 これが正太郎君の『策』。


 大会中シングルヒットを放った霞城君に毎回二塁方向に大きくオーヴァーランさせることで、この右翼手にライトゴロを狙わせる。送球している間に前のランナーに三塁を狙わせる。


 ノーアウト、あるいはワンナウトの状況でランナーが三塁にいれば正太郎君は確実に得点を奪うことができるプランがあった。たとえ相手が山村投手でも。

 その方法とは


 初球でそれを成功させた正太郎君。

 

 打球を処理し一塁に送り、呆然とした顔で正太郎君を見ている山村投手。


 最速のエースと最強のスラッガーによる『ホームランか三振の大勝負』を期待した観客たちはため息をつく。



山村  なんでスクイズなんだ? 秋季大会で俺に三振してあんな悔しがっていただろう? 俺のこと。俺に復讐するために猛練習積してきたんだろ?

正太郎  昔の俺ならホームラン狙い一本だったろうが、今の俺は違う。

山村  なにが違う。

正太郎  チームの投手力を底上げするために俺はピッチャーをやることにした。それで意識が変わった。相手は全国区のエース・山村だぜ? まず確実に一点を奪いたかった。一点入れば楽になる。それを守ればいいんだし。

山村  おまえの考え方が変わったのは——

正太郎  今まで外野手一辺倒だった俺がピッチャーというポジションを覚えたことで野球というスポーツに対する捉え方が変わったんだ。それにおまえとの因縁も利用できた。フェアな男らしい勝負なんてしねぇっつうの。

山村  それでか……。

正太郎  白金ベンチもスクイズを警戒しなかった。結果あっさりと先制に成功。もともと先制逃げ切りがゲームプランだったし。

山村  ……完全におまえらの術中だったわけだ。



 この大会の正太郎君は毎試合3イニングを投げ1人のランナーも出していない。140キロ前後のストレートに。とてもピッチャーに転向して数ヶ月とは思えない技量だ。

 スタミナには問題あるが打たれない限り問題ない。山村投手に匹敵する奪三振率。投げるイニング数は2年生ピッチャー新倉にいくら投手に劣るとはいえ、投球内容では本職の後輩に優っている。


『リリーフエース』


 それがこの大会の投手・愛甲あいこう正太郎につけられた二つ名だったが。


 この試合先発したのは正太郎君だった。

 その理由は。



正太郎 『対戦相手のスコアボードに無条件で3イニングだけゼロを並べられる』としよう。山村ほどの好投手がいる白金を相手にする場合、どの回にゼロを並べるのが正解かっつうと。

山村  1回から3回だったわけだ。

正太郎  そう。せっかく先制点を奪ったわけだし、その価値を最大限に高めるためには俺が先発しゼロを3つ並べるのが正解だった。投手戦にもちこみ4回からは新倉にすべてを託した。俺たちもそのあとは山村打ち崩せんかったし。

山村  たとえ俺が1回表に失点しなくても——

正太郎  投手戦になれば山村相手に一点とる手段があった。まぁ確実とはいえんけれど。



 試合は正太郎君の言ったとおり投手戦となった。

 山村選手は初回以降ノーヒットピッチング、銀星の2番手ピッチャー新倉投手はランナーを毎回のように出すも要所を抑え無失点。


 そして最終——9回表。

 横浜銀星の攻撃。2死ランナーなしから正太郎君は宿願を果たす。

 第2打席は四球、第3打席も四球。警戒された正太郎君は歩かされ続けた。

 だがこの打席はBS——フルカウントからの真ん中の六球目のストレートをフルスイングで捉え、高々とレフト方向へ打ち上げた。

 飛翔体を追いすがる左翼手レフトが、上空を見上げたまま走り、フェンスに勢いよく背中をぶつけ倒れ伏してしまう。

 打球は仰向けに横たわる彼の眼前で、外野スタンドに突き刺さった。

 待望の追加点は銀星の4番のソロホームランだった。


 投げた山村投手は『完全決着』を求めていたのだろう。

 秋季大会とこの試合を含め、自分が実力で正太郎君を仕留めたのはただ一度だけ。この打席こそ私の幼馴染を抑えたかった。その目的は正太郎君のバットによって打ち砕かれてしまったが。


山村  これが高校で最後のピッチングだと思った。最後はおまえと真っ向勝負——

正太郎  甘いな山村。あのホームランがなかったら最終回なにがあったかわかんなかったのによ。

山村  先制されたあとのベンチの指示は『3番の霞城を絶対に抑えろ』だった。あいつに集中しすぎたからおまえは2打席連続でフォアボール。

正太郎  あいつは足もあるからな。なら俺とまともに勝負しないほうを選ぶ……。

山村  俺は最後の打席くらいおまえと戦ってみたかった。

正太郎  おまえはコントロールが悪い。カウントによっては甘い球がくると思ってたんだ。だから待った。あのカウントになればゾーンで勝負するし、しかもボールの威力も1パーセントくらい下がるだろうって。

山村  ……。

正太郎  おまえの最良ベストピッチは誰も打てないよ。俺にとっていい条件がそろったからホームランが打てたの。しかもあと50センチ伸びなかったら入らなかったギリムランだった。

山村  県内で本塁打喰らったのは初めてだよ。

正太郎 『奇襲は二度仕掛けないと意味がない』だったっけ? 最初の奇襲はあのスクイズだった。二度目の奇襲は、。1回裏、スクイズを決めた直後の俺がベンチで監督に激昂しているところ見ただろ?

山村  ああ。そういえばそんなことも……。ま、まさかあれは俺たちを騙すためのフェイクだったっていうのか??!

正太郎  そうだよ。あの監督は野球の経験ない素人だもん。サインなんて送ってない。スクイズは俺の意志でやったプレーだ。『強打者がチャンスでスクイズのサインにキレ監督に怒ってる』なんて嘘だよ。

山村  ……俺はおまえが正々堂々の勝負を望んでいると思った。3打席連続の逃げフォアボールなんて俺のプライドが許さない。だからフルカウントになったら3連続フォアボールを避けるため、ストライクゾーンにボールがいくよう無意識に球威を落とし、真ん中にむかって投げたわけだ。

正太郎  敗北フラグを折れなかったね。

山村  おまえの目的は県大会突破だった。俺との勝負なんて通過点にすぎなかった。

正太郎  どうしても全国制覇しないといけない理由があるもんでね。



  横浜銀星|100|000|001|2

   白金 |000|000|000|0



 私は正太郎君を称賛しなければならない。これまで彼が私に言ったことなど関係ない。

 正太郎君は強い、すごい、素晴らしい。

 野球に夢中になって取り組んでいる彼は……なんていうか魅力的だった。


 私は愛甲正太郎君の才気を再認識することができたわけだ。

 中学時代水泳部に入ったのも、高校生になってから芸能事務所のオーディションを受けたのも、思えば彼のようにすごい人になりたかったからだ。

 一度追い越したと思った正太郎君が追いついてきた。

 全国に行った横浜銀星がどこまで勝ち上がれるか、すごく興味が湧いてきた(現地で観戦するのは難しいと想うけれど……)。



 ——正太郎君が山村選手に問いかける。

「そういや話したいことがあるんだよな、

 山村選手は正太郎君に言い返す。

「あるがよ。勝ったあとにグラウンドで泣きだすようなにんなこと言われたくねぇよ」


 どうやらこの二人、口喧嘩でも互角の実力らしい。




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