第23話

先月の暮れ頃、図書館の近くで誰かの笑い声が聞こえた。

人が笑うことはいいことだと思う。

騒がしいのは苦手だけど、もしここが図書館の中であれば悪いことだけれど。

しかし、ここは外であり、ここで笑うことは何にも悪いことではない。

音の方向を見てみると、そこには。

けたけたと、幸せそうに笑う青柳さんと、芹沢先輩がいた。


二人はあんなふうに、笑うんだ。

知らない一面を、垣間見た気がした。

二人はどんな関係なのだろう、ハイキングの時も、いつだって芹沢先輩は青柳さんに甘かった。

秘密は知りたくなる。

例えそれが、どんなに恐ろしいものであっても。


――――


地域探究部の活動のほとんどは、記事作りだ。

取材など基本的に月に一度、部活も取材の日以外は来るか来ないかを自由に選択することができる。

わたしは家にいてもやることが家事と読書以外ないため、基本的に毎日部室に寄っている。


先輩に仕事を振られたり、先輩にキスをせがまれたり。

パソコンと向き合ったり、先輩と向き合ったり。


「あれ、先輩は?」

そんなことばかりしていると、先輩がいない日というのがなかなか珍しく、不思議な気持ちになるのだ。


「今日は休みじゃない?」

先輩とわたしに次ぐ出席日数上位者である赤城が答える。

「今日は二人だけ?」

「たぶん」

……帰っちゃおうかな。

二人っきりは、なんとなく気まずい。


「今日は先輩から仕事を預かってますよ」

なんてこったい。

そもそも何しに行ったのやら。

諦めて席に座り、バッグから筆箱を取り出した。

今日の仕事は……資料整理?

先輩、もしかしてわたしたちにめんどくさい仕事押し付けたな?


――――


「青柳さん、芹沢先輩とは、どんな関係なの?」

仕事中に息を吐くようにふと放たれたその言葉に、わたしはすぐに反応できなかった。

「えっ、どういう意味?」

先月も同じようなことを聞かれた気がする。

その時はまだ制服にボレロがあって、ここまで蒸し暑くはなかった。

一番上のボタンしか外していなかったし、スカートの丈ももう少し長かった。

それに、ここまで動揺を隠すのが苦手になってなかった気もする。


「この前、図書館で二人が楽しそうにしてるの見ちゃってさ、ごめんね」

……噓だろ?

あれを、見られた?

どこからだ。それ次第ではかなりまずいことになる。


「それを知って、赤城さんは何をしたいの?」

先輩との関係は、薬と同じだ。

心を癒してくれるけれど、誰かに知られれば、毒にもなりうる。

「何って、何もしないよ」

「ただ興味があるだけさ、青柳さんに」

どういう意味だろう。

なんでわたしに興味があるのか。


「なんで、わたしに興味があるの」

怖い、彼の虹彩の先にある心が読めない。

恐怖は喉を伝って、言葉すら震わせる。

自分の虹彩の先には、どんな感情が映っているのだろう。

「だって、あの先輩と仲良くなってるのが不思議でね」

「あの先輩?」

「なんか、他人を遠ざけてるような、そんな雰囲気を感じるから、芹沢先輩に」

先輩が、他人を遠ざける?

つまり、彼は先輩はわたしにだけ心を開いていると思っているらしい。


「変わらないよ、わたしだって、他の人たちと」

半分くらいは、本当の気持ちだ。

先輩がわたしを特別扱いしているのは本当だと思うけれど、先輩がわたしを遠ざけていないというのは否だ。


『私のこと、知ろうとしないで』

その言葉が、遠ざけていることの証拠だ。

このままでいれば、わたしと先輩両方が傷つかずにすむ。そのための言葉。

人間関係には、ちょうどよい距離感というものがある。

それを保つための言葉。


これ以上喋ると、ボロが出そうだ。

さっさと帰ろう。

席を立って、バッグの中に筆箱を放り込む。

「余計なことをしなければ、自然と仲良くなれんじゃない?」

「少なくとも、今の君みたいなことをしなければね」


「面白いね、君は」

扉を閉めようとしたとき、聞こえたその声について訊くことはボロが出そうだからやめておこう。


――――


なんとなく家に帰る気も起きなくて、駅の周りをぶらついていると、不思議な気持ちになる。

数ある高校の中からここを選んだ理由も、そんなものだった。


雰囲気が何となく本来行くはずだった高校に似ていたのだ。

いや、高校の雰囲気というのは正確では無い。

正確には高校の周りの街の雰囲気だ。


本来わたしが通うはずだった高校の近くには大きな池のある公園があった。

最寄駅の側には、川があった。

電車の窓からは、海が見えた。

おそらく、わたしは川が、池が、水が好きなのだろう。


昔、本当に昔に住んでいた家は、海と川の狭間にあって、毎日のように母さんが散歩に連れて行ってくれたのだ。

流れる水の音を聞くと落ち着くのは、そんなことがあったからかもしれない。

だからと言って、耳栓を外す理由にはならないけれど。


バッグの中に無造作に放り込んであるお茶のペットボトルを取り出し、残りを一息に煽る。

薄い緑の美しい液体は喉の疲労と共に身体の内側に流れていって、火照っている身体を冷やす。


故郷よりずっと早く夏が訪れたこの街のスピードに、早く慣れなければならない。

熱中症で死ぬのはごめんだ。

夏が来るのが早いなら、冬が来るのも早いのだろうか。

この街に冬が訪れた時、わたしはどうしているのだろうか。

隣に先輩はいてくれるのだろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る