第21話 扉のその先へ
「唯はそれ、好きだねぇ」
先輩はわたしの手の中にあるお茶のペットボトルを覗き込んで、質問を飛ばす。
「気に入っているんですよ」
飲みかけのペットボトルをちゃぷちゃぷと鳴らし、ラベルを見せつける。
「いつも飲んでる、のんほいパークの時も、東公園の時も、なんなら初めて会った時まで」
「そうですね、いつも飲んでます」
こだわりだった。
なんでかなんて、覚えていない。
ただこの銘柄のお茶が好きで、これ以外のお茶を飲もうとしないだけ。
「これ以外の奴を飲むと、そわそわするんですよ」
「そりゃまた、なんで」
理由なんて、ない。
どうしようのない不安感が襲ってきて、背中を猫じゃらしで撫でられたように感じるというだけ。
何でそう感じるのかなんて言語化することなんてできやしない。
「よくわかりません、自分の語彙力が足りないだけかもしれないし、人間には到底言語化できない高度な次元の感覚なのかも」
「自惚れるなよ、この~」
ぐりぐりと髪の毛を弄ってくる先輩から少し距離を置きつつ、遊びのような反応を返す。
「自惚れてなんて、いませんよ」
「知ってるでしょ、わたしが普通の人とは違うこと」
「じゃあ、聞きたいな、唯の聞いてるものを」
「楽しくないですよ」
自虐的に、笑う。
笑う門には福来るというけれど、こんな笑い方では福は来てくれるのだろうか。
来てくれたなら、嬉しい。
「先輩は飲み物にこだわりはないんですか」
「あんまりないかなぁ」
「好きな飲み物とかは?」
「意識したことないかも、だから、羨ましい」
「羨ましい、ですか」
わたしにそれを言う人は、初めてだ。
正確には、初めてではないが、それは「若くて羨ましい」とか、わたしではなくてもいいものだったのだ。
その初めてが耳だというのは、驚きだった。
「こだわりがあるってことは、自分があるってことだよ」
「自分って?」
「個人の軸っていうのかな、アイデンティティとか、そういうの」
あるのだろうか、わたしに。
「先輩にだって自分があると思いますよ」
「そう?考えたことないかも」
「だって、わたしのこと考えずにキスしたいとか言い出すし」
「意外と頑固だし」
「あの手この手で二人っきりになろうとするし」
「人にとんでもないお願い事をしたりするし」
「身勝手で、頑固で、甘えたがり屋」
口角が上がっていくのがわかる。
自分は、楽しんでいる。
わたしから目をそらして、顔を赤くする先輩を、可愛いと思っている。
「ふふふっ」
「唯⁉なんで笑ってるの‼」
「いや、先輩はかわいいなぁって」
「嫌だって言ったのに、自分はいいの?」
「えろいと可愛いは違いますよ」
「確かに」
先輩と意図せず目があって、それが、何かおかしくて。
わたしは笑った。
先輩も、笑った。
岡崎に来てから、初めて勢いよく笑った気がする。
ふたりで一通り笑いあって、いろんなところを歩いた。
図書館の廊下、図書館に併設された郷土資料館、コンビニ、ジャズだかの音楽関連のコーナー、小学生の習字が壁一面に張られた広場脇。
範囲は極めて狭く、大した負担にもならない。
でも、楽しい。
しかし、そんな時間は長くは続かない。
「唯はこのあと、どうする?」
「スーパーで夕飯の買い出しして、帰ります」
視線の先にあるのは川とは図書館を挟んで逆側にある、言われなければ気づけないほどに周囲のビルやマンションと同化したスーパーマーケット。
入ったことは無いし、気に入ったものがあるかはわからない。
そもそも、夕飯の献立すら決めてない。
でも、少しでも長く、ここにいたい。
家に帰りたくない。
初めてだ、こんな気持ち。
「じゃあ、付き合うよ」
「買い終わったら
先輩は自転車を押しながら、わたしの隣につく。
今晩、先輩は何を食べるんだろう。
何が好きなんだろう。
嫌いな食べ物とか、あったりするのかな。
知りたいと思うけど、多分、今の自分が知る必要のないことだ。
先輩のすべてを知りたいと思う心と、知ってしまいたくないという気持ち。
強いのは、いったいどっちだろう。
先輩の中に、青柳唯はいるのだろうか。
もし、それがあるとするのならば。
それを見てみたい。
自分の心の奥底にある固く閉ざされた扉の先を、わたしは知らない。
その扉の鍵に、先輩がなってくれるというのなら。
その扉を開けてみたい。
結局スーパーで買ったのは小さな唐揚げのパックだけ。
先輩の身体の温もりと、ほんのり残った唐揚げの熱が混ざって、帰りの電車に揺られるわたしは、沈みかけの太陽を抱いているようだった。
――――
「加賀さん、何調べてんの」
「去年のテニス部の茨城県大会」
「青柳のことわかるかなってさ」
知ったところでどうするのかなんてわからない。
どうしようもないけど、考えることが苦手な俺にとって、好奇心を持つということは、大切なことのように思えた。
『不幸な事故だったんだろ、気にすんな』
『出流、お前の分まで、頑張るから』
もしかしたら、青柳も同じなのかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、左手を左膝に乗せて、ページを開く。
そして、そこには。
『駒央中学校3年 萩野 唯』
「「萩野……?」」
二人のつぶやきは、黄昏色の空に溶けていった。
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