第9話

『オレがその星を守る』


 闇の中でそんな言葉を聞いた。只野覧人は、夢中になって暗闇の中から、くすんだ金髪の男を探した。


 生まれたときから彼と常に共に合った。まさに一心同体の存在。その存在が、なぜか今は感じることができない。


 たまらないほど心が寒い。五〇年以上連れ添ったパートナーを亡くしたとしても、これ程の喪失感にはならないだろう。

 覧人は徐々に濃くなる闇をかき分け、我武者羅に走った。走った先に頼りない顔をした男がいるのだと信じて。


「あッ!」


 闇の中の一際濃い闇の中で、彼の背中を見つけた。


 どこに行っていた。おいていかないで。一緒に帰ろう。様々な感情が一気に溢れ、覧人は弾けるように駆けた。そのはずだった。

 夢中で足を動かしている筈なのに、彼はどんどん先を歩いてしまい、こちらを振り返ろうともしない。待って、そう声に出したいはずなのに、言葉が出ない。


 闇の中に消えていく彼の背を見て、直感的に失うと知った恐怖が覧人の喉を震わせた。


「ジョバンニッ!」


 驚くほど大きな声を出して、只野覧人は目を覚ました。


 最初に目に入ったのは、白い蛍光灯だった。自分の家にあるタイプのものではない。病院のものだ、と思い出した頭がゆっくりと働き出し、覧人は自分の置かれた状態を自覚した。


 集中治療室から一般病床に移され二日が過ぎ、両親から泣きながら心配された後、極大の雷を落とされたところである。

 頭を強く打ち付け、足の骨まで折れ意識不明の状態で発見される息子。アパートに放置された無惨に破壊されたパソコン。誰もが事件性を疑うし、警察だって動く。


 しかし目を覚ました被害者の話をよく聞けば、パソコンを壊したのは被害者本人だし、酔っ払って外を出歩いた拍子に足を踏み外したのだと知れば、誰だって人騒がせだと怒るだろう。


「……やっぱり、もうジョバンニはいないんだな」


 意識を取り戻してからずっと見続けている悪夢。魂の片割れが闇の中に消え、覧人が目を覚ますと、本当に消えたのだ、と襲ってくるたまらない喪失感。


 ここ数日は、見舞いに来た両親や事情聴取に来た警察などの対応に追われ、心に空いた穴を悲しむ暇もなかったのだが、落ち着きを取り戻しつつある今は、穏やかな時間が辛い。


 いま覧人が生きていられるのも、ジョバンニが魂を差し出してくれたおかげかもしれない。そんな自責の念があったせいなのか分からない。ベッド脇に置いてあったスマートフォンを手に取ると、思わず『ガールズ&ギャラクシー』について調べていた。


「……?」


 それは一瞬の違和感だった。


 検索エンジンにキーワードを入力し、一番上に出てきた〝公式サイト〟と書かれたページにアクセスしたはずだった。


「男?」


 覧人の目にまず飛び込んできたのは、軍服姿の男性と戦艦をメインにした絵だった。

 次に目立つのが文字化けを起こしているホーム画面だ。


 逡ー蟶ク逋コ逕滉クュ。

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 意味不明な文字の羅列の不気味さに、思わずブラウザバックしようと画面に触ろうとしたその時である。覧人が瞬きした次の瞬間には、アオイを中心としたFMGのパイロットたちのビジュアルが画面に映っていた。


「あれ……?」


 まるで狐につままれたような気分だった。


 頭を強く打ってしまったせいなのか、奇妙な見間違いをしていたらしい。

 アオイの足元にいる子猫型のペットロボット。存在に違和感を感じるが、これも前から彼女が『アンドラス』に持ち込んでいたのだろう。


 包帯の巻かれた頭を一度撫でた後、改めてサイト内のキャラクターの項目へと移る。


 《連邦》軍に《帝国》軍。更に別れた項目には、アオイ、セッテ、メドラウドといった主要なキャラクターたちが順に並んでいる。だが覧人は彼女たちが映された箇所を指ですっ飛ばし、脇役たちが集う一番底の中から、ジョバンニを見つけ出そうとした。


 しかし……。


「どういうことだ?」


 それは思わずついて出た疑問だった。目当ての彼の姿を人物紹介の項目から見つけ出すことができたまでは良かった。


 むしろ、覧人の心に不信の種を蒔いたのは、ジョバンニが紹介されている位置だ。

 彼はアニメのメインを張っているというわけではない。とりわけ優秀だったわけでもなく、主人公たちの活躍に貢献したわけでもない男。そのはずなのに。


「どうしてジョバンニが、主役たちの次に紹介されているんだ?」


 アニメ『ガールズ&ギャラクシー』に登場する主要な人物を除いて、ジョバンニ・シスの名前が、一番上で紹介されているのだ。『アンドラス』の機付長である先任軍曹のリラよりも上の扱いだ。明らかにおかしい。


 何故。その疑問が覧人にジョバンニの人物紹介の項目をタップさせていた。


「……」


 軍帽を被ったグレーの軍服姿の男性。覧人の中にある記憶が確かなら、画面の男が頭に乗せている黒い軍帽は、銀河連邦軍の中でもエリートのみが着用が許された物である。


 顔立ちは確かにジョバンニのように見えるが、それ以上に逞しさが目立つ。無骨な顎髭も相まって、歴戦の古強者といった印象を抱かせる。厚手の生地の上からでも分かる筋肉が、大きな彼の身体を更に巨大に映していた。


「……これじゃあ別人じゃないか」


 覧人の記憶の中にあるジョバンニと比較したらまるで別人だ。アニメということで美化されたり誇張されていたとしても、怪我を負う前に見たアニメの彼とは似ても似つかない。


 覧人の知るジョバンニは、眼鏡をかけた長身痩躯で、筋肉とは縁遠い男だったはずだ。


 頭が混乱している。この人物は、名前が一緒なだけで、覧人が知っているジョバンニとは別人なのだと思ってしまいたかった。その筈なのに、僅かに残っている覧人の冷静な部分が、スマートフォンの画面に映るこの人物が、ジョバンニ・シスであると確信していた。


『オレがその星を守る』


 覧人が足を滑らせ、沈みゆく意識の中で聞いた声のせいだ。


 実に荒唐無稽な話だが、ジョバンニの魂はあの時、アニメの世界に還ったのだ。狂人の妄想のような話だが、覧人はそれが答えなのだと思った。


 何故、怪我をする前に見た彼とは容姿も経歴も違うのか、とか。そもそも何故、覧人が見たはずのアニメと、差が生じているのかなどという話は、端から頭にない。


 ジョバンニは元の世界に還ったあと、英雄を助け出す為に、辛いことを投げ出すこともなく、誰かに責任を押し付けることもせず、最後まで踏みとどまってみせた結果、ついには自分の運命すら書き換えたのだ。


「そうか。別人みたい、じゃなくて、別人になるほど自分を追い込んだのか」


 覧人は深く息を吐いた。ジョバンニという男を知り尽くしているからこそ、彼が抱いた覚悟や必要だった血を吐く程の努力の量、苦悩。それらをありありそ想像できた。

 だからこそ、スマートフォンに映ったジョバンニの人物紹介文を見た時、覧人は本気で理解が出来なかった。


「……は?」


 書かれている文字は日本語だ。ジョバンニが宇宙暦八〇五年時点で三五歳なのも分かる。


 彼が銀河連邦宇宙軍第三方面コロニー要塞『アンテノーラ』第十三独立部隊所属の戦艦『アンドラス』の艦長であることも理解できる。階級が少佐から大佐に昇進していたのは、ジョバンニの努力の賜物なのだろう。


 それはいい。だがアニメ一期終了まで書かれるはずの彼の紹介文が、途中で途切れているのだ。いや正確にはジョバンニが作中内で戦死したことによって、紹介が終わっている。


「なん、で……?」


 スマートフォンに写る無味乾燥の文字には、『アンテノーラ』司令官エライダの凶弾からクロエを庇い倒れたとある。


「あり得ない……」


 ジョバンニが死んだことが、ではない。彼は、彼の信奉する英雄を助ける為に足掻いていたのだ。それ故に英雄を救うため、自らを犠牲にすることもあるだろう。


 だが、これは違う。ジョバンニのする行動ではない。


 彼が少女を救うために、自分の命を差し出した、などと断じて有り得ない。


 ジョバンニの中にあったアルトリウスを想う心は、他の全てを犠牲にしてもいいほど強いものだった。そんな彼が本懐を遂げる前に、自ら死を選ぶような行動を取るわけがない。


 もし本当にジョバンニが、凶弾によって倒れたのならそれは彼が意図していないモノ。少女を庇う気も、意識もしていないのに、庇う行動を〝させられた〟ということになる。


 それは覧人にとって非常に既視感を伴うものだった。


「お前、またアニメに殺されたのか?」


 頭の奥がじくじくと痛む。耳鳴りまでしてきた気がする。


「またアニメのシナリオで死んだのか?」


 思い出すのは、『アンドラス』を囮に使い自分だけ逃げ出そうとして、フェルトの一撃で殺されたアニメのジョバンニの姿。それが【今回】は、少女を庇った、に〝置き換わった〝だけで、途中で死ぬという結末は変わっていない。


 或いは彼が大佐となった【今回】のアニメの内容を見れば、主人公たちが艦長の死に、涙してくれるシーンがあるかもしれない。


 ジョバンニの死を受け、主人公たちはより緊張感と絶望をもって、孤独な宇宙の旅に出るのかもしれない。そこでより強い絆が育まれ、彼女たちはより強くなるのかもしれない。


「くそ、が……。面白くない冗談だ」


 怒りのあまり頭痛が激しくなってきた。身体も酷く重くだるい。耳鳴りが酷い。

 瞼が重い。不意に傾いだ身体。


「あ……」


 思わず手から零れ落ちるスマートフォン。耳鳴りが。

 膝に転がり落ちたスマートフォンの画面に、砂嵐が走った気がした。

 もう殆ど開いていない覧人の目に、ジョバンニの紹介文が蠢いているように見えた。


「お前、まだ、足掻い、て……?」


 不意にそんな言葉がついて出た。

 直感じみたものだが、間違えていない気がする。ジョバンニはまだあの世界でしぶとく足掻いているのだと。だから。


「やっちまえ……」


 そんな言葉を彼方の世界にいるだろう相棒に送り、覧人は意識を手放した。

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