この世界はアニメで出来ている

太井まゆ

プロローグ

第1話

  壁を隔てた先には、真空の静謐と無辺の闇が広がる宇宙だ。

 漆黒のキャンバスに散りばめられた満天の星々の光は、じっと同じ場所で瞬き続けこちらを静かに眺めている。

 まるで静止した闇の世界に、しかし猛獣の唸りにも似た機関音とアラート音が戦艦『アンドラス』の艦内に鳴り響いていた。


 星よりも冷たく鋭い光芒が、稲妻のように宇宙を走り、常闇の世界に鮮烈な青を刻みつけるや、ミサイルの爆発を告げるオレンジ色の火球が膨れて闇に溶けた。

 銀河連邦宇宙軍少佐ジョバンニ・シスは、『アンドラス』の艦橋から見える光景に、思わず息を詰まらせた。コンマミリ秒で収束・発射された荷電粒子砲の青白い光が、彼の立つ艦橋の真横を擦過したからである。

 対ビームコーティングを施した軍用の特殊装甲といっても、型落ちの老朽艦では、戦艦の主砲級のプラズマ砲の直撃など、とても耐えられるものではないからだ。


「ジャミングミサイルの準備は?」

「いつでも撃てますッ!」


 オペレーターの怒声に近い返答とは裏腹に、『アンドラス』の副艦長であるナスターシャ・マイの氷の彫刻を思わせる端正な顔は、平時の雑務を行う時と寸分違わず微動だにしない。


 そんな彼女の凍てついた表情筋とは対照的に白魚のような指先は、滑らかにコンソールを動かし、戦場を映しているディスプレイ・スクリーンの一角に、四つの点と二つの矢印が浮かび上がらせた。青色の四つの点は、同じく青色の矢印を守るように動き、赤い矢印は青にじゃれ付くように動き回っている。


「フレキシブルギア部隊各員に伝達。本艦は、ジャミングミサイル発射から五秒後、散弾ミサイルを所定の位置に向け発射します。各員巻き込まれないよう後退するように」

『好きに言ってくれるッ!』


 オープンになっているレーザー通信から、若い女性の悪態をつく声が艦橋に響いた。

 少女期を終えたばかりの凛とした瑞々しさと若さを持った声だ。


『深紅の大鷲を前に生きる以外のことが出来るか!』

「できなければ我々全員が、この宙域で死ぬことになりますよライトニング001」

『とんだ貧乏くじだッ!』


 通信から聞こえてくるライトニング1の悪態と同時に、艦橋の外の様子を映し出しているメインスクリーンには、星の光の奔流に紛れてプラズマ砲の青やピンク色の光が、流れ星のように広大な宇宙を引き裂きながら消えていった。

 ライトニング1とその仲間たちの決死の戦いの様子が、『アンドラス』の艦橋のスクリーンにリアルタイムで映し出されているのだ。


 実際の宇宙空間であれば、もっと暗く深い虚無のような闇に包まれており、ビーム光ですら視認することは困難を極めただろう。だがスクリーンに映る宇宙は、実景の明るさよりも見やすく強調されたコンピューター・グラフィックスの宇宙で出来ていた。当然ながらミサイルの爆音やビームの発射音なども、『アンドラス』に備え付けられた各カメラから拾ってきた情報をコンピュータが処理して、宇宙を臨場感溢れる音のある世界として提供しているのだ。


「対空防御、弾幕が薄いぞ何をやっている!」


 総計三〇基の近接防御火器が、全長四〇〇メートルに及ぶ『アンドラス』の周辺を守る鎧の役目を果たしている傍らで、敵機よりも長射程であるはずの主砲・副砲のビームの光軸が確認できていない。それを見咎め怒鳴りつけたジョバンニの声に、砲雷長の少女は思わず首をすくませた。


「て、敵機の動きが早く照準が……」

「狙って当たる相手じゃないだろ牽制でいいんだ!撃って撃って撃ちまくれ!」


 ジョバンニの怒声がブリッジに響き渡り、一瞬、戦場の只中にありながら、敵意にも似た鼻白んだ空気が彼の喉元を撫でたが、敢えて無視を決め込んだ。

 ジョバンニ自身その原因を理解している。だが今は砲雷長の面子を潰した事を非難する小娘たちの機嫌伺いなどしている余裕など微塵もないのだ。


 光学センサーで捉えたCGの宇宙を縦横無尽に駆ける人型機動兵器。

 Flexible Mobile Gear。通称『FMG』または『フレキシブルギア』。

 それが人類を恒星間航行を可能にし、亜空間跳躍航行、重力制御、慣性制御などの恩恵を受けた時代において、最も人類を闘争に駆り立て殺害した兵器の名前である。


 現在『アンドラス』の懐に飛び込み、ジョバンニたちを殺害せんとするFMGは一機。

 アスガルズ朝銀河帝国国防軍機甲教導師団司令部直属第六独立特殊兵装部隊『ロト』の部隊長であるフェルト・フォン・タイヒ大佐。かつて難攻不落と呼ばれた連邦軍の要塞を陥落させたことで神童として名を馳せ、戦場では卓越したFMGの操縦技術を持つ《帝国》軍きっての撃墜王である。


 彼女の愛機である最新型の専用機シグルドリーヴァは、操縦者の意図を余さず汲み取り、天使の羽に似たスラスターユニットを閃かせ、その名の由来通り、フェルトへ勝利を齎すため、貴婦人のような靭やかさで宇宙を駆けた。


 それを阻むのは、銀河連邦軍主力量産機である《マスティマ》が四機。

 直線的でスマートなボディーラインが特徴的な《帝国》軍のフレキシブルギアとは対照的に、曲線で構成され、一機で多局面に対応するために多くの装備を搭載させた、ふくよかなラインが《連邦》軍の機体の特徴である。


 多くの《連邦》軍の機体がそうであるように、《マスティマ》にも標準装備されているビームマシンガンを連射し、《シグルドリーヴァ》を母艦に近づけさせまいと牽制を行うライトニング1たち。


『当たれッ!』


 祈りにも似た仲間の声が、通信越しにライトニング1こと、セッテ・テスタロッサ中尉の耳に響く。

 銃身内部の加圧リングで圧縮された高エネルギーが、ビームマシンガンの銃口から迸る。収束率よりも速射性の高さをもって対象を面で制圧する粒子弾だったが、《帝国》軍のエースであるフェルトの前では、まるでその役目を果たしていなかった。


「早すぎるッ!」


 セッテは、愚直に《シグルドリーヴァ》を追う僚機を援護しつつ、不規則に飛翔する《シグルドリーヴァ》を母艦に近づけさせなよう追い払いながら敵の隙きを伺っていた。

 いくら超次元的な機動を駆使する最新鋭の専用機とはいえ、同じサイズのマシーン同士である。技術的特異点となる『ナニカ』でも搭載していない限り、出力や運動性能に三倍、四倍の開きがあるという話でもない。


 《シグルドリーヴァ》の進路を妨げつつ、セッテは友人であるナスターシャに指示されたポイントに向け、《帝国》の撃墜王にこちらの意図を悟られぬよう精神をすり減らしながら、陣形を崩さないよう動きを進めた。


「そこッ!」


 ビームマシンガンから迸る粒子が、僅かに《シグルドリーヴァ》の運動を鈍らせた。四機の《マスティマ》は各々に索敵・攻撃・援護を流動的に行い、敵が見せる僅かな隙きが生じる瞬間を待っていたのだ。

 千載一遇の好機の到来にセッテは、マシンガンをゼロコンマの素早さで単発式に切り替え、ビームの出力を一気に引き上げた。


「沈めェ!」


 《マスティマ》が内蔵する発電ジェネレーターを震わせ、マシンガンの砲口から一条の光が《シグルドリーヴァ》の直撃コースを疾走した。

 宇宙の闇を一文字に引き裂き、滞留する微細物を蒸発させながら敵機に襲いかかったセッテの一撃。


「な!?」

『そんな……マジかよ!』


 しかし《シグルドリーヴァ》は、必中の一撃をまるで予め予知していたかのように、いっそ優雅な、だが常人では慣性制御の効いたコックピットでも即死を免れない殺人的な機動で回避してみせた。


『ば、バケモンがぁ!』

『これが……深紅の大鷲』


 パイロットとしてあまりの格の違いを見せつけられ、思わず漏れ出た弱音。

 《帝国》の撃墜王、フェルト・フォン・タイヒの伝説の一端に触れた者たちは、皆、例外なく肌を粟立たせることになる。

 だが伝説は、少女たちの感傷という心の隙きを見逃すことはしない。


 フットペダルを踏むと《シグルドリーヴァ》の背部に装備された天使の羽を模した大出力のスラスターユニットが火を拭き、一秒とかからず秒速の世界に踏み込んだ。


 自分を押し込めている包囲陣を食い破るため戦乙女は、動きの鈍った一機の《マスティマ》の足元へ獲物を狩るサメのような鋭さで回り込む。

 三六〇度の視野を確保する全天周囲モニターの唯一の死角。

 コックピットの真下に。


『し、しま……っ!』


 標的となったマト・ハナザワ曹長が回避行動を取るよりも早く、紅の戦乙女の青いツインアイが、モニターの向こうからせり上がり、《マスティマ》の腹部を容赦なく蹴り飛ばした。


 二〇トンを超える質量と、速度が駆け合わさった反作用は、《シグルドリーヴァ》を閉じ込めていた鳥籠を壊すには、十分過ぎる破壊力をもたらした。

 金属がぶつかり合う大音響がコックピット内に炸裂し、暴れ狂う空気がフレキシブルギアを構成する中で最も脆い部品であるパイロットに重くのしかかる。


『げぶッ!』


 口から飛び出た吐瀉物が飛び散り、ヘルメット内部を汚した音が、通信越しにもセッテの耳に聞こえてきた。除去装置のお陰で水分はすぐに吸引されるから視界を妨げられることはないが、パイロットスーツの中は、そうもいかない。

 上も下も大惨事に見舞われたが、しかし今はそれを汚いなどと思う発想すら彼女たちにはなかった。


 かなわない。


 力ずくでねじ伏せられ、解らされ、認識させられた。

 血の通わない無人兵器より冷酷で、野生の猛獣よりもずっと獰猛で抜け目のない敵。

 数々の伝説を鮮やかに彩る戦乙女の装甲は、戦傷などあろうはずもなくただ紅く美しい。

 脳の奥に感じる痺れるような感覚は、恐怖にも似たあるいは憧憬だったかもしれない。

 セッテは、もはや戦場で操縦桿を握っているという意識を放棄し死を受け入れかけていた。


 その時である。

 セッテを含め、その場にいるフレキシブルギア全機のレーダーがミサイルの接近を告げ、次の瞬間にはアラート音がコックピット内に鳴り響いた。


「……ッ!」


 その音にセッテは頬を叩かれるような思いで、操縦桿を握りしめフットペダルを踏んだ。

 この音こそ、ナスターシャからの合図に他ならない。


 まるで蜘蛛の子を散らすようにフェルトから一斉に逃げ出す《マスティマ》たち。ミサイルが此方に迫っているのだから退避行動はあたりまえである。だが《シグルドリーヴァ》の反応は、《マスティマ》たちとはむしろ逆のものだった。


 つい先程までの稲妻のような鋭さは見る影もなく、その場から逃げる《マスティマ》の背にライフルの照準を定める様子もどこか緩慢なものに映った。

 迫りくるミサイルに至っては回避運動どころか、一瞥するような素振りすらみせない。


 妨害電波の発達や、レーダーやセンサーを無効化する材質などの出現により索敵装置が戦場での地位を陥落させてから数世紀が経つ。

 今では誘導弾という高性能なシステムよって制御された目標を絶対に外さないミサイルなどという存在は過去の遺物と化している。


 皮肉にも宇宙に進出した人類は、星々を開拓するほどの技術を得てしまったがゆえに、技術のイタチごっこを強いられ、人の目と耳に頼る有視界戦闘、という原始的な戦いをする羽目になったのだった。


 そして有視界戦闘の麒麟児たるFMGが戦争における決定的な打撃力となった時代においてミサイルは、艦隊同士がすれ違うような接近戦闘でもない限り、遠方から放つ火矢ほどの役にしか立たない代物に成り下がっていた。


 ただ広大無辺な宇宙で、十数キロ、数十キロ離れた地点からでも目標へ進んでいく射程は、確かに脅威だし、当たればフレキシブルギア程度の鉄塊など塵一つ残さず蒸発させる破壊力を秘めていることは評価に値する。対艦用の大型ミサイルともなれば、六〇〇メートルを超えるド級母艦すら二発の直撃で沈めることが可能だ。


「しかしそれも当たらなければ意味はない」


 常闇に包まれた黒の世界には似つかわしくない、清涼な凛とした声が宇宙に走る。

 結い上げても柔らかさが見て取れる美しい銀髪が、全天周囲モニターに映る星々に照らされ艷やかに光った。


 薄い革手袋に覆われた細い指先が、《シグルドリーヴァ》に指示を与え、機体の僅かな誤差の修正を行う。中世期の貴族を彷彿とさせる黒を基調とし金の装飾を散りばめた《帝国》の軍服に身を包んだその身体は、パイロットスーツを着ていない。

 戦乙女から必死に逃げる小鳥たちを追う金色の眼差しは、深紅の大鷲の二つ名に相応しく猛禽類のような鋭さであった。


「卿らの勇戦には敬意を評す。が、それもここまでだ」


 《シグルドリーヴァ》のコックピットでフェルト・フォン・タイヒが、聴く者が聞けば血も凍る絶対的な死の宣告を行った。

 その宣告が届いたのか、或いは偶然か。フェルトの標的となった《マスティマ》が、《シグルドリーヴァ》を見下ろしたように見えた。


 圧縮された高エネルギーの粒子が銃口から迸るその直前、白く光るモノアイで《シグルドリーヴァ》を見据える《マスティマ》。その目がギラリと光り、馬鹿め、と嗤っているように感じたのだ。


「……ッッ!」


 フェルトは反射的に操縦桿を動かし、《シグルドリーヴァ》の腰に内蔵されているダミーバルーンを射出した。


 特殊な素材とガスで膨れて出来上がった無数の囮の風船。その姿は、近くで見れば子供だましの玩具に映るが、遠目で見ると一瞬では判断がつかないほど色合いも形も良く出来た作りをしてる。

 内部には熱源と機雷が内蔵されており、熱源センサーなどは無論、遠くからの視認に対してもかなり効果がある。そしてなにより、接近戦に際し機雷が爆発する、という効果が緊急時の牽制の囮役や盾になりうるため、パイロットたちに重宝されていた。


「あの無防備な逃げっぷりは、私の気を逸らす囮か」


 そう一人ごちるとフェルトは、軽くフットペダルを踏み込んだあと《シグルドリーヴァ》の全ての電源を切ってみせた。


 ジェネレーターの火を落とされた戦乙女は眠りにつき、動かぬ鉄塊へと姿を変える。

 モニターも黒く染まり、外の様子を伺う事も出来ないのだが、フェルトにはそれでも外の様子が手に取るように分かった。敵の次の行動を予測した時、むしろ《シグルドリーヴァ》が起動していた状態のほうが、不味いことになる。


 Unknown粒子……通称『U粒子』。


 レーダー等の電子機器を過去の遺物へと変えてしまう一助を担った未だ全容が解明されていない未知の粒子。

 戦闘濃度を遥かに超える超高濃度の『U粒子』が散布された中心点では、電波やレーダーなどの電子機器が無力化されるだけでなく、フレキシブルギアのような戦闘に特化した高級機器のシステムすら誤作動を起こしてしまうのだ。


 一瞬の判断が生死を分ける戦場において、あらぬ挙動をしたりただの案山子となったフレキシブギアなど、格好の獲物である。


 おそらく敵は、まず『U粒子』をたっぷり詰め込んだジャミングミサイルで、フェルトの動きを制限し、その直後に放った第二の矢である散弾ミサイルによる飽和攻撃で、撃破ないし、戦闘不能にまで持ち込みたいと云う腹なのだろう。


 『U粒子』の発見と運用が開始されて以降用いられてきた実に堅実な、悪い言い方をすればカビの生えた古臭い戦法である。


 長く使われている戦法というのは、それだけ有効な成果を上げていると云う証明でもあるが裏を返せば、古いが故に対策や対処などもいくらでも存在している事を意味した。

 その一つがいま現在フェルトが行っている、『U粒子』の直撃を受ける前に、予めダミーバルーンを散弾ミサイルの盾として配置し、FMGの全電力を切っておき『U粒子』の被害から逃れつつ、散弾ミサイルとバルーン内部の機雷がぶつかり引き起こす爆破の炎と衝撃を利用して、『U粒子』が燃やされて散った一瞬を狙い、FMGを再起動させ、ミサイルの爆風に乗り一気に脱出するというエース級実力者のみに許された離れ業である。


「座興が過ぎたな。いや、手痛く噛みつかれた」


 そう自嘲気味に呟き嘆息を吐く。あと数秒後に幾百のミサイルが殺到するというのに、フェルト声は冷静そのものだ。


 彼女の実力を持ってすれば、仕留められるはずだった窮鼠からの一噛みを喰らったなど、撃墜王の名に傷が付きそうなものだが、むしろフェルトは自分の見込みが外れたことを喜んでいるようですらあった。


「あの戦艦、照合データーにはルシファー級とあったが、名はなんというのだろう?」


 まるで恋をする少女の様に、或いは、無二の親友の来訪を待ち焦がれる子供の様にフェルトは静かに呟いた。


 だがそれは、彼女を知るものが聞けば頭を抱える悪癖の発露を意味する声音であった。

 幼少の頃より、常にフェルト・フォン・タイヒは他の者たちより何歩も抜きん出ていた。

 《帝国》軍に入隊し華々しい戦果の数々を上げ、破竹の勢いで階級を上り詰める異例の出世を果たし、誰も彼もが羨望と嫉妬を投げかける立場に立とうとも、フェルトには何の達成感も満足感もないほど、彼女は天才という存在だった。

 才能の限界という壁に悩まされることもなく、ライバルという存在もなく、淡々と己の能力を振るい、任務を全うしていた。


 だからこそ、偶然の積み重ねであれ、〝予想が外れる〟という事象はフェルトの人生において滅多に訪れることのない一大イベントなのである。

 それ故に、フェルトは〝予想外〟の出来事を産んだ相手に執着してしまう癖があった。まるで希少なカードを収集する子供のような癖を。


「うん、次に合う時に尋ねてみよう」


 予期していた散弾ミサイルが爆発する振動が、機体を介しフェルトに伝わってきた。

 同時に《シグルドリーヴァ》を目覚めさせ、メインスラスターが炎を閃かせるや、戦乙女はフェルトですらブラックアウトしかける殺人的な加速で、『U粒子』の沼から脱出を果たしてみせた。


 既に遥か後方となった爆光を背に、《シグルドリーヴァ》は膨大な星々の中から敵の戦艦の姿を見出そうとするが、既にセンサーの圏外へ脱出してしまったらしく探し出すことは叶わない。代わりに遠方で控えさせていた母艦が、此方に近づいてくるのを捉えた。


 ミサイルの爆光を見出して慌てて駆け寄ってきたようで、留守を任せていた副官であるノウト・ササヤマの怒鳴り声が耳朶を打つ。


『…佐!……ですか?……聞こえて……か大佐!』


 ミサイルの爆炎から逃れ宇宙に拡散し始めた『U粒子』の影響のせいで、副官の声がノイズ混じりに聞こえてくる。


「ああ聞こえている。私は無事だ」


 スクリーンにCG加工され映し出された母艦……『メナデル』の輪郭が徐々に大きくなるに連れ、ササヤマの声もはっきりと聞こえてくるようになった。


『貴女は馬鹿ですか!あんな事をして、万が一があったらどうする気です!』

「それはすまなかった。心配をかけた」


 粛々と詫びの言葉を口にするフェルトに、だがササヤマの追撃が止むことはなく、むしろ勢いをますばかりだった。


『誰がパイロットスーツも着ない人間の心配なんてしますか。いいですか大佐!僕が心配していたのは、貴女があの《連邦》の連中を全滅させそうだったってことですよ!』


 そういうとササヤマは、聞き分けのない生徒に対し根気よく説明する教師のような口調で語り始めた。


『そもそも大佐が手心を加えてあの艦を落とさないようにしていたのは、いったいなんのためです。暗礁宙域にある《連邦》の基地へ案内してもらう餌にするためでしょう?』

「ああ、その通りだ大尉」


 厳格な軍の規律に照らすならフェルトの副官でしかないササヤマの態度は、お世辞にも上官に接する軍人のものとはいえないだろう。

 だが副官の不遜を咎めるどころか、フェルトはむしろそれが面白く心地が良いといった風であった。


「《連邦》の新型を破壊、ではなく奪取しろという命令でなければ、こんな面倒もなかったのだがな」


 厄介事の極みだと、煩わしげに結っていた髪を解くと、腰まで届く柔らかなストレートな銀髪がふわりコックピット内に広がった。


「周辺の宙域に【暗黒空洞】があったのも運が悪かった。我々が追い詰めすぎれば、最悪の場合、新型を【暗黒空洞】に投棄されてしまう可能性もあるからな」


 広大無辺な宇宙を一枚の平面の地図にしようとすると、それは宛ら夜の大都市を航空写真で収めたかのような、光の洪水で溢れたものになる。だがその中に、点々とまるで停電した区画のように、星々の営みが存在しない異様な箇所が存在する。

 それが超空洞……ボイドと呼ばれる天体が、ほぼ存在しない空間である。


 宇宙へ拠点を移した人類も最初は【暗黒空洞】もボイドの一種だと思っていたのだが、それが大きな間違いだとすぐに気付かされることになる。


『ええ、光もセンサーの類も一切通さない場所に捨てられては、我々てとしても手詰まりになってしまいますから、場所を特定出来るまで『待つ』という選択肢を取らざるを得ない、ということまで覚えておられていたようで安心しました』


 近づくことすら禁忌であるブラックホールのような漆黒の超重力とは違い【暗黒空洞】は、入れるし出れもする。だが決してその正体を明かすことはない。


 虚無。


 まさしく一切何も存在しない『無』の空間。宇宙という足場にポッカリと口を開き、数多の冒険者を未帰還にさせた常闇の落とし穴が【暗黒空洞】だった。

 そんな場所に目的の物を捨てられてしまっては、如何にフェルトが超人的な天才だったとしてもサルベージなど不可能である。


『では《連邦》の新型の情報を提供してくれた要塞『アンテノーラ』の司令官エライダ・メニンゲン中将殿にパトロール艦を出して頂き、その艦が暗礁宙域へ逃げ込むのを〝待つ〟ことにしたこともお忘れでないですよね?」

「勿論だ。文字通りの秘密基地を直接襲っては、中将殿が疑われる可能性もあるゆえ、一度パトロール艦を襲撃をしてからにして欲しい、というリクエストがあったのも覚えている」

『覚えているじゃないですか!それじゃあなんで危うく敵艦を落としかけたんです!』


 通信越しに鈍い大きな音が聞こえてきた。おそらく拳でコンソールを殴ったのだろう。

「ノウト大尉」

『――はッ!』


 突如、抑揚のない冷めたフェルトの声音にササヤマは、つい先程までのじゃれ合いなど無かったかのように、よく躾けられた猟犬の如く、無駄口を塞ぎ、主の次の言葉を直立不動の姿勢で待った。


 フェルトの母艦である『メナデル』のメインスクーンに映る彼女の剣呑な面持ちに、幹部クルーたちの表情も朗らかな談笑の空気を掻き消し、思わず固くなっている。


「あのパトロール艦だが、厄介な相手になる気がする。次はクラウンとマリガンと共に出撃しようと思う」

『……!?』


 そう話すフェルトの言葉の裏に秘められた意味を知っているササヤマたちは、思わず驚きに目を見開き互いを見やった。


 彼女が、随伴機を連れて出撃するという時は〝予想外〟の取り零しをなくす為に、他人を使う、つまり、部下を頼るぐらいには本気を出すという事を意味するからである。

 パイロットスーツの着用まで行わないところを鑑みるに、一人でも敵に対する対処も勝算も、九割方完成しているが、些事を部下に任せてしまいたい、ということなのだろう。


 全力ではないが、本気を出して牙を剥くに値する相手がいる。

 危うく敵艦を落としかけた理由がササヤマたちもこれで理解できた。


『分かりました。大佐が仰るのであれば、我々も全力でサポートに回らせて頂きます』

「すまん。助かる」

『では一度お戻り頂き《シグルドリーヴァ》の補給と、休憩をお取りください』


 《連邦》の新型を開発している基地がある暗礁宙域まで大凡三時間。それだけの時間があれば《マスティマ》のオーバーホールは無論、フェルトを相手にして消耗しきっているだろうパイロットたちの心身すら回復していることだろう。

 今の技術と人の手が加われば、致命傷でなければ九割は生命が助かる時代である。次に会敵した時も、お互いに過不足無く全力でぶつかり合うことになるはずだ。


 フェルトは、全天周囲モニターのモードを切り替え、実景の宇宙を周囲に投影させた。

 視界を埋め尽くす巨万の星々。だがフェルトの目はその向こう側、暗礁宙域まで逃げているだろう敵艦に注がれていた。

 無言のまま、白い革手袋に覆われた手を宇宙へそっと近づけようとして、やめた。


「ふふ、私もよくよく堪え性のない女のようだ」


 再戦に逸る気持ちを置き去りにするかのように、《シグルドリーヴァ》に加速を促したフェルトは、熟練のパイロットほど感嘆の吐息漏らす卓越した操縦で、『メナデル』への着艦を果たした。

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