高嶺の花には醤油が合う
淡島かりす
あこがれの相手のために
青い空、白い雲、小鳥の囀り。校舎の屋上は昼休みの時間ともあって多くの生徒たちがいた。その片隅で、一人の女子生徒は弁当箱を膝の上に乗せて、中に詰められた白米やミートボールを一つずつ摘んでは口の中に運んでいた。
「ねぇ、聞いたよ」
隣に座った友人が口を開く。手に持った購買で買ったパンの袋がガサリと音を立てた。
「ユキ、また告白されたんだって?」
「誰から聞いたの、そんなこと」
「相変わらず人気だねぇ」
質問には答えずに笑う友人は、染めていない黒髪を耳にかける。高校生ともなれば皆多かれ少なかれ身なりには気を使うものである。ましてこの高校のように校則が緩ければ尚更だった。しかし友人は眉毛を少し整える程度で、あとは冬にリップクリームを塗ることしかしない。制服の着こなしも野暮ったく、まぁそれは校則を守っているだけなので友人の責任ではないのだが、ノーメイクの顔と同じであまりに飾り気がない。
それに対してユキと呼ばれた女子生徒のほうは、簡単に言えば華やかな見た目をしていた。メイクは教師の顰蹙を買わない程度に控えめでありながらこだわりを捨てず、髪は毎日の手入れで綺麗に長く伸ばされ、ピンクブラウンに染めたばかりということもあり陽の光に鮮やかに映えている。
「で、今度は誰だったの?」
「陸上部の曽根」
「へぇ、知らない」
「体育祭で黄組のアンカーだった」
そう言うと友人は「あぁ」と声を明るくした。
「あの男子? OKしたの?」
「してない」
ユキは傍らに置いていた小さな花束を手に取って友人に見せた。学校近くの生花店で三百円で作れるミニブーケ。この学校では告白の時の定番アイテムとして使われることも多い。所謂「高嶺の花」とされる相手に告白する時のために。
「こんなのまで持ってきた」
「うわー、本気だね。これスミレの花だ。可愛いな」
「スミレ好きだよね」
「うん。可愛い花は好き」
「私は嫌い。要る?」
ユキは半ば試すかのようにブーケを相手に向けた。しかし友人は苦笑いして首を左右に振る。
「流石にそれは相手が可哀想じゃない?」
「そうかもね」
「生徒会室に飾っておけば?」
「そうする」
友人とは長い付き合いだった。初めて会ったのは中学二年の夏。部活を引退する先輩に告白したら見事に玉砕し、体育館の裏で落ち込んでいたところを慰められた。それ以来、友情は続いている。周りはユキと友人の見た目があまりに逆なので、友人のことを引き立て役だと思っているようだが、ユキに言わせればとんでもない話だし、友人にしたって鈍いところがあるから、もし誰かにそんなことを言われても首を傾げるだけだろう。
「あ、いけない。部室から教科書持ってこなきゃいけなかったんだ。先いくね」
「そっち次、何の授業?」
「生物〜」
短い会話を交わし、友人は「またね」と手を振って去っていった。残されたユキは空になった弁当箱と、使わなかった醤油パックを暫く見つめていたが、やがて花束を手に取った。
可憐なスミレの花弁をむしり取り、弁当箱の中へと放り込む。紫色は弁当箱の黒の中に沈み込むように馴染み、青々とした匂いを放つ。
「自分で告白出来ないなら、こんなもの買ってくるんじゃねーよ」
思わず口汚く呟く。間抜け面を晒して花束を託してきた男子生徒を思い出したがためだった。
高嶺の花はユキではない。今去って行った友人のほうだった。化粧もしない、オシャレにも無頓着、ブスでもないが美人でもない、そんな友人は昔からよくモテた。ユキが中学時代に告白で玉砕したのもそれが原因である。
友人には人を惹きつける何かがあった。どんな見た目をしていようとも関係ない魅力を持っていた。それがどこから出ているのかはユキにはわからない。あの白い肌なのか、困った時に極端に下がる眉の曲線なのか、長い首なのか、少し太い指なのか。わからないのが魅力なのかもしれない。
友人に直接告白を試みる者はいない。皆、恐らくは畏れ多くて友人の前に立てないのだろう。あるいは振られた時のショックを回避したいのか。彼らは皆、ユキに言伝を頼む。花やハンカチやお菓子などと一緒に。要するにユキら高嶺の花とは違う、ただの話しかけやすい女子生徒に過ぎない。男子生徒たちから見て、引き立て役はユキのほうである。
しかしユキはそのことを侮辱だとは思わなかった。寧ろ、友人に変な男がつかないほうが嬉しかった。初対面のあの日に、自分のために泣いてくれた友人の優しさを、腑抜けた男に渡したくはない。
「私の憧れに近づくんじゃねーよ」
醤油パックの切れ込みに爪を立てて、中身を弁当箱の中にぶちまける。花の香りは醤油の匂いに紛れて死んだ。
高嶺の花には醤油が合う 淡島かりす @karisu_A
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