世界平和は家庭内平和から、らしいです

揺 赤紫

第1話 連れてこられた先は、魔王城

私は滝のような脂汗を背中に感じつつ、目の前の惨劇に立ち会いました。


「待ておもちゃー!」


 大理石の城内で、黒髪を揺らしながら幼児が大人達を追いかけております。

 利発そうなお顔立ちと好奇心旺盛な赤い瞳。真夜中の暗闇で出会えば背筋が凍ってそのまま昇天しそうな美しさです。


 しかし、なんとか現世にとどまりました。何故ならば、その手にお持ちになっている首と目が合ったからです。

 その首と同じ姿の黒ずくめ達は必死の形相で逃げ惑っております。


「またかクソガキィ!」


 隣にいた悪魔が青筋を浮かべんばかりに怒りだしました。

 山羊の頭部と黒い燕尾服をきっちり着込んでいるこの悪魔は誘拐犯です。この者が天馬も真っ青な早業で私を拉致したのです。


 ああ、何故こんな目に遭うのでしょうか。いえ、分かっております。悪魔達にも恩恵をもたらす私の魔法、きっとこのせいで目をつけられたに違いありません。


 神よ、どうかこの者に天罰をお与えくださいませ、でなければこんな力を授けたあなたを呪います。


 膝をつき祈りを捧げていたところ、悪魔が私の襟元を鷲掴みました。


「人間、お前が止めろ」

「むむむ無理ですぅぅう!」

「いいから、やれ」


 私の懇願は無視され、混沌とした一団に放り込まれました。悲しいことに貧弱な身体では悪魔の怪力に太刀打ちできません。


 逃げ遅れた黒ずくめ達はすでに地面に倒れています。まさに死屍累々。


「できま――!?」


 悪魔に抗議しようとしたところで、一歩、また一歩と靴音が背後から近づいてきます。大きく響きますね。鼓膜に刺さって抜けません。


 カタカタと震えながら振り返ると、あどけない顔がありました。無邪気を被った恐怖が語りかけてきます。


「新しいおもちゃ?」


 ああ、このままでは、おもちゃよろしく首をねじ切られてしまう。


 ここでふっ、と故郷で待つ幼馴染みのはにかみ顔が頭に浮かび奮い立ちました。まだ諦めるわけにはいかないのです。

 精一杯の笑顔を作りましょう、ほほがひきつりそうですが。


「いいえ、初めまして。あなたの家庭教師です」


 この場を切り抜けるべく、私は大嘘をつきました。谷間で綱渡りをしている気分です。


 悪魔は無言でお子さまに向かって跪いています。さっきの悪態は鳴りを潜めておりました。もしや、権力者の息子なのでしょうか。自分の疑問を飲み込んでお子さまの反応を待ちます。


「家庭教師? 父上がおっしゃってた者?」


 人生を賭けた演技にお子さまは笑顔で首を傾けました。疑っている様子はなさそうです。

 案外、心根はまっすぐなのかもしれません。


「そ、そうです! 立派な大人になるべく一緒に頑張りましょうね!」

「うん!」


 誰かの訪問予定があったので全力で乗っかりました。このまま順調にいけば誤魔化せそうです。そんな我々に悪魔が面白くなさそうに混ざります。


「このプラヤめも、サタン様の覇道を阻むものを駆逐して差し上げましょう」


 サタン。悪魔の口から出てきた名前に私は体が固まりました。伝承でよく出てくる魔王の名です。

 ここは……つまり魔王の城なんですか!?


 ああ、もうダメです。

 都へ出立したあの日、幼馴染みが『待ってるからね』と手を振った情景が目に浮かびます。あの記憶をよすがにして頑張ってきたのに、ようやく国仕えになって迎えの準備が整ったのに。


 ここで果てるのか……いや、起死回生の一手を探ります!

 全ては私と幼馴染みの幸せのためです!


 現実に意識を戻すと、サタンが興味津々といった態度で私を見上げます。まだ危機は去っていません。


「それで、ぼく何するの?」

「で、では……さっそくお勉強しま」

「え、勉強? 嫌だ!」


 びしゃっ、と首を投げ捨てるサタンは、傍若無人の塊でございます。落雷が赤い空を裂いた音がしますが、それよりもころころと機嫌が変わってついていけません。


 何か、何か妙案を考えねば。無い知恵を絞りだし、私はかつて後輩に教えた経験を思い出しました。

 魔法の訓練は覚える内容が膨大で挫折する者が後を断ちません。その対策としてレクリエーションを取り入れるという手法がありました。


 興味を失いかけているサタンに通じるか。私は生唾を飲みました。


「勉強は机に向かうだけではありません。一緒に遊びましょう」

「え、いいの?」

「そうですねー、サタン様は生き返らせごっこを知っていますか?」


 サタンの顔には「よく分からない」と書いてあります。悪魔からは「アホかこいつ」という視線を浴びせられています。

 ええい、しかしそんなことで止まるわけにはいきません。さっと黒ずくめ達を観察し、助かりそうな者を選別しました。


「やり方はこうです!」


 そして辛うじて息のある一人に回復魔法をかけました。先手必勝です。

 九死に一生を得た彼は涙目でこちらを見ました。悪魔達のしもべに感謝されるのは拒否感がありますが、今は気にしないことにしましす。


「この者は、生き返りました!」

「すごい! なにそれ!」

「次はサタン様の番です、誰か一人、生き返らせてください」


 これで彼が満足してここからいなくなれば万々歳。そう目論んでいた私は後悔しました。


 興奮冷めやらぬ様子でその手を巨大化させ、黒ずくめの一人をこねだしたのです。粘土遊びと勘違いしているその感性に悲鳴を上げかけました。


「やっぱりむり、もう死んでるもん」

「わた、私のように全く同じにしなくてもいいんですよ」


 自分でも無茶な発言をしているのは承知の上です。とにかく、サタンを満足させれば少しは延命出来るはずです。


「んー、違くてもいい……あ! それなら」


 無邪気な笑みで黒ずくめから犬のような生き物を作りました。手足は人の顔が継ぎ接ぎ、首は血まみれ、頭は骨のみの異形。誘拐犯の悪魔が生易しいと思えるほど醜悪です。

 どうにか吐き気を抑えました。もう既に破れかぶれでございます。


「よーし、他のも生き返らせる!」


 手を叩いて喜ぶサタンは同じような工程で神をも恐れぬ化け物を作り続けています。


 最終的には一体のケルベロスもどきが出来上がりました。しかもきちんと動いています。どうやったらあの工程でこうなるのか……理解不能ですが、魔王ならきっと魔物くらい作れるのでしょう。


「どう? うまくできた?」

「は、はい、大変うまくできましたね」

「うん!」


 とっさに褒め言葉を切り返した私こそ褒められるべきかもしれません。

 浮き足立つサタンの様子に少しだけ恐怖は薄れてケルベロスもどきにも笑いかけます。これで穏便に場が収まればと思ったのですが。


 ――その目は本能的な殺意に溢れた魔物そのものでした。


 がばっと開けた口が私に突進してきます。悲鳴を上げる間もありません。ヨダレと生臭さが体を包み込みました。


 これまで、か。

 諸々のおぞましい音に囲まれ、薄れゆく意識の中で私は思いました。


 故郷に骨くらいは返してください。そして神よ、やはりあなたを呪います。



   ◆◇◆



「これが生き返らせごっこ上級編だ!」

「父上すごい!」


 私は死後の世界にいるのでしょうか?

 いえ、それにしては悪夢の続きに聞こえるのですが。サタンとバリトンボイスの美声が響いてまぶたを開けました。


「お、目が覚めたか!」


 バリトンボイスが近くに聞こえます。視界がぼやけていて不鮮明ですが、何者かが私を見下ろしているようです。

 その者に手を貸してもらいながら立ち上がります。さっきの痛みは全くありません。


 これは……あの状態から助かったのでしょうか。いえ、さっきまでのが幻?

 頭が混乱しているところで、バリトンボイスの者が小声で語りかけてきました。


「すまん、俺、蘇生魔法は得意じゃないんだ」

「へ? 蘇生?」

「あー、でも都合がいいからしばらくこのままにしとくか。世界平和の為に我慢してくれ、頼むから、な?」


 背中を叩かれた瞬間、私は「ゴフッ」という音と共にぷりぷりの肉塊とご対面しました。

 ああ、ドクドクと脈打っているものは見たことがありますが、冷えて固まっているのは初めてです。こうも赤黒くなるんで――


「なんじゃこりゃー!」

「あ、悪りぃ。元の位置にはめ忘れてたわ」


 現実逃避しようとしましたが無理でした。

 どうやら私はアンデットにされてしまったようです。

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