番外 西風と夫婦喧嘩は夕限り
第27話
どんなに仲が良くても、愛し合っていても。まったく同じ人間がいない以上、ちょっとしたすれ違いや仲違いは起こるものだ。
出来ることなら、喧嘩などしたくない。そう思ってはいても、起きるものは起きる。夫婦とはいえ、もとは他人同士。違う家で、それぞれの家族と暮らし、親に育てられたわけだから、考え方や価値観、好き嫌い…細かいことを言い出したらきりがないほど、喧嘩のきっかけになる事柄は転がっている。
そう。それは、俺達だって、違わない。
<font color="#4682b4">「だから、そういうことじゃないって言っているだろう?」</font>
努めて、冷静に。声を荒げたりしないように気を遣いながら、俺は再度言う。
だが、直ぐ様、鈴の眉間に皺が寄って、思わずため息が出てしまった。これがいけなかった。鈴の目が途端に険しくなる。
<font color="#cd5c5c">「……もう、いい」</font>
ぷいと顔を背けた勢いのまま背中を向けて、鈴はその場を去っていく。
一瞬、引き留めようかと思い……やめる。少し時間をおいた方がいい。
<font color="#4682b4">「ハァ…」</font>
肺にある空気を出しきるように、息を吐き出す。
俺も頑固だが、鈴も相当に頑固だ。それはもうよくわかっているはずなのに、お互いにうまく受け流せないということは特に珍しいことではない。夫婦になってから、何度もあったことだし、いい加減、慣れるなり、上手く対処出来るようになってもいいのにな。まったく、上手く出来ていない。
喧嘩をしないで済むなら、それに越したことはないが……そうだからと言って、言いたいことも言えないような間柄になってしまうのは望ましくない。二人の間で、夫婦喧嘩にならない為にはどうすればいいか…なんてことも、話し合ったことがあるが、喧嘩をしないでいるというのは、やはり無理な話だと思う。
<font color="#4682b4">「……うまくいかないな」</font>
今回の喧嘩の理由も、ちょっとしたことだ。お互いがお互いを気遣うあまりに起きてしまった、すれ違い。
鈴は体が丈夫とは言えない。けれど、人一倍頑張り屋だ。家のことは、奉公人に任せればいいと言ってあっても、自分が出来ることは自分でしたいと言う。娘の琴が生まれて間もない頃から、ずっとそうだった。
鈴が真面目で一生懸命なのは知っているし、働き者なのが悪いわけではないのだが、少々頑張りすぎてしまう所がある。
それを心配すると、過保護だとたしなめられてしまうわけだが、これは……仕方ないのだ。愛する者を気にかけずにいることなど、出来はしないのだから。
愛しい気持ちが深くなるほどに、心配になってしまうものなのだから。
鈴の言いたいことはわかっている。何も出来ない子供のように扱われたくない…のだというのはよくわかっている。
それでも、どうしようもなく心配になる。家族との縁が薄いのか、俺の両親は早世してしまった。鈴と琴は、自分がようやく作ることが出来た家族だ。鈴まで失うのは耐えられない。
この屋敷を、二人の子供の笑い声が絶えない、賑やかな家にするのが、俺の夢。目標なのだ。その夢は、鈴がいなくては実現出来ない。子供がたくさんいても、鈴がいなければ……望む幸せを満足には描けない。
だから……心配になる。絶対に失いたくないから、万が一にもその危険に近付かせたくないから、つい口煩くなってしまう。何よりも怖いのだ。鈴がいなくなることが。
夕方。鈴が食事の支度をしている台所に顔を出す。
まだ怒っているのか、鈴は俺の顔を見ると、つんとそっぽを向いて、大袈裟なくらい忙しそうに働き出した。
<font color="#4682b4">「鈴……」</font>
愛する者に、そっぽを向かれるのは堪える。胸の痛みに耐えながら、俺は鈴に近づいて、強情で頑なな背中に声をかけた。
<font color="#4682b4">「鈴の気持ちはわかっている。俺が、心配しすぎだというのもわかっている。けれど、心配なんだ。心配せずにはいられない。鈴を失いたくないから…、絶対に失いたくないから口煩くなって、お前には鬱陶しく思われてしまうのだろうが……」</font>
気を利かせた使用人達が台所から出て行くと、俺は鈴の細い背中を抱きしめた。
抱きしめると、よりいっそう、保護欲を刺激される。鈴はこんなにも華奢なのだとしみじみ実感して。
<font color="#cd5c5c">「……彦佐。私だってわかってる。あなたが心配性なのは、お母様が病気がちだったから…仕方ないって。だけど……、私は籠の鳥のように大切にされたいとは思わないの。知っていると思うけど」</font>
<font color="#4682b4">「知っている。鈴の考えはわかってるよ。それでも……怖いんだ。鈴を失いたくない。絶対に失いたくないんだ…。そんなこと、耐えられない!」</font>
ぎゅうとか細い体を抱きしめる。すがりつくように、夢中で。
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