弐 かすがい
第4話
彼女が異変に気付いたのは、彦佐の元で暮らすようになって、二ヶ月が過ぎた頃だった。
身体が慢性的にだるく、疲れやすくなった。熱っぽい。気分が悪くなり、めまいに襲われることが度々ある。
彦佐も、鈴の体調がよくないのに気付き始めていた。
ぎすぎすした二人の雰囲気は相変わらずで、鈴は前にも増して頑なだったし、彦佐も苛立ちを隠しもしない。
二人の関係は“許婚”という形で彦佐が公にしたので、村人たちは好意的に受け止めているが、実際は違う。
許婚どころか、友人ですらない。口を開けば、言い争いになるので、最近は、夜以外は顔を合わせないようにし、話す機会も意識的に避けてもいた。
だが、鈴の体調の悪さに、彦佐も黙っているわけにはいかなくなった。
最初は、何気なく身体を出来るだけ休ませるように言ったり、医者に診てもらうように促したりしていたが、鈴は取り合わない。
彦佐が言えば言うほど、無理をする。
鈴としては、彦佐に迷惑をかけるわけにはいかないという意地もあったし、彼に優しくされると心が乱れるのが嫌だった。
しかし、ある日。庭で鈴は気を失い、不本意ながら、医者に診てもらうことになった。
「おめでたですね」
医者の言葉に二人は驚き、唖然とした。
が、この二ヶ月のことを思い返せば、否定しようにも否定出来ない。
ほぼ毎日、彦佐は鈴を求めたのだから。
子供が出来た。
その事実は、二人には大きな衝撃だった。予定には、もちろんなかった。
今まで、彦佐も鈴も自分を守ることで精一杯で、当然の結果に思い至る余裕はなかった。
<font color="#4682b4">「……すまない」</font>
彦佐は、身篭ったことに茫然としている鈴に、心から詫びた。
鈴は、彦佐に抱かれるまで経験がなかった。
こうなることを予想し、避ける努力をするなり、結果が出る前にきちんと話し合うなりしなくてはいけなかったのに、彦佐はそれに思い至らなかった。
当初は、鈴を抱くつもりはなかった。
彼女が欲しくなかったわけではもちろんなく、きちんとした信頼関係を結んだ上で、鈴の気持ちが自分に向くようになってからなら、その選択肢も生まれるだろうとは思っていたが、二人の間には信頼関係を結べる余地はなく、今後のことなど話せる機会もなかった。
今まで、その手のことには抜かりなくやってきた彦佐も、鈴が相手では本能的な欲求には勝てなかったのかもしれない。
彼女の中に芽生えた我が子の存在は当惑と驚愕に混じり、彦佐の心に確かに喜びをもたらしたのだから。
鈴が欲しい。
その想いが、彦佐の避妊への用心深さを奪い、忘れさせた。
愛する女の胎内に、己の子種を注ぎ込みたいという、雄としての本能的な欲求。
それしか、彼の心を満たす要素はなく、彼はそれに無意識に従った。
その結果、彼の本能的な望みは叶ったのだ。
ただ、鈴がそれを望んではいなかったこともわかっていた。
嫌いな男の子供を産みたい女などいない。
鈴は自分を今まで以上に憎むだろう。我が子すら憎むかもしれない。
……だが、自分はこれまで以上に鈴を愛し、子供も愛していこう。
たとえ、永遠に報われなくても……。
彦佐は、強く心に決めた。
茫然としていた鈴が、我に返った後に取り乱すのでは……と心配した彦佐は、出来るだけ優しく彼女に言った。
<font color="#4682b4">「……鈴。俺は、子供にはきちんとした家庭を与えてやりたい。おまえには不本意かもしれないし、義務以上のことをさせることになるのかもしれないが……産んでくれないか?俺の子を」</font>
ハッと鈴が彦佐を見る。いつもの冷ややかな瞳ではなく、不安と当惑に揺れた瞳で。
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