彼女は、目を覚まさない

倉田くら

彼女は、目を覚まさない

その時、僕は魔法が発現したばかりの十歳だった。


場所は図書館の魔法歴史全書のとあるページ。

そこに挿絵付きで記載されている人物にどうしようもなく心惹かれた。


碧い瞳、銀色の長い髪、陶器のような滑らかな肌、穏やかなその表情。

彼女自身が開発した魔法による「自動筆記」によって描かれた姿は、生きている人間そのままを写し取ったように美しい。


「……八歳で魔法を発現、十二歳で現存する魔法理論をすべて理解、十四才で新たな魔法を発見・論文の発表」


そこから先は、彼女が生涯で発表した論文の一覧が並んでいる。

既存の魔法の増幅、効率化、それに加えて全く新しい理論の確立。

今では当たり前に使用されているほとんどの魔法に彼女が関わっているといっても過言ではない。

近代魔法の母と呼ばれているのはその為だ。


そして、論文一覧の最後の行にあったものが「不老不死の原理とその実現可能性について」というものだった。

発表時、彼女は二十六歳だった。


論文が発表されたのは三百年前。

彼女は、今も国際魔法院の地下で眠っている。

死んでいるのではない、眠っているのだ。

老いることなく、腐ることもなく、挿絵にある通りの美しい姿で。

それは国際機関できちんと証明されているし、世界中の人が知っていることだった。


残念ながら、彼女が発表した論文に不老不死を実現する明確な方法論までは記載がない。

研究はまだ不完全で、彼女は実験中に眠ってしまい現状の状態に陥っているというのが通説だ。


その時、僕は、自分は彼女を起こすために存在するのだと思った。

わかった、とも言えるし、理解した、とも言える。

脳天に稲妻が落ちたように、唐突に目の前の雲が晴れたかのようにそう思った。

つまりのところ、そう信じて疑わなかった。

そして、彼女と同じ年になるまでに、きっと彼女を起こしてみせるのだと心に決めた。


その後、僕は十八歳で魔法院の定める全過程を修了。学術論文を提出して魔法院に入ることを認められたのは二十五歳の時だった。


初めて対面した彼女は、挿絵の通りに美しく、安らかな表情で眠っていた。

思い描いていたそっくりそのままで、挿絵がいかに正しかったのかを思い知った。


それからは彼女の論文を参考にし、体の時間経過を止める術式の研究に励んだ。

三百年前の論文だが、彼女の思慮深さと頭の回転の速さが伺える。

読み返すほどに新たな発見をもたらし、そして更に彼女に惹きつけられていく。


気付けば成果はないままに三十歳を超えていた。

彼女の年齢は超えてしまったが、諦めるつもりもなかった。

幸運なことに、失敗の副産物として生まれた成果である程度の収入を得ることにも成功した。

しかし、本来の目的は果たされる見込みも見えてこない。

ネズミも、コウモリも、カラスもフクロウも犬も猫も、すべてで試したが、そのすべてが等しく老いた。

なんなら自分自身でも試した、結果はすぐにはわからないが。


五十を超え、六十も過ぎた。

やはり、正しく老いてゆく。

髪は白くなり、肌は深い皺を刻む。

ただひたすらに実験は失敗の連続だった。


何度も挿絵を見た。

何度も魔法院の地下へと足を運んだ。

彼女は相変わらず美しい横顔で眠っている。

その度に、起こすのは自分だと心に刻んだ。


七十歳を過ぎた頃、国から勲章を受けることとなった。

新世代魔法学の父などと呼ばれ、持て囃された。

僕は受け取った勲章を持って彼女に会いに行った。

何度も通った道のり、慣れた階段、いつもの定位置に立ち、彼女の横顔を見る。

浮かれた気分でこの場所に立てたのは、果たしていつ頃までだっただろう。

誇らしさなどない。一筋流れた涙は、悔しさと情けなさの結晶だった。


彼女は、変わらず眠っている。


僕は起こすことは出来ていない。

しかし、僕以外も起こすことは出来ていない。

それが、それだけが、ただひとつの救いだった。





「魔法院が子供の見学を受け入れるなんて、時代だなぁ」

「ま、天下の魔法院様も、優秀な魔法学者志望が増えてくれないと困りますからね」

 壮年の男性と中年の女性。魔法院の職員である二人の視線の先には、まだ十にもならない子供たちが、教師に連れられてゾロゾロと見学通路を進んでいる。

 炎を纏った剣、雷鎚を閉じ込めた杖、決して溶けることのない氷の盾。

 子供たちはその展示物の一つ一つにワアワアと歓声を上げている。

「ま、子供ってのはみんなそういうもんが好きだからなぁ」

「……さ、そろそろこっちに来ますよ。ケース拭き上げて退散しましょ」

「はいはい」

 二人はそれぞれ、目の前のガラスケースを埃ひとつ残さないように拭き上げ、ロープを潜って展示エリアから退出した。


 ガラスケースの一つには若い女性が、もう一つの中には年老いた男性が眠っている。


「さぁ! みんな聞いて! そう、静かに! この人達が、今使われている魔法を発明したり、便利に改良してくれたりしたのよ」

 教師が子供たちに向けてそう説明した。

「……寝てるの?」

 一番前にいた少女が、教師にそう問う。

「いいえ、これは、えー……お人形、のように見えるもの、かしら。魔法でとても精巧に作られたお人形。魔法構成物質で出来ているから正確には存在していないのだけれど、見えるし触れるから、まあお人形ね。左のケースの彼女が作り上げた『具現魔法』で、本物そっくりに作られたものなの」

 子供たちがざわめく。


「随分と長い間、本物と見分けがつかなくて、眠っているのだと思われていたみたいだけれどね」

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彼女は、目を覚まさない 倉田くら @kura-kurata

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