巻き髪メデューサ、夜職デビューする
三坂鳴
初めてのキャバクラ勤め
夜の街がきらめき始める頃、メデューサ娘のゴーゴンは細身のサングラスをそっと外して額にのせた。
暗がりに浮かぶネオンの光が、一瞬だけ彼女の瞳を照らす。
けれどその輝きに触れたら最後、相手は石になってしまうかもしれない。
だからこそゴーゴンはふだん、人前では絶対にサングラスを外さない。
「今日はいよいよキャバクラの面接なんだよね。……正直、ちょっと怖いかも」
スマホ越しに友人の人魚娘、マリの声が弾む。
「大丈夫。あそこのお店、いろんな子が働いてるんだよ。
ゴーゴンの蛇髪も、みんなびっくりしないって。
しかもママがむちゃくちゃ太っ腹で、サングラスだろうと何だろうと自由らしいから」
「そっか…ほんとに大丈夫かな。私、目が合ったら石にしちゃうからさ…」
「あ、そこはサングラスで防御すればいいだけでしょう。
それに今どき、伊達メガネやサングラスのオシャレな子だっているじゃない」
ゴーゴンはスマホを握ったまま、軽くため息をつく。
これまで普通に街を歩くのさえ苦労してきた。
蛇の髪を無理やり押さえ込んでも、彼女の瞳を見れば人は恐怖に震え、そのまま石化してしまう危険がある。
それを考えれば、夜の世界で働くなど夢のまた夢だと思っていた。
けれどマリに背中を押されて、今こうして夜の闇を歩いている。
面接の場所は繁華街にそびえるビルの一角だった。
扉を開けると、妖艶な照明と香りに包まれた空間が広がる。
ゴーゴンはサングラスを微調整しながら、店のママらしき女性を探した。
「いらっしゃい。今日面接のゴーゴンちゃん?」
すらりとした体躯に白いスーツをまとったママが、柔和な笑みを向ける。
「はい…あの、私、サングラスなしではちょっと…」
「ううん、いいわよ。
理由も聞いてるし、別に構わないわ。
それより、その髪…本物なの? すごく珍しいわね」
「ええ。実は蛇で…それに、瞳を見られると相手が…」
「なるほど、そういうこと。
大丈夫、大丈夫。
お客様にも配慮は必要かもしれないけど、逆にそれがあなたの魅力になると思うわ」
その言葉にゴーゴンはほっと胸をなで下ろす。
初めて会う相手から受け入れられたことが、どこか信じられない。
緊張しながらも言葉を絞り出す。
「もし、私が働けるなら…夜のお仕事を通じて、もっと人と関わりたいんです。
それまでは怖くて…普通に接することも難しくて…」
ママはうなずきながらゴーゴンの肩に手を置いた。
「わかるわ。誰だって最初は不安よ。
でも、私の店には吸血鬼や妖精、猫耳の子だっているの。
あなただけが特別じゃない。
ただみんな、自分の個性を武器にして輝いてる。
そういう場所だから、安心してちょうだい」
ゴーゴンの胸に小さな希望の火が灯る。
それでもまだ、石化の危険を考えれば不安は拭えない。
しかしママの言う通り、ここなら新しい何かが見つかるかもしれないと思った。
そして数日後、ゴーゴンは夜の街を彩るキャバ嬢として、初めてのシフトに臨んだ。
黒のロングドレスに身を包み、蛇髪は軽くカールをつけるようにスタイリング。
最大の特徴である瞳は、フレームの太いサングラスで隠している。
接客の時は一瞬だけサングラスを下げる場面もあるかもしれないが、その瞬間は細心の注意が必要だ。
「よし、頑張ろう。みんなと同じようにお客様をお迎えして、楽しい時間を過ごせるように」
鏡の前でつぶやく彼女に、ドレスの裾から一匹の蛇がひょいと顔を出してくる。
「こら、今出てきたら困るよ。落ち着いて」
蛇はくねるようにうなずくと、再び髪の中へと戻った。
そんな微笑ましいやり取りさえ、ゴーゴンにとっては緊張を和らげる大事な瞬間だった。
照明の落ちた店内。
最初のお客様の席に呼ばれたゴーゴンは、少しだけ声を震わせながら近づいた。
「こんばんは。私、ゴーゴンっていいます。
初めてなんですけど、よろしくお願いします」
相手の男は興味津々といった様子で、彼女のサングラスに視線を注ぐ。
「へえ、サングラスがトレードマークなの?」
「えっと…まあ、そんな感じです。理由があって…外せなくて…」
「そっか。でもかえってミステリアスで素敵だよ。
それに髪も…すごい巻き具合だね」
ゴーゴンは蛇たちが暴れないように、そっと頭を押さえる。
「これも一応…天然のカールなんです。ちょっと特殊なんですけど」
「いいじゃない。
あまりないスタイルで面白いよ。
君だけの魅力って感じ」
彼の明るい笑顔につられて、ゴーゴンは思わず唇の端をほころばせる。
サングラスの奥で瞳が微笑んでいることを、自分だけが知っている。
しかし問題は、この先だった。
もし相手が強引にサングラスを外そうとしたら。
あるいはうっかり外れてしまったら。
石化の危険をどうしても頭から消せない。
その不安が表情に出てしまったのか、男がグラスを傾けながら小さく首をかしげる。
「なんだか緊張してるみたいだね。初日だからかな?」
「はい…そうなんです。いろいろ不安で…」
「あはは、それなら気にしなくていいさ。
せっかくだから、リラックスして飲もうよ」
そう言って彼は優しい笑みを浮かべる。
その表情を見た瞬間、ゴーゴンの胸に熱いものがこみ上げた。
彼女はたまらなくなって、少しだけサングラスをずらす。
相手の瞳をじかに見ることはできない。
でも、ほんの僅かでも触れ合って確かめたかった。
「ありがとうございます。私…頑張りますね」
「おう、応援してるよ」
何事もなく接客を終え、控室に戻ると、そこにはママが待っていた。
「どう? 初日のお客様は優しかった?」
「はい。想像してたよりずっと親切で、安心しちゃいました」
「そりゃあよかった。
でも、サングラスは絶対に外さないこと。
あなたが安心して働けるよう、周りにもしっかり根回ししておくからね」
ママのその言葉は、ゴーゴンにとって大きな支えだった。
さらに数日が経ち、ゴーゴンは店内でも少しずつ打ち解け始める。
サングラス姿というだけでなく、蛇たちが動くさまを面白がって話しかけてくれるお客様も増えた。
もちろん、怖がる人もいないわけではない。
しかし、ママや他のキャストのフォローのおかげで、大きなトラブルは起きていない。
そんなある晩、ゴーゴンは客席で同僚の吸血鬼キャストと一緒になった。
「ゴーゴンちゃん、けっこう慣れてきたみたいだね。ヘアスタイルも前より華やかになったし」
「ありがとうございます。
最初はいつ暴れ出すか気が気じゃなかったんですけど、蛇たちも最近は大人しくて」
「へえ、いいことじゃん。ところで、そのサングラスってどこで買ったの?」
「これは…普通のお店で見つけたんです。
UVカットがしっかりしてて、レンズも濃いから安心で」
「ふふ。やっぱり重要だもんね」
そう言われて、ゴーゴンは思わず笑みをこぼす。
かつては「これがないと生きていけない」という重い鎖のように感じていたサングラスが、今は自分のアイデンティティになりつつある。
“サングラスの似合うキャバ嬢”というだけである種のブランドのように扱われ、指名も増えてきた。
ゴーゴンは心のどこかで「これでいいんだ」と思えるようになってきたのだ。
仕事を終え、夜風に吹かれながらビルの外へ出る。
ネオンがきらきらと瞬く世界の中で、ゴーゴンはサングラスを少しだけ持ち上げる。
月光を浴びる瞳は人を石化させる力を秘めている。
だが、その力を怖れながらもママやお客様が温かいまなざしを向けてくれる店がある。
この街に来るまでずっと孤独だった自分を、受け入れてくれる居場所をようやく見つけた。
「やっぱり、挑戦してよかったな…」
蛇髪の一匹がささやくように身動ぎし、ゴーゴンの額の近くをくすぐる。
「ふふ、そうだよね。私たち、これからもっと頑張ろう」
誰に聞かせるでもなくつぶやく声は、夜のざわめきの中へと溶けていく。
その数日後、ゴーゴンは店で初めて「お気に入りのお客さん」という存在に出会った。
いつも通りサングラスをかけ、巻き髪の蛇たちを落ち着かせながら接客をこなしていたある夜。
ママがこっそり耳打ちするように話しかけてきた。
「今日来てるお客様、少し変わった方らしいの。
なんでも、珍しいものを見たり聞いたりするのが好きなんですって。
あなたの蛇髪に興味を持つかもしれないから、案内してみない?」
言われるままにゴーゴンがテーブルに向かうと、そこには端正な顔立ちの青年が静かに腰かけていた。
一見、どこにでもいそうな落ち着いた雰囲気をまとっている。
だがその目には、どこか冒険心というか、探究心のような光が宿っていた。
「こんばんは。私、ゴーゴンっていいます。
サングラスで失礼しますけど…大丈夫でしょうか」
青年は一瞬だけ彼女の頭に目を向けてから、微笑んだ。
「こんばんは。噂は聞いてるよ。
蛇の髪を持つメデューサのキャストがいるってね」
「そうなんです…それで、目を見られると相手を石化させてしまう恐れがあるので…」
「なるほど。だからサングラスか。
すごく興味深いね。
初めまして、俺はシオン。
変わったものが大好きなんだ。
きみみたいに特別な力を持ってる人に会えるなんて、今日は運がいいな」
彼の言葉にゴーゴンは小さく笑みを返す。
これまで客の多くは、蛇髪やサングラスを面白がるか、あるいは遠巻きに見るだけだった。
けれど彼の瞳には、単なる興味だけでなく、まるで宝物を発見したかのような純粋な歓びが浮かんでいた。
その夜は特別に盛り上がったわけではなかったが、シオンは何度も「もっと話したい」と言ってくれた。
ゴーゴンの生い立ちや、蛇髪の扱いに苦労してきたことを少しだけ話すと、彼は真剣に耳を傾けてくれる。
「そうか。それじゃあ、ずっと隠れるように生きてきたんだね」
「はい。だから、こうしてキャバクラで働くのも勇気が要りました」
「でも、きみがここにいてくれてよかったよ。会えて嬉しい」
何気ない言葉に胸が高鳴った。
ゴーゴンは思わずサングラスの奥で目を伏せる。
もし今、ほんの一瞬だけ外してしまったらどうなるのか。
シオンは石にならずに、同じまなざしを返してくれるのだろうか。
そんな想像が、初めて甘く危うい期待として湧き上がる。
その日以来、シオンは週に一度は必ず店を訪れるようになった。
「ゴーゴンちゃん、またシオン様から指名入ったわよ」
ママに告げられるたび、ゴーゴンは胸をときめかせる。
彼と過ごす時間は、決して派手な会話や笑い声に満ちたものではない。
けれど深く静かで、まるで夜の底をじんわりと照らす月明かりのように穏やかだった。
ある夜、ゴーゴンはいつものようにシオンのテーブルについた。
すると、彼はふと照れくさそうに笑って、小さな箱を取り出す。
「いつもサングラスかけてるだろ。もしよかったら、これを使ってみてくれない?」
箱を開けると、そこには上質なフレームのサングラスが収められていた。
レンズは今よりも薄く、しかし光を反射しにくい特殊な加工がされているらしい。
「少しでも視界が広がったら、きみが楽になるんじゃないかと思って」
「すごい…こんな高そうなもの…」
「大したことないよ。
それに、きみが危険な瞳を持っていても、もっと世界を見られるようにって思っただけさ」
ゴーゴンは言葉にならない思いを胸に抱えながら、そっとサングラスを手に取る。
こんな風に、自分の呪いを“もっと世界を見られるように”なんて言ってくれた人は初めてだった。
「ありがとうございます…大事にします」
震える声を抑えながら答えると、シオンは「ゆっくり慣れてみて」と微笑んだ。
その笑顔に惹かれるように、ゴーゴンはほんの少しだけ心の扉を開く。
やがて閉店後、ビルの外へ出たゴーゴンを、シオンが待っていた。
街灯の下で彼が小さく手を振る。
「今日は仕事終わりに話せないかなって、勝手に思ってて」
「こんな時間まで待ってたんですか…?」
「うん。危ないかなって思ったけど、どうしてももう少しだけ話したくてさ」
二人は人気の少ない夜道を並んで歩く。
ゴーゴンはもらったサングラスをかけ、慣れない視界に戸惑いながらも、いつもより確かに街がよく見える気がした。
「どう? そのサングラス、きみの瞳をちゃんと隠してくれてるかな」
「はい。思ったよりレンズが薄いのに、周りからはちゃんと瞳を見られずに済みそう。不思議な感じです」
「よかった。もっと夜の街を楽しんでほしいんだ。
石にする呪いがあるって聞いて、最初はびっくりしたけど…俺はそれも含めて、きみが好きだよ」
その言葉に、ゴーゴンは思わず足を止める。
胸の奥で何かが弾けるような感覚に襲われた。
「…好き、って…」
「うん。本当は最初に会った時から気になってた。
珍しいからじゃなくて、きみが不安そうにしながらも、誰かと繋がりたいって願ってる姿がすごく綺麗だったんだ」
「でも、私…危険なんです。瞳を見せられないし、蛇の髪だって気持ち悪いかもしれないし…」
「そんなこと思ったことないよ。
蛇たちもきみの一部だし、その瞳だってきみの大切な力だろ」
シオンの穏やかな声が、夜の静寂に溶けていく。
ゴーゴンはサングラスの奥で涙がにじむのを感じた。
もし、今ここで外してしまったらどうなるのだろう。
彼を石にしてしまうかもしれない。
けれど、心はどこかで「それでもいい」と叫んでいる。
「…私、今までずっと、自分の力を憎んできました。
誰も傷つけたくないのに、瞳を見れば相手が石になってしまう。
それが怖くて…」
「わかるよ。でも、怖いままで終わらせなくていい。
きみの力が、誰かを守ることだってあるかもしれないし、きみ自身を守ることだってできるかもしれない。
それに…もし万が一石化しちゃっても、俺はきみを恨んだりしないと思う」
ゴーゴンは唇をかみしめながら、そっとサングラスを持ち上げた。
ほんの一瞬、シオンの瞳を見つめる。
夜の街灯の下で、彼は驚くことも恐れることもなく、ただ優しく微笑んでいる。
その姿を見て、ゴーゴンの胸にあった氷のような塊が溶けていくのを感じた。
「私、いつか絶対、あなたにこの瞳をちゃんと見せたいです。
石化させずに、あなたの瞳を見つめられるようになりたい」
「うん。その日を待ってる」
彼女は再びサングラスを戻し、震える呼吸を整える。
彼がくれた優しさと希望が、危険だと思っていた瞳に、新たな光を宿してくれた。
「ありがとう…シオンさん」
「シオンでいいよ。これからも、店に通わせてもらうから」
そう言って彼は照れくさそうに笑い、ゴーゴンの手をそっと握った。
翌日から、ゴーゴンの心は前よりずっと軽くなった。
サングラス越しに見る夜の世界は相変わらず眩しいが、同時に温かさを帯びている。
シオンが訪れるたび、彼女は一層明るい笑顔を見せるようになった。
蛇たちも嬉しそうに髪の中でうねり、彼の指先にちょこんと触れたりする。
最初は「わっ」と驚いていたシオンも、今では慣れたもので「今日は元気だね」などと言いながら軽く挨拶するようになった。
やがて周囲のキャストたちも二人の仲の良さに気づき始める。
「あらあら、ゴーゴンちゃん、いつもよりテンション高いわね」
「そりゃあシオン様が来てるもんね」
そんな冷やかしも笑って受け流せるほど、ゴーゴンは幸せだった。
石化の力を持っていることを忘れるくらい、店での時間は楽しく、そしてシオンとの会話が何よりの癒しになっていた。
ある晩、閉店後にママが声をかけてきた。
「ゴーゴンちゃん、最近いい顔してるわね。恋でもしてるの?」
「えっ…そ、そんな…」
「隠さなくてもいいわよ。私も若い頃は似たような経験をしたもんだわ。
いろいろあったけど…まあ、それが青春ってやつよね」
からかうように言いながらも、その笑顔はまるで母親のように温かい。
ゴーゴンは胸の奥で湧き上がる想いを感じながら、小さくうなずいた。
夜風に吹かれながら帰路につく道すがら、ゴーゴンはそっとサングラスを外してみる。
ほんの一瞬、月明かりが瞳を照らす。
蛇たちも微かに身動ぎして、夜の静寂を感じているようだった。
「もし、この瞳を完全に制御できるようになったら…」
その先にある未来を思い描くと、胸が熱くなる。
シオンの隣で、堂々とサングラスを外し、同じ風景を見られる日が来るかもしれない。
そして、その瞳で彼の笑顔をしっかりと焼きつけたい。
そうして日々が過ぎ、ゴーゴンは石化の呪いを忘れそうになるほど、シオンとの時間を楽しむようになった。
人間であれメデューサであれ、恋をする気持ちは同じだ。
どれだけ危うい力を抱えていても、想い合う気持ちがあるならば、きっとそれを乗り越えられる。
サングラスの奥からそっと視線を送るたびに、シオンはまるでそれを感じ取るように笑い返してくれる。
その笑顔が、ゴーゴンにとって最高の宝物だった。
そして今夜もまた、ゴーゴンは店のドアを開ける。
人々が交わす喧騒と煌びやかなライトの中に、自分の居場所がある。
瞳を封じ込めたサングラスをかけたままでも、彼女はもう孤独ではない。
愛しい人と、優しい仲間たちに囲まれながら、危険な力さえもいつか抱きしめられる日を夢見て、ゴーゴンは今日も夜の世界を輝かせる。
その姿を見た誰もが、巻き髪のメデューサがいる店を噂する。
サングラスに秘めた瞳がいつの日か石化ではなく、愛を結ぶ力へと変わることを、誰よりも彼女自身が信じているから。
巻き髪メデューサ、夜職デビューする 三坂鳴 @strapyoung
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