③ 最低少女の地獄



   ▼▼



 棚上たながみ学園の保健室。


 ──こんな設備は普通の学校ではあり得ないだろうから、ここで説明しておくけれど、この学園の保健室は一部屋だけではない。

 正確に言えば、この学園には個室の病室が複数存在する。それはもう病棟と言える規模で。ここが危険人物の巣窟そうくつであることの他に、棚上学園が研究機関であることも理由に繋がっているのだろう。


 俺は二日前から、その個室で入院生活を送っていた。体には無数のガーゼや包帯が付いていて、非常に心地が悪い。傷の痛みはだいぶん治ったけれど、まだ数日は退院できそうになかった。


 我孫子との決戦の後──なんて言うと過剰な修飾になるが、実際の事件はとても地味な終結を迎えた。

 俺が保健室へと連絡した後、美術室には学園常駐の看護師が何人も押しかけてきた。それから再度遊佐沢に(戦闘の結果も含めて)メールを送信。入れ替わりを元に戻してもらって、看護師連中が我孫子を警察の元へと連行しただけである。俺は出血多量で失神している間に、気付けば保健室へと運ばれていた。



 そして現在。

 俺は上半身だけを持ち上げた体勢でベッドに座っている。

 その横では、缶コーヒーを片手にいん先生が俺を睨んでいた。病室の窓からは、カーテンを透過して日差しがそそいでいる。


 カチューシャを付けた茶髪の医師は、怒気を混ぜた声を出した。


「犬秋さん? 医者ウチは友達も人類も見捨てて死ねと言ったはずだよネ?」

「いやあ……死ねとまでは言ってなかったと思いますけど」


 俺が突っ込みを入れると、先生は笑顔で顔を歪めた。

 一周回った怒りが喜びとして表現されている。

 普通に怖かった。

 余因子先生は缶コーヒーを揺らしながら言う。


「どうして勝手に保健室を抜け出したのかな?」


 俺は恐る恐る答えた。


「そりゃ友達を救ってきたからですよ……」


「友達を救って自分は死のうとしたワケだ。殊勝しゅしょうだねー」


「別に死ぬつもりは……」

「じゃあ、遺書とか言って渡してきたは何なの?」


 先生は赤い文庫本を掲げて笑う。

 それは聖者院に生成してもらったエンディングノート。

 先生に『暗号』を解読してもらうために参考資料として渡したのだが、先生は怒髪天を衝いている様子で、「これ燃やしていい?」とか物騒なことを言っていた。


「絶対燃やさないでくださいよ……聖者院から貰った大切な資料ですから」


「犬秋さんの血中成分から──『紅文書グリモワール』の副次的能力で作り出したんだっけ? 聖者院さんも随分と器用なことするよネ。未到因子インジャックの量もレベルが違うし、まさしく上級組ハイクラスらしい万能って感じ」


 言いながら、コーヒーを飲み切る白衣の医師。

 余因子先生はめつすがめつ、興味深そうに本を観察する。


「んにゃ。それでこの本が何だっけー?」


「暗号ですよ。連続入れ替わり事件の犯人を、先生に解いて欲しいんです」

「あまり私に期待されても困るけどネ」


 何故だか一人称を『ウチ』から『私』に変えつつ、細縁ほそぶちの眼鏡をかける先生。真面目な顔で文庫本のページをめくっていく。


 ぱらぱらと高速でななめ読みされる──赤い装丁そうていの文庫本。カバーが外されたように質素な表紙には……題名だろうか?……横書きで「最低少女イヌの共倒れ」と書かれている。変なタイトルだ。副題は無い。


 タイトルの下には、著者名みたく「犬秋藍鬱」「グリモワール訳」と小さくしるされている。まるで本物の出版物のようだった。



 余因子先生は──まるで図書館の司書さんが、返却された本を検分するだけの作業さながらに──すぐにページをり終わる。

 そして一言。


「大体は読み終えたけど」

 さらりと呟く。


「え……中身ぜんぶ読み終えたんですか?」

「読んだよーん」


 めちゃくちゃ速読だった。

 羨ましい。俺なら一週間くらい使わないと読破できないのに。


 俺は速読を褒めたのだが、「私だって昔は遅かったよ。それに、一文一文時間かけて読む暇があった学生時代には戻れないし」と。そんな風に、郷愁きょうしゅうにじませた。



「ま、私のことは別にどーだっていい。それより暗号の話でしょ?」


 先生はあっけらかんと言いながら、ベッド脇に置かれたパイプ椅子に腰を下ろした。

 付けていた悪魔デビル型のカチューシャをはずして、膝の上に置く。


「とりあえずアンタの知らない暗号の答えと、もう一つのメッセージとやらは理解したけど」


「……それって、全部解けたってことですか!? 今の速読で!?」


「そうだけど、逆に言えば暗号しか解けてないからネ。『誰々の発言はどういう意味だったんですか』とか訊かれても困るよ」


「いや……充分凄いですよ……」


 俺は短く感嘆かんたんする。


「じゃあ、早速暗号について解説するけどさ。まずは遊佐沢がどうして暗号を解けたのか、ってトコからフォーカシングするのが一番かな」


「遊佐沢って、呼び捨てなんですね……」


「私からしてみれば、いや、もしかすると遊佐沢も思ってたかも────むしろアンタが解けないことが疑問なんだよネ」


「え?」


「まあ、この場合はアンタだからこそ解けなかったと推測すべきなんだろうけど」


「持って回った言い方はやめてください」


 早く答えを教えてほしいと、俺は抗議する。



「つまりね、この暗号はアンタのために作られたモンなんだよ」


「俺の……?」

「解読の説明に入ろうか」


 先生は文庫本を開いて、暗号が書かれているページを見せた。



 殺人の犠牲が奪う

 ささやかな治癒かな。

 由比ゆいこんが災い得ず、

 一泡ひとあわ多い差で飛べ。

 綺羅きらぼし待て。しのび、

 来ぬか揶揄やゆ我在ああり。



「この暗号を一発で説明しちゃうとね」


 すると先生が──暗号のページに指を挟んで本を閉じる。指をしおり代わりにしたまま、文庫本の冒頭を開いた。


 それは登場人物紹介が記載された部分。

 人山梢、遊佐沢左右、聖者院奏、宇篠とら、我孫子我執、斧堀各名、井川坂部馬鹿騒、犬秋藍鬱、稲穂天地────合計九人。主要人物の名前が書かれている。





「は……照会……?」

「そうだよ。暗号文を平仮名で数えると六十四文字、登場人物の名前も同様に数えると六十七文字。かなり近しい数値になる」


 もちろん同数なわけじゃないから、偶然とも考えられるけど。


「でも遊佐沢は気付いたんだよ。偶然ではなくぐうに」


 先生は眼鏡を押し上げる。


「由比の遺恨が災い得ず──『災い』という言葉には、遊佐沢の『ざわ』が入ってるでしょ? 加えて『ささやか』にも、遊佐沢左右と同じく『さ』の文字が二度使われている」


「………………」


「そして人山梢の世話係である遊佐沢だからこそ、「一泡多い」の『ひとあわ』と『ひとやま』がかよっていることも察したんだろうネ。『殺人の犠牲が奪う』って文も同じかな。文章通り──事件に対する揶揄だととらえたのかもしれない」


 先生は冷静に言った。

 俺は先生に不満をぶつける。


「……余因子先生。推理の機序はどうでもいいんです。俺は答えが知りたいだけで──」



「稲穂天地」



 え?

「何を言ってるんですか……」


「暗号の答え、学園生連続入れ替わり事件の犯人さ」


 先生はそこで目をつむる。


「いや、ちょっと待ってください、稲穂先輩が犯人ってどういう──」


 それから先生は目を開けて、眼鏡越しに俺を見据えた。

 俺は余因子先生に尋ねる。


「先生……俺を混乱させようとしてるんですか」


「ナニから聞きたい?」


 余裕のある態度で尋ねる先生に向かって。

 俺は身を乗り出しながら叫んだ。


「暗号の答えですよ! 本当に稲穂先輩が答えなんですか!?」


「ああ。言っただろ、登場人物紹介を──」

「その意味がわからないんですけど」


 語調を荒らしながら制する俺。

 先生は懇切こんせつに語り始める。



「だから、暗号文から『ひとやまこずえ』『ゆさざわさゆう』って順番に文字をはぶいていけば──『いぬあきあいうつ』を省いたトコで、最後に『てんち』って文字が残るワケ。稲穂天地だけ暗号文に苗字が含まれていないからネ」


 暗号文には稲穂の「ほ」の文字が入っていないからね。

 先生は事もなげに付け加えた。


「………………」


「この暗号文は、【登場人物紹介】に載っている稲穂天地以外のフルネームに、『てんち』って三文字を加えて並び替えたアナグラムなの」


 暗号文が六十四文字で、

 登場人物の名前が六十七文字。

 三文字の差。


「要は犯人を示すこそが──『旧美術室の悪魔』稲穂天地をしめすっていう洒落しゃれだろうネ」


「犯人を示す暗号に……稲穂先輩の名前が……」



 ──どういう、ことだ?

 先生が何を言っているのか理解できない。

 混乱で視界が歪む。


「根拠は……あるんですか?」


 俺はかろうじて質問を返す。


「稲穂先輩が事件に関わっていた証拠は」

「物証はないよ」


 余因子先生は軽く肩をすくめた。


「ただ私は──暗号の答えと、コレに書かれている描写から類推しただけ」


 そう言いながら、文庫本を掲げてページをめくる。



「遊佐沢がどうして暗号を解けたのかって話に戻ろうか。しかし、別に難しいことを言おうってワケじゃない」


 順序は極めて単純だ。



「な…………どうして」

「ほら。遊佐沢が言ってるでしょ、お前の発言がヒントになったって」


 遊佐沢と屋上で対峙していたページを開く先生。


「この時、アンタは『稲穂先輩から暗号を出された』と遊佐沢に言ったけど……彼にとっては、その台詞が決定的だったんだろうネ」


 先生はページをめくりながら髪を掻き上げる。


「事件の黒幕が稲穂天地だと知っていたから、逆算で暗号が解けたんだと思う。あの暗号文は、フルネームの入れ替えアナグラムで構成されている法則性と、「ほ」の文字が含まれていない点に気付けば──登場人物全員の名前を知らなくても解けちゃうからネー」


「………………」


「あるいは入れ替わり事件をくわだてる上で、学園生の名前をある程度把握していたって可能性もある。『かなで』『おのな』『いがわさかべ』の名前さえ知っていれば──犬秋さんの名前も含めるコトで──『い』『な』の文字が足りないことにも気付けるって寸法すんぽうよ」



 俺は沈黙を作ることしかできなかった。

 首を傾げる先生。


「どうした? ナニか疑問でも?」


 俺は訊いた。

 核心に迫る質問を。


「……遊佐沢が稲穂先輩の名前を知っていたから、それがどうなるんですか」


「ワかんないの? 稲穂天地が遊佐沢の上司ってコトよ」


 ……じゃあ、先生はまさか。


「稲穂先輩が、入れ替わり事件を起こした真犯人だと?」



 俺の緊迫する心とは裏腹に。

 余因子先生は、んにゃーと気の抜けるような返事をしてから答える。


関わってるだろうネー。わざわざ一年一組に、ピンポイントで人山梢を転校させたのは……アンタを選んでの采配さいはいだろうし」


「そこにも?」

「これに関しては──本当に個人的な想像だけどネ」



 先生は言った。


「我孫子我執に人山梢の拉致を依頼したのも、彼女だと思うよ」




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