⑤ 釣鐘マントの転校生は料理上手




   ▼▼



 学生寮の俺の部屋にて。

 人山をおんぶしてから少しの時間が経った。


 彼女は俺の背中から降りるやいなや「漫画読んでくる」と控えめに言いながら、一枚の座布団とマンガを持って別室に行ってしまった。照れ隠しだろうか。どうやら向こうも、俺と同じ空間にいることを気まずく思ったらしい。


「そういえば……」


 部屋の時計を確認しようと考えたところで──自身がマフラーによる目隠しをしていたことに気付く。自分の間抜けさに呆れつつ、鞄から携帯を取り出した。

 手探りで液晶画面を操作しながら、サポートアプリケーションとして備わっている音声読み上げ機能を初めて使ってみた。


『現在の時刻、十二時十五分』と、無機質な電子音が室内に響く。

 やはりもう正午を回っているらしい。

 俺はぼんやりと昼飯のことを考える。


 今から学校に戻って、わざわざ学食を買いに行くという選択肢はあまりシャープではないだろう。出席義務は消えたのだ──それが正しい学生の在り方であるのかはともかく、このまま午後の授業はサボタージュするとして、今日は家で昼食をることに決めた。


 と、人山のことを思い出す。

「あいつの分も用意してやるのが義理なのか」


 付添人というのが、そこまでして世話係のような仕事を負わなければならないのかと疑問には思うが、委員長としての役割を全うすると決めたのは俺自身だ。相部屋を容認した後で文句は言うまい。


「さて……リクエストでも聞くか」

 俺は腰を上げて人山のいる部屋へと向かった。




「おーい人山、メシ食わねえか?」


 扉をノックしながら声をかける。

 すると向こうから扉が開いた。


「どうしたの?」

「そろそろ昼飯の時間だ。ちょうど食材が枯渇してるところなんでレパートリーは少ないが、一応希望は聞いておこうと思ってな」


 そう言って、俺は姿頭を掻く。


「……………………」


 人山の要望を待つも、なかなか返答がこない。

 はて? どうしたのだろう。

 勘付かれたのか?

 彼女の沈黙に耐えかねて、もう秘密を暴露してしまおうかと考えていたその時、人山が驚くことを言った。


「わたし、昼ごはん作ってみたいかな」

「え……?」


 俺は呆気に取られる。


「ほら、研究所の中じゃ料理なんてしたことないからさ。フライパンとか包丁とか、そういうの触ってみたいの!」


 高いテンションではしゃいでいる人山。


「まあ……別にいいけど」


 冷静に考えれば、料理未経験の人間をひとりで台所に立たせるというのは、とても危なっかしいことではあるのだが、そこは人山の自信ありげな態度を信用することにした。それに最悪の場合、目隠しのことなど気にせずに俺が止めればいいだけの話である。


 時計を見ることは叶わずとも、怪我をしそうな状況くらいは察知できる。


 俺は




 それから一時間ほど経過。

 時刻は十三時。

 リビングの机を二人で囲みながら、俺は人山の作ってくれたオムライスを完食した。


「ごちそうさまでした」

「はいはーい! お粗末さまでした」


 人山は嬉しそうな声で応える。


「いやそれにしても、人山、初めての料理にしてはかなり上出来だったんじゃないか? 俺、一人暮らし始めてから数ヶ月経つけど、オムライスなんか作ったことないぜ?」

「わたしが言うのもなんだけど、犬秋はもっと自炊に力を入れたほうがいいよ。毎日レトルトや冷凍食品ばっかり食べるのは頂けないよ、やっぱり」

「おいおい、即席料理のことを悪く言うなよな。あれは人類科学の粋で作られた至宝だぜ? 別に腹が膨れりゃ問題ないだろ。ていうか、そんなこと言ってるお前は普段、何を食ってたんだ?」


 研究所の食事ってどういうものなのだろうか。

 まさかゼリー飲料のみ、とかじゃあるまいし。


「…………まあ、わたしの場合は、なんていうか……栄養第一って感じだったから、それを聞かれると苦しんだけど……」

「…………なに食ってたの?」

「なんていうのかな、あのペースト状のどろっとした絵の具が、プレートに乗ってる感じの……」

「ま、マジ?」

「……マジで」


 苦々しげに語る人山の様子が、悲惨な食生活の背景を想像させる。

 実在するのか……ディストピア飯……。

 カルチャーショックを禁じ得なかった。

 アニメの中で見る分には面白さがあったものの、実際の体験談に直面すると、どこか複雑な気分である。

 あまり話を深掘りするのもはばかられそうだったので、その会話は終わりにした。そうして沈黙が続くなか、ふと人山が俺の食べ終えた皿を手に取ったので、それを慌てて静止する。


「ああ、いいって。皿ぐらい自分で持っていくから。それよか次はお前のオムライスだろ? どうする、また自分で作るか?」


「うん。そうだね────って、あ……」


「? どうしたんだよ」

「いや、その……フライパン、もう水に浸けちゃった」

「……おいおい、何やってるんだ。初めての料理でちゃんと洗い物のことを考えられるのはいいが、自分の分を忘れてちゃ世話ねえよ」

「あ、あは……」


 二人ともが苦笑い。

 リビングの中に、気まずい雰囲気が流れた。


「どうする……? カップ麺でも食べるか?」

「うーん……たしかにそういうの食べたことないから、味わってみたい気持ちはあるけど…………でも、外で初めて食べるのは手作りの料理がいいって思うのは感傷かな……?」

「別にそれでもいいと思うぜ? なんなら俺がフライパン洗って、オムライス作ろうか?」

「いや、えーっと、その……」

「?」


 人山は歯切れの悪い声を漏らす。


「……そのさ」

「なんだよ?」

「研究所の外に出たら……ハンバーグを食べてみたいなーって思ってたんだけど……」

「ハンバーグか……なら挽肉ひきにくが必要だな。そういうことなら、今からスーパー行って買い物してくるぜ。留守番頼めるか?」

「あ、えっと、でもわざわざそんな……」

「遠慮するなよ、俺達の仲だろ?」


 他にもリクエストがあるっていうならそれも買ってくるけど────と言いかけたところで。


「か、勘違いしないで!」


 そんなセリフと共に、どこから取り出したのかわからない座布団が、こちらに豪速で飛んでくる──!


「────うげっ!」

 俺は思わず、その座布団を反射的に避けてしまった。

「…………あ」


 じわりと冷や汗が出る。

 これはもう観念してスキルのことを────、


「すごい…………こういうの第六感って言うのかな?」


 シックスセンス……などと感嘆するように呟く人山。どうやら俺の回避を野生的な勘だと思って、素直に感心しているらしかった。


 なんというか。

 こうも純真な反応をされると、流石に罪悪感が湧いてくる。


「いや……違うんだ人山」

「何が?」

「その……実は今の座布団、見えてたというか……」

「どういうこと? 第三の目? 邪気眼?」

「違えよ」


 俺のこと中二病だと思ってるのか。


「だからなんというか、見えてるんだよ。目隠ししてるけど」


「…………え」


 人山の冷めた声に背筋が震える。


「い、いや違うんだ! 見えてはいないんだ! ほ、ほら! 例えばそこに壁掛け時計があるのはわかるし、お前が俺の目の前にいるのも見えてるんだけど、でも時計の文字盤まではわかんないんだぜ!?」

「…………そのマフラー、本当は見えてるの?」

「違くて! マフラーが見えてるわけじゃないんだ。あくまでも空間を把握する強制能力スキルで周囲の輪郭が掴めるっていうだけで────」

強制能力スキル?」

「そ、そう! スキル! 『囲空間フォーカストフロント』っていう空気操作のスキルで、周りの物の場所を把握してるんだ。それで座布団を避けられたってこと!」


「ちょっと待って。あなたは女体化の強制能力者スキルホルダーだったんじゃないの?」

「え? あ、ああ、それはそうだぜ。空気操作のスキルは他人から譲ってもらったものだから、別に俺自身のスキルってわけじゃない」

「す、スキルを譲ってもらったって────いや、そんなことあるはずが……」

「まあ俺も詳しいことはよくわかってないんだが、なんか特異体質みたいな、そういうアレ」


「犬秋さ…………それ、あんまり気軽に言わない方がいいんじゃないの……? 強制能力スキルを複数所持している人なんて聞いたことないよ」

「そうか? そりゃ俺だってそんな人間見たことないけど、別に隠し立てするほどのことじゃないだろ」

「じゃあどうして今までは秘密にしてたのよ? もしかして……誰かに口止めされてる、とか?」


 ぎくり。

 勘のいい奴だ。裏で糸を引く稲穂先輩の存在を見抜くとは。

 しかしネタバラシの後とはいえ先輩のことまで話してしまうつもりはないので、俺はシラを切る。


「い、いや、別にそんなことはねえよ。ちょっとお前を驚かせたかっただけだぜ」

「ふうん……」


 人山は疑うように目を細めている。


「とにかく、俺は買い物行ってくるから! それじゃあ!」

 俺は無理矢理に話を切り上げて、学生寮を飛び出した。




 俺は買い物から家に帰って、それからふたりでハンバーグ作りを始めた。

 当初は人山が「ひとりで作ってみたいから」と言って、かたくなに俺の手伝いをこばんでいたのだが、今日が初対面の相手にひとりで夕食を作らせるのは居心地が悪かったので、最終的に俺が押し通すかたちとなり、台所にはふたりで立った。


 俺は冷蔵庫から材料を取り出しながら、空間把握能力──『囲空間フォーカストフロント』で人山の姿を確認する。


「というか……お前、ペーストの飯しか食ってなかった割に、やけに手慣れてるよな、料理。もしかすると俺より上手いまであるぜ? そこまで板についた姿を見てると、『実は研究所でも料理してました!』とか言われても驚かねえけど」


 人山は玉ねぎを刻みながら答えた。


「いや、別に料理自体は初めてなんだよ? ただ料理番組はちょっとだけ見てたからね、ある程度の勝手はわかるっていうのかな。ほら、ゲームでも料理の練習はできるし」

「ゲームで料理を学ぶのは流石に無理だと思うけど……」

「そうかな? 説明書は何回も読んでるけど、ゲームはプレイしたことない──っていう状態なんだよ。どういうボタンを押せば何が出来るのかはわかるけど、それをどんなタイミングで使っていくのかっていう体感がないの。だから本当はわたしだって今、結構手探りで包丁使ってるんだからね」

「それはすげえ怖いな……」

「大丈夫だよ。わたし、器用だから」


 フラグじゃないといいけどな、それ。

 俺は苦笑いをした。



 しかし、そんな俺の心配を裏切るように、人山は着実と調理を進めていった。

 冗談半分で言った「俺より上手いんじゃないのか?」という台詞が、真実味を帯びていく。


 迅速で美しい包丁さばき。

 調理器具を丁寧に扱うさま。

 台所を清潔に保つ器用さ。

 計量スプーンを使って味付けをする実直な姿勢。

 ……なんというか、完敗って感じだった。


 ずぼらな高校生の一人暮らしとはいえ、それなりに自炊の経験は積んできたつもりだったのだが……。

 やはり天才は存在する。

 フライパンで玉ねぎを炒めながら、俺はそんなことを思った。


「せめて、自分の仕事だけは失敗しないようにやるか……」


 小さくぼやきながら、気を引き締める。

 もっとも、気を引き締めたところで俺は目隠しをしているので、気のつけようがないのだけれど。

 ていうか……よく考えたら、料理初心者に包丁を扱わせるよりも、目隠しをしながらフライパンを使ってるほうが危ないんじゃないのか?

 良い子は真似しないように。


(目隠しキャラって普段どんな風に生活してるんだろうな)


 そんな適当なことを考えながら、俺はダメ元で「目隠しを外してもいいか?」と尋ねようとする。


「なあ人山、これなんだけど……」

 そう言いながら目隠しを指で差して、彼女の方を向く。


 すると俺の質問に食い気味で──

「今だけ、特別だからね」

 と言って、俺の側に寄る。


 目元の圧迫感が緩む感触。

 驚く間もなく、人山は俺の目隠しを外していた。

 視界に光が届く。

 徐々に馴染む視覚の中で、彼女の顔が目に映った。


「ほら、早く受け取ってくれないと強制能力スキルで破れちゃうから」


 彼女は俺にマフラーを押し付けて、少し照れたような表情でこちらを見つめている。


「………………」


 思わず。

 人山のことを──可愛いと、感じてしまった。

 何をしているんだ犬秋藍鬱。もう女性を見ても興奮しないんだから、そんな考えが湧いてくるはずないのに。どこまでいっても最低の変態なのか貴様は。俺はマフラーを首元に巻いて、頭の中から感情を排した。脳をまっさらに戻す。


「いや、その……なんというか……すまん」


 なぜか突然に謝る俺。

 しかし人山は気分を害した様子もなく、


「別に謝んなくていいから。どうせゲームする時には外してもらう予定だったし、遅いか早いかの違いしかないよ」


 なんでもないように。

 俺の目を見ながら言った。


「それにさ、作った料理の見た目を気にするのも大事だからね。せっかくの手作りなんだから、できるだけ美味おいしく感じたいでしょ? わたしだって、自分が作ったものは美味しく食べてもらいたいし」

「────」


 人山の純真な言葉を聞いて、俺は自分が情けなくなった。

 そうだ。

 俺は人山の姿に見惚れたことよりも──人山の心意気に──心に感動したんだ。

 そのことに対して戸惑って、良い奴の笑顔を単純に「可愛い」と思っただけ。

 だからきっと、俺が今やるべきことは。


「ああ。そうだな」


 すこしでも自然な笑顔で、彼女の心に負けないように。

 最高に美味い夕飯を作ってみせよう。





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