さよなら一番星

澤田慎梧

さよなら一番星

 ふう、どうにかこうにか、今日も生き残れたみたいだな。あちらさん、ケツに火がついたみてぇに一目散に逃げだしやがったぜ、ハハッ。


 さてさて、勝利の一服……と。

 おい新兵、オメェも吸うか?

 何? 煙草は吸わねぇ? お前それ、人生を半分損してるぜ。

 こんな塹壕の中をよ、毎日毎日ミミズみてえに這いずり回ってるんだ。楽しみの一つでも見付けねぇと、すぐにおかしくなっちまうぜ?


 ん? 戦争が終わったらやりたいことがあるから、絶対におかしくはならないって?

 ほう、大した自信だな。こんな、一日もいれば頭のネジが二、三本外れちまうようなイカレた世界でよ。

 そのやりたいことってのは、なんなんだよ?


 ――ああ? 「フィギュア」?

 フィギュアってあの、氷の上で踊ったり跳んだりする?

 お前選手なのか? へぇ、ガキの時は世界選手権にも出たことがあるってか!

 おいおいおい、なんでそんな奴がこんな戦場に……って、仕方ねぇか。負けたら、国ごと無くなっちまうもんな。スポーツどころじゃねぇわ。


 それでよ、お前。やっぱ、オリンピックに?

 ふむふむ、「どうしても勝ちたいライバルがいる。今は本当の敵味方に分かれているけど」だあ? あ~、そういう話は、よく聞くわなぁ。

 あちらさんも若ぇ連中が動員されてるからな。

 オリンピックの前に戦場でご対面……なんてことにならなきゃいいが。


 で、目標は? やっぱりそいつに勝つことか?

 ……ほうほうほう、金メダルとは大きく出たじゃねぇか!

 おっ? なんだよ、もう持ってるじゃねぇか、金メダル。

 何? 「これは子どもの時の大会で優勝した時に貰ったやつ」だって? お前、そんな大事なもん戦場に持ち込んで、失くしちまったらどうするんだ。


 ……なるほど、そのメダルはお前にとって、勝利のシンボルって訳か。

 ハハッ、俺もあやかりたいもんだな!


   ***


 ――つい先日まで必死の抵抗を続けてきた敵部隊は、遂に潰走かいそうした。

 長大な塹壕を築き、神出鬼没の反撃を繰り返してはいたが、所詮は寡兵。物量に勝るこちらの敵ではなかった。


「ガハハハハ! 見ろよ! 連中、塹壕の中で出来の悪いボルシチみてぇになっちまってるぜ!」

「……趣味、悪いっすよ」


 塹壕の中では、哀れな姿となった敵兵が所狭しととっ散らかっていた。

 最早、どこが何のパーツだったのかも分からないくらいに千切れ、入り乱れ、焼け焦げてしまっていて、これでは個人の判別は不可能だろう。

 俺は、戦場に出てようやく「あ、認識票ドッグタグって役に立つんだな」と思い知ったものだ。


「おっと、ジッポライター発見! こいつら、いいもの使いやがって!」


 上官は手癖が悪い人で、制圧した戦場を確認しながら、こうやって墓荒らしのごとく「戦利品」を収集するのが常だった。


「そんな嫌そうな顔すんなよ、新兵」

「嫌な顔にもなりますよ。いくら敵兵の物とはいえ、遺品を盗むなんて」

「みんなやってることだよ。それにな、名前が刻んである物は取らねぇよ――ったく、フィギュアスケーターってのは、みんなお前みたいにお高くとまってんのか?」


 揶揄するでもなく、軽く苦笑いするだけで済ませてくれるこの上官は、きっと善人の部類に入るのだろう。

 他の部隊では、新兵を人間扱いせず「肉の盾」としか考えていない将官も多いと伝え聞いている。俺は運が良い方なのだ。


「おっと、金目の物発見! ……って、なんだこりゃ。ただのメッキのメダルじゃねぇか。しかも、名前だか日付だかまで刻んである。捨て捨て」


 上官が半ば地面に埋まっていた金属片を拾い、すぐに捨てる。

 ――足元まで転がってきたそれを見て、俺は全身の血の気が引くのを感じた。


 そっと拾い上げ、メダルの裏に刻まれた日付を確認する。

 ――ああ、やっぱり。俺がガキの時に出場した、あの国際大会のメダルだ。

 同じ日付のメダルを持っているのは、この世に三人しかいない。この色のメダルを持っていたのは――あいつだ。


 小さな頃から、あいつは目の上のタンコブだった。

 大会に出れば俺達は常に僅差で、あいつが勝ったり、俺が勝ったり。

 国同士の関係が悪化したことも手伝って、仲は最悪だった。

 それでも――それでも、あいつは俺にとっての憧れだった。


 バレエ経験者らしい柔らかな手足の表現。

 ジャンプの高さと速さは他の追随を許さない。

 スケーティングだってスピンだって、大人顔負けの完成度。


 俺は、反目しながらも、あいつに純粋な憧憬しょうけいを抱いていたんだ。

 それが、まさかこんなところで――。


 塹壕の中を見回す。

 そこにあるのは、最早原形を留めていないモノばかりで、あいつの欠片さえ見つからない。


 ぎゅっとメダルを握りしめる。

 メッキの剥げかけた金メダルは、それでも鈍く輝いていた。



 

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さよなら一番星 澤田慎梧 @sumigoro

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