陽菜 〜② 憧れと超越〜[短編]

古 司

憧れの存在


 「兄ちゃん、技能検定合格おめでとう。

これで衛生士に続いて技能士も取れたね!」


 食卓の上には義妹であり恋人の町村陽菜まちむら ひなが腕を奮ってくれた豪華な料理が並んでいる。銀色の缶ビールを手にして舌づつみをうち始めた。


 兄ちゃんと呼ばれているこの俺、町村政まちむら せいと陽菜は、それぞれ養子として育ててくれた祖母と祖父を相次いで亡くし、その後お互いの気持ちを伝え合ってずっと二人で生きていくと決めた。


 祖父が亡ったと同時にそれまで働いていた広告代理店を辞め、祖父と祖母の和菓子屋『やよい庵』を継ぐべく製菓の専門学校で一年学んだ。


 その後、製菓衛生師の国家試験に合格して製菓衛生師の資格を取り、そしてこの度、菓子製造技能検定をもパスして菓子製造技能士の資格を取った。


「陽菜、ありがとう。こんな豪華な手料理で祝ってくれてありがとう。すごく美味しい。これで晴れて『やよい庵』を再開させられる。これまで応援してくれて、支えてくれてありがとう。次は陽菜の番だ、頑張れよ」


「ありがとう。でも、兄ちゃんが両方の資格を取ったから、陽菜は兄ちゃんに弟子入りすれば良いだけになったと思うんだけど?」


 少しぷくーっと頬を膨らませてふくれっ面をする陽菜。


「いや、それは別の話でしょ。せっかく陽菜も短大の調理製菓学科に入ったんだから、せめて製菓衛生師だけでも取りなよ。その気になったら技能検定も受けてさ?」


「ぷーっ! せっかく兄ちゃんが資格の勉強から解放されたのに今度は陽菜なの? ていうか陽菜が短大に通ってる間は一緒に居られないじゃん! 陽菜は兄ちゃんともっと一緒にいてイチャイチャしたい! まさか陽菜に隠れて専門の時に他に女の人が出来たの?」


(あぁ、なんでふくれっ面をしているのか分からなかったけれどそういう可愛い理由か)


「短大はちゃんと卒業して資格を取る。二人で相談して決めたことだろ? それに俺は『やよい庵』のこと以外、陽菜の事だけしか見てないし考えてないから。浮気なんてあり得ない。しばらくは勉強を優先してたけど、これからは店の他は陽菜との時間ばかりになるよ。寂しい思いをさせてたならごめん」



「ホントに? じゃあ今日早速、後で久しぶりに一緒にお風呂に入ろ? …ダメ?」


「いいよ。食べ終わったら陽菜が片付けてくれている間にお風呂を洗ってくるよ。今日は何の香りが良い?」


「ん〜、今日はラベンダー!」


 陽菜お気に入りの入浴剤セットをプレゼントしてくれたのは商店会長さん。

会長さんだけではなく、元職場の社長である息子さんにも今でも何かと気をかけて貰っていて、じいちゃんたちのわずかな遺産をなるべく取り崩さないようにと、専門学校に通っている間にも家で出来る簡単な仕事を振ってくれて何かと面倒を見て貰っている。



「陽菜、学校の方はどう? 陽菜が憧れている和菓子職人、寒川千里さむかわ せんりさんが講師に来てるんだろ? それもあってあの学校を選んだんだし寒川さんとは交流出来てんの?」


「うん、寒川先生の単位はもちろん全部取ったよ。ゼミにも入ったし、今度先生のお店にも見学させて貰えることになった」


 日本の和歌や中国の漢詩などからインスピレーションを得て独特の感性から作られる和菓子と、そこに添えられる一遍の詩が話題を呼び、あっという間に現れその位置を築いた和菓子界のニューヒロイン。

陽菜が小さい頃からあこがれている和菓子職人の寒川千里さん、その人だ。


「陽菜。少し真面目な話をするけど、寒川さんから学べることは全部学んで、言い方は良くないかもだけど盗めることは全部盗んでおいで。陽菜が憧れる存在なのは知ってるけれど、吸収して咀嚼して陽菜のモノにしていつか新しい陽菜独自の和菓子を生み出そう」


「兄ちゃんが新商品を作ってたみたいに?」


「あれは素人考えの小手先に過ぎない。あの時はなんとかじいちゃんたちの『やよい庵』を盛り上げようと必死でアイデアを捻り出したけど、結局じいちゃんに作ってもらったんだしね。それに、結果的にも目新しさをお客さんに与えるだけで終わったから。陽菜も俺もこれからは俺たちが作る新生『やよい庵』の主力商品を今のラインナップに加えていかなきゃ」


「シン・やよい庵、だね」


 そうだな、と言ってご馳走様をして早速お風呂掃除に向かう。


 食べ終わって一服もせずすぐに席を立つあたり表には出さないだけで俺も陽菜と一緒に入るお風呂にドキドキ、ウキウキしているらしい。



 「兄ちゃん、はやくー!」


 脱衣場に行くと風呂に先に入った陽菜から催促の声がかかる。

商店会長さんから電話があり、対応している間に入って貰ってたのだ。


「そう急かすなよ」


 扉を開けて中に入る。


「に、兄ちゃん! せめてタオルで隠して入ってきてよ」


 ラベンダーの入浴剤の香りに包まれたお湯の中で両手で顔を覆うようにして照れる陽菜。しかし、見ていないようで指と指の間が開いていたのでしっかりと見ていたっぽい。


「ごめん、つい、いつもの調子で入ってしまった。でも、陽菜もそろそろ恥ずかしがらなくてもいいんじゃないか? アレの時はいつも陽菜が掴んではなさな…」


「兄ちゃん!」


 スポンジタオルや、ペンギンなどが一斉に飛んできた。


(何歳までアヒルやペンギンのおもちゃと入ってんだか)


「ごめんごめん! これは言っちゃダメなヤツだったか」


 体を洗って陽菜の待つ湯舟に入って、後ろからパーフェクトな美ボディを抱きしめる。

 

 しばらくすると陽菜が体を半身にしてふり返りキスをおねだりする表情に。そっと口づけると満足しなかったのか追撃を受けて長く深いキスを受ける。


「兄ちゃん、そろそろ兄ちゃんのこと政くんって呼んじゃダメかな? あ、みんなの前では今まで通り、兄ちゃんって呼ぶけど」


「いいよ。二人っきりの時はそうしてくれると俺も嬉しい」


 あらためて陽菜の体を抱きしめて、後ろから首もとにくちづける。


「それでね、話は戻っちゃうけど、さっき寒川先生の話になったでしょ? 今まで陽菜は、憧れてた寒川先生みたくなりたいと思ってたけど、これからは寒川先生を越える職人を目指すね。なれるかどうかは分からないけど」


「そっか、分かった」


首元にくちづけたまま返事を返す。少し陽菜の声が上擦って聞こえるのは気のせいか?


「そのためにも…。陽菜にはもう一人、憧れの存在がいてね? その人に弟子入りしたいんだ。短大にはこれまで通りちゃんと行って卒業して資格も取るから」


「ん? それって俺のこと?」


「そう。なんでも出来ちゃうし普段はたよりなさげな癖に肝心なところで頼りになる兄ちゃんにも憧れてた。『やよい庵』を本格的に始動させたら弟子にして欲しい」


 一生守ると決めた家族であり、永遠の愛を誓った恋人である陽菜。


「今度は師弟関係も追加か。一体何役することになるんだろ? 分かったよ」


 何故か思わず笑いが込み上げてきた。


「なんで笑うのよ〜!」


 陽菜がふり返ってポカスカと胸を叩く。


「ごめんごめん」


「兄ちゃん、じゃなくて、政くんには憧れの存在はいないの?」


「いるよ?」


「なんて人?」


「そりゃあ、町村寛治まちむら かんじ町村弥生まちむら やよいだよ。俺たちのじいちゃんとばあちゃんだ」


 俺はそう言って天国にいってしまったじいちゃんとばあちゃんの顔を思い浮かべながら再び陽菜の身体を抱きしめた。


「そっかぁ、二人のことはもちろん陽菜も尊敬してるよ」


 ふっふふ〜ん♪ と陽菜はご機嫌な様子で鼻歌を口ずさみ始めた。

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