ずっと一緒だよ
アラクネ
ずっと一緒だよ
『ずっと一緒』
――人は死んでも、終われないことがある。
一
俺の名は葛城 慧(かつらぎ けい)。
職業は除霊師。ただの霊能者とは違う。俺には"特別な力"がある。
それは――共感覚。
普通、共感覚といえば「音を色として感じる」とか「文字に味を感じる」とか、そういうものを指すらしい。
だが、俺のはもっと異質だ。
憑かれた人間の記憶に入り込み、その出来事を追体験することができる。
俺は彼らの過去を、彼らの感覚そのままに"生き直す"ことができるのだ。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚――すべてをそっくりそのまま感じる。
だからこそ、俺の除霊は"効果的"で、霊の正体を突き止めることができる。
だが、その代償もまた大きい。
痛み、恐怖、絶望……それらが俺の身に刻み込まれる。
時には、胸を刺される痛みを経験したこともある。
時には、骨が砕かれる音を聞きながらのたうち回ったこともある。
時には、首を絞められながら意識が薄れていく瞬間を感じたこともある。
その記憶は"夢"ではなく、"現実"として俺の中に残り続ける。
何百回も死んで、何百回も地獄を見てきた。
だからこそ、俺は仕事を慎重に選ぶ。
だが、その日、俺が受けた依頼は……"普通ではなかった"。
「息子が……変なんです……」
依頼人は、目の下に深い隈をつくった母親だった。
髪は乱れ、青ざめた顔にはやつれがにじんでいる。
彼女の膝には、一人の少年が座っていた。
結城 陽翔(ゆうき はると)、七歳。
「どんな顔を見せても、描くのは……いつも同じ男の顔なんです。」
母親は震える手で、一枚の絵を差し出した。
そこには――
痩せこけた男の顔。
窪んだ目。
淀んだ瞳に、不気味な光が灯っている。
そして、三日月のように裂けた糸のような口。
それはまるで、"笑っているような"、"泣いているような"……形容しがたい表情だった。
……これは、見てはいけないものだ。
本能が、警鐘を鳴らした。
(これは……まずいな。)
俺は霊能者としての直感を持っている。
この男――"人間"ではない。"何か"が強く憑いている。
こんな依頼、いつもなら断るべきだ。
だが……何故か、俺は断ることができなかった。
"見られている"ような気がしたからだ。
目の前の絵の男が、俺を見つめているような気がしたからだ。
何者かが、俺に"関わることを強制している"ような、そんな気がしたからだ。
二
俺は陽翔を連れて、スクリーンのある部屋に入った。
この部屋は、除霊を行う際に使う特別な空間だった。
壁には厚手の防音材が貼られ、外界の音を遮断している。
空調は止められ、静寂が支配する。
わずかに焚かれた香の匂いが、室内に漂っていた。
俺はスクリーンに、様々な顔写真を映し出す。
男性、女性、老人、子供――
顔立ちの異なる人物たちの画像を、一枚ずつ陽翔に見せた。
そして、目の前のスケッチブックに、それを"そのまま"模写させる。
彼は、集中するように鉛筆を握り、素早く描き始めた。
だが――
結果は異常だった。
すべての顔が、"あの男の顔"になっていた。
白髪の老人の顔も、幼い少女の顔も、微笑む母親の顔も――
陽翔が描くと、すべて痩せた男の顔になってしまうのだ。
窪んだ目。
淀んだ瞳。
三日月のように歪んだ口元。
冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
(これは……相当ひどい。完全に憑かれてる。)
俺は確信した。
これはただの霊障ではない。
"何か"がすでに陽翔の視覚を完全に乗っ取っている。
そして、それは――
俺にも"見せている"のではないか?
陽翔が描くたびに、その男の顔が徐々に鮮明になっていく。
最初は、ただの不気味な絵だった。
だが、次第に――その顔が"生きている"ように見えてきた。
スクリーンの光に照らされた紙の上で、男が微笑んでいるように思えた。
――こちらを、見ている。
「ねえ、慧さん」
突然、陽翔が口を開いた。
先ほどまで一言も喋らなかった少年の口から、まるで別の何者かが語りかけるように声が発せられた。
「どうして、そんなに怖い顔をしてるの?」
俺の心臓が、一瞬止まる。
(これは……陽翔の声じゃない。)
その声は――
"あの男"の声だった。
俺は反射的に陽翔の肩を掴んだ。
その瞬間――
世界が、暗転した。
三
目を開けると――俺は陽翔になっていた。
いや、正確には、"陽翔の過去の記憶の中"に入り込んでいた。
俺は今、彼の視点で"過去"を追体験している。
周囲を見渡すと、そこは都市の繁華街だった。
ビルの巨大なガラス窓にネオンが映り込み、夜の空に光がちらつく。
行き交う人々の足音、車のクラクション、屋台の呼び込み――
目まぐるしく変わる景色に、"幼い視点"の俺は圧倒されていた。
(ここは……陽翔が迷子になった時の記憶か?)
陽翔は、友達とはぐれてしまい、一人で街を彷徨っていた。
心細さと恐怖が、胸の中に膨らんでいく。
誰かに助けを求めようとしても、大人たちは皆、忙しそうに歩いている。
その時――
銃声が響いた。
街の喧騒が一瞬にして凍りつく。
人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。
陽翔も、訳が分からず駆け出した。
だが、どこへ行けばいいのか分からない。次第に人々の流れから取り残されてしまう。だから、声を頼りに人がいそうなところに走って行った。
そして――
背後に気配を感じた。
振り返りたい。
だが、怖くて振り返ることができない。
警察のサイレンが鳴り響く。
周囲のざわめきが遠ざかり、陽翔の意識は異様に研ぎ澄まされていく。
そして――
耳元で甲高い銃声が轟いた。
陽翔の体に、何かが覆いかぶさる。
温かい。けれど、その温かさは、どんどん冷たくなっていく。
そして、耳元で囁かれた。
「陽翔くん、これからずーっと一緒だよ」
その声は――
"痩せた男"の声だった。
俺の意識が、急激に引き戻される――!
四
目を開けると、俺は除霊用の部屋に戻っていた。
だが――異変があった。
陽翔の顔が変わっていた。
いや、顔そのものは変わらない。
だが、表情が――
まるで"あの男"のようになっていた。
三日月のように裂けた口。
窪んだ目。
ぎらつく光を帯びた瞳。
背筋がじっとりと冷たくなった。
陽翔はゆっくりと俺を見つめると、微笑んだ。
「慧さん」
――それは、"あの男"の声だった。
俺の喉が、ごくりと鳴る。
これはまずい。
陽翔は、机の上の紙をつかんだ。
そこには、先ほどまでとは違う顔が描かれていた。
――それは、俺の顔だった。
「ねえ……これからずーっと一緒だよ?」
五
俺の意識は、暗闇の中を漂っていた。
だが、次の瞬間――
俺は"誰かの記憶の中"にいた。
(……ここは、どこだ?)
意識がはっきりしない。
まるで、自分自身ではない"何か"になったような感覚。
目の前には、二つの遺体があった。
一人は女の人。もう一人は男の子。
その遺体は、刃物で無惨に切り裂かれ、床一面が血で染まっていた。
(……人間の体は、こんなにも血が流れるのか?)
遺体を見つめる"俺"は、ふらりと立ち上がった。
"俺"は、静かに部屋を出た。
冷たい夜の空気が、血の匂いに満ちた鼻腔を洗い流すようだった。
"俺"は、ゆっくりと路地裏を歩いた。
手には、いつの間にか"銃"が握られていた。
鉛のような冷たさが、火照った体を冷ますように感じる。
(……これは、俺の手か?)
"俺"は、自分の意思とは関係なく歩き続ける。
そして、繁華街に出た。
目の前に広がる人混み。
ネオンの光。
ざわめく群衆。
"俺"は、不意に立ち止まると、ゆっくりと銃を構えた。
「ドン!」
銃声が響く。
悲鳴が上がる。
人々が逃げ惑う。
だが、"俺"は淡々と引き金を引き続けた。
(……これは、本当に"俺"の行動なのか?)
だが、"俺"は確かに"俺"だった。
この男の思考が、まるで"自分のもの"のように感じられる。
(この男は……誰だ?)
警察のサイレンが鳴り響く。
"俺"は、警察に追われながら繁華街を駆け抜ける。
心臓が激しく鼓動を打ち、呼吸が荒くなる。
そして――
"俺"は、ふと前を見た。
そこには、幼い男の子が立っていた。
(……あの子は?)
"俺"は、駆け出した。
少年のもとへ向かおうとする。
(この子は、"俺"の子供なのか?)
意識が混濁する。
"俺"は少年の名を呼ぼうとする。
その時――
背後で、銃声が響いた。
「ドン!」
撃たれた。
鋭い痛みが身体を貫く。
視界が揺れる。
地面が、ゆっくりと近づいてくる。
"俺"は、少年に抱きつく。
そして――
「ずっと……一緒だよ……」
かすれた声でそう呟いた瞬間――
俺の意識は、急激に暗転した。
六
意識が戻ると、俺は自分の身体に戻っていた。
だが、目の前の陽翔の顔は――
すでに"陽翔ではなかった"。
彼の顔は完全に"あの男"のものになっていた"
「慧さん」
"それ"は、俺の方をじっと見つめると、微笑んだ。
そして、机の上に置かれたスケッチブックを手に取り、ゆっくりと開いた。
そこに描かれていたのは――
"俺自身の顔"だった。
その瞬間、理解した。
――"次は、俺の番なのか"。
陽翔に取り憑いていた"あの男"は、俺の中に入り込んだ。
そして、俺の"顔"になった。
俺は、ふらりと立ち上がり、部屋の鏡を見た。
そこに映るのは――
"あの男の顔をした俺"。
ぞわり、と肌が泡立つ。
違う、これは俺じゃない。
だが、鏡の向こうの"俺"は、不気味に微笑んでいた。
――俺は、陽翔を通じて"あの男"を引き受けてしまったのだ。
そして、"あの男"は陽翔を去り、俺に乗り移った。
陽翔は、何事もなかったかのように、無表情で座っている。
彼は、もう"解放"されたのだろう。
――だが、俺は違う。
"次は、俺なのだ"。
俺の耳元で、声がした。
「慧さん、これからずっと一緒だよ」
七
数日後。
陽翔の母親から連絡があった。
「息子の様子がすっかり元に戻りました!」
俺は、その電話を無言で聞いていた。
"そうだろうな"。
陽翔は、もう"呪われていない"のだから。
呪いは、俺に移ったのだから。
電話を切ると、俺はスケッチブックを開いた。
そこには、昨日描いたばかりの"俺自身の顔"があった。
いや――違う。
昨夜は、何も描いていないはずだ。
それなのに、そこには、新しく描かれた絵があった。
……おかしい。
鉛筆を手に取り、俺は試しに別の顔を描こうとした。
母親の顔を思い浮かべながら、ゆっくりと線を引く。
だが――
出来上がったのは、"あの男の顔"だった。
俺は、何度も何度も描き直した。
だが、どれも"あの男"になった。
……そうか。
――今度は、俺が"あの顔しか見えなくなる"番なのか。
八
数日が経ち、俺は自分の顔を見るのが怖くなった。
鏡を見るたびに、"あの男の顔をした俺"が微笑んでいる。
視界の端に、常に"痩せた男"がいる。
どこにいても、背後に"気配"がある。
……俺の後ろには、あの男がいる。
俺は、ふと考えた。
"次は、誰に伝染するのだろう"。
陽翔から俺へと移ったように、俺の中の"あの男"は、次の誰かに移ろうとするのではないか?
……それは、"俺と関わる誰か"なのではないか?
俺は、スケッチブックを開いた。
そこには、新しい顔が描かれていた。
……俺は、いつの間にか"別の顔"を描いていた。
そこに描かれていたのは――
あなたの顔だった。
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